なだいなだ 『TN君の伝記』

こんにちは「人間は自由なものとして生まれた」で始まる有名なルソーの『民約論』は、当初、「印刷物」で普及したのでなく、TN君はあえて印刷せず、訳したノートを書き写させたということです。ノートが、人びとのあいだに書き写されて広まっていったのです。(2005.10.21初稿)


西郷隆盛はなぜ蜂起したか? などを例に、「自由」ついて深く考えさせる伝記

なだ いなだ
『TN君の伝記』
福音館書店 2002年
元版1976年

この本は、イニシャルをTNとする実在した人物の伝記小説です。作者はTNの実名を明らかにしていません。その理由は、本書冒頭で説明されています。

本書を読んで、その人物が誰かは歴史を少し調べればわかりますし、「君」をつけて「TN君」とする効果は十分に発揮されているので、この本を紹介する私も「TN君」で通したいと思います。

さて、TN君は、1847年、土佐藩(現在の高知県)で足軽の子として生まれました。「土佐藩」だとか「足軽の子(という身分)」の出自はTN君自身を含めて、同時代の人びとの生きかたを制約していました。

TN君は1901年、食道がんで亡くなりました。作者なだいなだ氏は医師でもあり、本名を「堀内」といいます。TN君を診た医者も堀内という名でした。TN君の伝記を書くために調べ尽くした「なだ」氏にとってTN君はリアルに感じられる存在ですから、TN君に面接した堀内医師と作者は重なり合い、「自分がTN君を診断したかのような気がしてくるのだ」(380頁)と書いています。

幕末、土佐に吉田東洋(よしだとうよう)という人がいました。

彼は身分の上下とか家柄などに関係なく、能力のあるものは、どしどし重要な役につけた。古い制度で、能率のわるいものはあらためた。(33頁)

この東洋という人が現れ、「土佐藩の藩立高校と思えばいい」「文武館(ぶんぶかん)を足軽の子にも入学できるようにし」、TN君はオランダ語と英語を熱心に勉強しました。

一方、東洋の改革は、世襲で恩恵を受けていた人たちの恨みをかい、文武館開校わずか3日目に暗殺されるのです。

TN君は土佐を抜け出たいと考え、猛勉強した結果、藩の留学生として長崎に行くことができました。ところが期待に反して、文武館の先生よりもましな先生をなかなか見つけられなかったのです。

先生さがしにくたびれて帰ってくると、寮の座敷に、一人の男がねころんでいた。若いのに頭の毛が薄くなりはじめている。その男のまわりには、TN君のように留学生として長崎にきた若者たちが、かしこまった顔で、とりまいていた。はなしをしているのは、もっぱら、その男だ。

──ひとのふんどしで、すもうをとる。とりなさい。とりなさい。どこがわるい。これからは、ひとのふんどしで、すもうをとる時代。わしのふんどし、ちときたないが、かりたい思うものは、かりなさい。

彼は、ひじまくらをしながら、そんなことをしゃべって笑わせていた。(46頁)

この男とは、坂本龍馬(りょうま)です。このときの年齢を推定してみると、TN君18歳、坂本龍馬29歳ぐらいでしょうか。(その後、龍馬は暗殺されたので、TN君は長崎で出会ったきりでした)

TN君は、坂本竜馬に長崎でであってから、大きく変わった。そのときから、彼もほらふきになった。TN君は、一生、特別に人を尊敬したことはなかったが、たった一人の例外があるとしたら、この坂本竜馬だ。(48頁) (本書では「竜馬」の表記になっています)

長崎での先生さがしは不作続きでした。「なにもすることがないから、フランス語でもやってみるか」(55頁)と、たまたま見つけた看板の教授に就いて学んだが、半年ほどで先生と同じくらいに読み書きができるようになった。

なんとかして、江戸に行きたかったTN君。龍馬が手本の身につけた「ほらふき」で、若き岩崎弥太郎(三菱財閥の創業者)から25両をせしめ、念願の江戸に行きます。「フランス学では日本一の権威だといわれていた」(60頁) 塾に入ったものの「この程度か」とすぐに失望。

長崎で龍馬と出会ったように、江戸に向かうTN君を描きながら、なだ氏は、幕末の大阪や江戸の町の空気を感じさせてくれます。

戦争になるな。TN君は思った。TN君は、そのころ、ラ・ロッシュに会いにきた伊藤博文や陸奥宗光に会った。通訳をしていると、彼らは目の前の問題しか考えていない。彼らから、夢というものが感じられなかった。二人は、ただフランスの動きを知りたかったのだ。もし、薩長と旧幕府とが戦争になれば、フランスがどう動くか。どこまで旧幕府方を助けるつもりか。(63頁)

こんどは、TN君、大久保利通(としみち)に「ほら」をふいた。

わしには、もう日本にいても、つくべき先生がいないんです。日本にあるフランスの本も、おおかた読みつくしちゃった。この上は、フランスに行って勉強するしかない。このわしを、いま、ヨーロッパに送る留学生に入れないと、将来の日本の損失ですよ。(71頁)

と言い負かして、とうとう、1871(明治4)年11月12日、TN君24歳のとき、岩倉具視(ともみ)の遣欧使節団の船に乗りこみ、横浜を出た。太平洋を横断、サンフランシスコに到着。南北戦争が終わってまだまもないアメリカ大陸を横断して、ヨーロッパへ──。と書けば、すんなり行ったと思いますよね。

ところがどっこい。アメリカ中西部は未開のところがたくさんあり、大陸横断は苦労の多い冒険旅行で、飢え死の危機も。岩倉具視たち首脳陣の思惑もあって、ヨーロッパに着いたのは1872年10月だった。留学生たちはヨーロッパ各地に散らばり、TN君はフランスへ向かいました。

TN君は、フランスに2年滞在します。日本国政府からTN君に与えられた任務は、フランスの法律制度を学ぶことでした。

TN君は考えた。フランスそのものが動いているとしたら、ただ現在の制度だけを勉強しただけで、いったいどんな役に立つのだろう。その制度が、どうして生まれたのか、そして、それがどう変わっていくのかを知らなければ、意味がないではないか。(87頁)

TN君はヨーロッパの歴史や思想に関心が向いてしまいました。が、さて、限られた時間で、ある日突然にして、日本人が手っ取り早くわかる方法があるのでしょうか? まだこのときパリにいたTN君は……。

パリをはなれ、リヨンの小学校に入学したのです。6,7歳の子どもたちと机を並べた26歳のTN君。アイデアはよかったのですが、「小学生たちは、さわがしく、いたずらものばかり」(89頁)。勉強どころではなかった。「小学校はあきらめたが、小学校の教科書をつかって、個人教授をうけて勉強することにした」(同頁)。

TN君の勉強方法は「外側から」視察するのでなく、「こんなふうにフランスの民衆の生活を知り、生活感覚をしだいに身につけた」(同頁)ということです。

1789年7月14日 フランス革命、起きる。
「気がついてみると、ナポレオンが皇帝になっていた」(96頁)

1815年 ナポレオン敗退。ルイ18世が王位についたが、「憲法をつくって、国民を政治に参加させることが、王政を国民にうけいれさせるための、最低の条件だった」(97頁)

1830年 七月革命で、下院の選挙権は、25歳以上の男子、2百フラン以上の税金を納めたものに。

1848年の革命で、選挙権が、21歳以上の男子すべてに。

1873年 TN君、パリ滞在中! ある日、本屋で、TN君は1冊の古本を手にしていました。「最初の1行が、目をひきつけた」(99頁)

「人間は自由なものとして生まれた。しかもいたるところで鎖につながれている。自分が他人の主人であると思っているような者も、実はその人々以上に奴隷なのだ」

「人民がみずから承認したものでない法律は、すべて無効であり、断じて法律ではない」(99頁) (この和訳は出典「岩波文庫」と作者の断りあり)

酒の好きなTN君は、そして貧乏だったTN君は、労働者がよく集まる居酒屋で飲んでいた。その居酒屋で労働者が、口論のときによく口にしていたことばが、この古本から鮮やかによみがえってきたのです。

労働者たちは、それをルソー(上記訳文の原著者はルソー)のものと意識せず、まるで自分のことばのように叫んでいた、ということです。

TN君以外の留学生たちは、どこで何を学んでいたのでしょう。

のち首相に就くことになる西園寺公望(さいおんじきんもち)の場合、

隅田川を見てはセーヌ河を思いだし、向島のしじみ汁をすすっては、オペラ座近くのカフェ・アングレのスープを思いだした。当時、有名だった、八百善の料理をつつきながら、フランス料理のことを考えた。そして、パリで出あった友人をつかまえては、パリのはなしをしたがった。(235頁)

パーティのもりたて役として活躍したのが、津田梅子や、大山巌の夫人になった山川捨松などの女性であった。この二人は、TN君とおなじ船で出発した留学生のなかまだ。日本を出発するとき、まだお人形をだくようなむすめであった彼女たちは、そのころ、ちょうどカレッジを卒業して日本に帰ったばかりであった。彼女らは外国語を自由にはなし、洋服がぴったりの身のこなしのできる、新しい女性として、政府高官のむすめたちの先生役であった。彼女らは、ダンスを教え、西洋ふうのマナーを教え、外国語の会話を教えた。それまでの良妻賢母の女性像とくらべたら、彼女らは、たしかに新しい女性と見えた。しかし、その新しさは、目新しさにすぎなかったのである。(306頁)

そういえば、岩倉具視の遣欧使節団について、こんなことが書かれていました。

TN君は船に乗って、選ばれてきたものたちを見ると、首をひねった。なにしろ、国の費用をつかって留学させる学生のなかに、7歳の人形をだいた女の子までいるのだ。5名の女子留学生は、みな15歳以下だ。男のほうも例外ではない。(76頁)

さあて、TN君が誰だか、少し察しがつきましたか?

TN君の本領が発揮されるのは、この帰国後からです。

しかしながら、この本の説明に、ずいぶんと分量を使ってしまいました。ページ数の割合でいうと、まだ3分の1にも達していません。

残り3分の2で、日本国内の自由民権運動、明治憲法の成立、国会開設までのなりゆきが、TN君、そして、TN君とかかわりあう人たちとで、描かれてゆく、そういう筋立てになっています。

自由民権運動といえば板垣退助の名が浮かびますね。しかし、この本を読むと、意外な板垣を知ることになります。意外なというのは、板垣は果たして「自由な民権に」どれほど貢献したのか? という疑問が差し出されるからです。

社会科の教科書に登場する主だった人物は、本書でもほぼ勢揃いします。歴史の表舞台に立った視点、つまり「主だった人物」から見ている限り見えないものがあります。

作者のなだ氏は「あとがき」で次のように記しています。

ぼくたちは、歴史を、自分たちの時代から見る。そして、権力をにぎった人たちを主役にした芝居のように、歴史を見がちになる。だから、どうしても、かげになって見えない部分、見えない人物がでてくる。明治革命をおこした人たちは、権力をにぎった人たちのかげにかくれてしまっている。でも見えないから歴史がないというわけではないのだ。

TN君の伝記を書いたのは、君たちに、その見えない部分を、TN君の目をかりて見てほしいと思ったからだ。(388頁)

TN君からみた明治時代ほぼ半分の歴史がいっぱい詰まっています。むずかしい漢字にはすべてふりがながついています。だから、小学校高学年から読めるでしょう。

TN君も含め、この時代、立て役者のほとんどは、10代後半です。明治新政府と意見がわかれ、反政府にまわった西郷隆盛の軍勢に加わろうと、学問をかじった当時の若者たちは血をたぎらせました。自由と平等をさとすTN君に、今こそ行動するときだと、詰め寄る若者もいました。若者が向けることばに、TN君は幾度もたじろいでいます。

TN君のことばを冷静にきいた若者もいました。植木枝盛(えもり)、幸徳伝次郎(のちの幸徳秋水)らです。

内容的には決してやさしくないものを、子ども向けに書いた作者の意図は、今の10代・20代の若者に読んでほしいというメッセージがこめられていると思われるのです。

「人間は自由なものとして生まれた」で始まる有名なルソーの『民約論』は、当初、「印刷物」で普及したのでなく、TN君はあえて印刷せず、訳したノートを書き写させたということです。ノートが、人びとのあいだに書き写されて広まっていったのです。

この『TN君の伝記』が、このノートのように広まることを夢見たいと私は思いました。