散歩同行記 知的障碍者施設にて

(2012.5.3)

「わたし、ちえおくれやし……」、ためらいなく彼女は言った。
私たちは山道を歩いていた。

5月3日午後、施設利用者の女子健脚チーム7人は三木山公園の散策路を歩いていた。連休の昼下がり、県立公園の駐車場は9割方埋まっていた。ワゴン車を停めて重いドアを開ければ、そこには雲の多い空からやわらかい日射しが待っていた。

さあ、今から散歩。
誰もが童顔。うれしそう。

職員2人のそれぞれ両手を、それぞれがつかんだ。
私の両手もいれて6人がつながれた。
一人、もうさっさと歩き始めて先頭をゆく者がいる。

視野に入ってくる景色は広い芝生公園で、多くのファミリーが休みをすでにここで過ごしていた。緑が眩しい。タンポポの綿毛がまんまるく線香花火のように啓いていた。取り上げて吹き飛ばしてみたかったけれど、両手がふさがっているのと、彼女たちは健脚なものだから足を止めることができない。私は両方の二人に歩かされているという気分でいた。

それでも、先頭をゆく1人、次の3人、次の3人と続き、私たち3人はどん尻を歩いていた。ハナミズキの白い花が咲いていた。左の手を握る彼女は自己紹介を始めた。名前は○○。おしゃべりだ。その彼女は私の右の手を握る女性の名前も教えてくれた。「△△さん」「そう、ゆかりさんね」「私の名前は、エマ。聖書からお父さんがつけてくれた」「そう、聖書にそんな名前があるの」「私はお母さんが若いときに産んでくれた」

ことこまかに両親から聞かされた話を、私に聞かせてくれる。聞き取れる部分も多いが、説明抜きで具体的固有名詞などが飛び出してくるので何度も聞き返した。にこにこして一々応えてくれる。ゆかりさんは黙っている。足音が大きい。足を道に打ちつけるようして歩いている。「歩くの、好き?」と訊いてみた。「すき」と言葉が出た。

おかまいなしにエマさんは話し続けている。
「エマさんは何歳ですか?」
「51」
「お母さんは?」
「81」

2つ上のお姉さんがいて、二人きょうだい、という。きょうだいが生まれた頃のお母さんの年齢を計算して、私は目頭が熱くなった。両手が使えないので風にまかせた。

芝生公園から山道に入った。両手の重みが少し増した。先頭と私たちとはけっこう離されて、山道の曲がるところでは私たちだけが取り残されもした。ツツジが咲いていた。きのうの雨で、空気は湿っている。砂利がまばらに敷かれていて、これは山道風散策路だね。

エマさんは、前にここを歩いたことがあるようで、そのとき、転倒してケガをしたと話してくれた。その痛さを思い出したことと関係があるのかはわからないけれど、「男の子に石を投げられた」と唐突に話し始めた。これも何度か聞き返してわかったことは、小学生の頃、「ぶた!」と言葉を投げつけられ石が飛んできた。「おねえちゃんがかばってくれた」と話す。「いややったあ」と悔しさを思い出していた。

夫婦連れと思われるハイカーとすれ違った。「こんにちは」と私が声をかけるとハイカーも「こんにちは」と返してくれた。そのとき、ゆかりさんも「こんにちは」と、ハッキリ言った。

上り坂が続く。息切れすることなく、エマさんは、「わたし、ちえおくれやし……」と言った。「ターナー症候群やね」  両親から、たぶん母親から言って聞かされてきたことが身についてしまっているのだろう。(それにしてもよく知っているなあ)と私は思ってしまった。

先をゆく人たちは、私たちが追いつけるよう時々待ってくれていた。山道風散策路はいつしか簡易舗装になった。「蝶々を飼っているの」──飼っているのは、今のことか、過去のことか、そして、飼っている場所はどこなのか、とにかく知りたいことは何度も聞き返さないとわからないから、もういいやという気持ちにもなる。

「アゲハチョウは山椒やみかんの葉をあげるけど、キアゲハは食べるものが違ってパセリなんかをあげる」「食べるのが速いし、喧嘩もするから……」  私は聞くだけのモードになるが、感心することしきり。再び芝生公園に出てきて、おやつの時間にすることになった。両手が自由になり、おやつが終わってワゴン車に到着したときは、散歩の初めから50分が経過していた。クスノキに新しい葉が出てきて、いよいよ新緑の季節。また行こうね、散歩に。

散歩同行記1205