思い出話 1 子どもを怒れない理由

1970年、私は二十歳になる年だった。今の自分を育ててくれたのは「自然」だったと自覚し、高校時代までの生徒会活動など社会的なことではなく、「自然」に感謝して「自然」にかかわることをしてみたいと思うようになった。当時は四大公害訴訟の判決が続き環境への関心が高まっているときだった。書店で小笠原明夫『野鳥の四季』(朝日新聞社、1970年発行)を買い、この本で日本自然保護協会の名を知った。著者が入会を勧めていたので早速入会の手続きをとった。当時の会員数は全国でも3000人程度だった。翌年、兵庫県自然保護協会の設立に参画することになった。世相は環境問題に関心を寄せ始めたばかりだったので、日本自然保護協会でも兵庫県のそれでも核になって活動している人たちは環境や動植物の名だたる研究者が連なっていた。若かった私は強烈な刺激を受けた。その初期に、どこで出会ったのか思い出せないが、有馬忠雄という高校の先生が、「自然を学ぶには、そのままを受け入れなさい」という意味のことを話された。意味するところは、次のとおりだ。

自然愛好家が集まる野外観察会では我こそ知っていると言わんばかりに野草の名が次から次へと出てくる。よく知っているなあ、と感心したものだ。有馬先生はそうした知識に価値を求めなかった。「見たとおり受け入れろ」と言う。「解釈をしてはいけない、見たままに」「生きている証拠を見つけよう」と。共感を覚えたが、意味するところはわからず、しかし、野外に出てはいつも心掛けるのが習慣になっていた。

それから10年ぐらいした頃だろうか、その年数もあいまいだが、かなりの歳月が経過していたことは確かだ。3月、4月、5月、この頃の新緑は美しい。この新緑を「きれいだなあ」と心の底から思えるようになった。10年を要したということだ。

自然には、畏敬の念を払うという形容がよくなされる。神仏に手をあわせることも類する行為だろう。数多の星夜に我の小さきを思うことも同じだろう。にもかかわらず、自らの価値・判断を押し当てていることがどれほどに多いことか。先入観にとらわれずに対象をみることがどれほどに難しいことか。禅問答に等しいかもしれない。みんなちがってみんないい、とよく言われるが、ちがうそれぞれを俄に評価することとは相容れない。

幸いして、私は野外での観察を通して、習慣だけは身についたといえるかもしれない。幼児と寄り添う保育にかかわってきて、子どものそれぞれを観察するときも、まったく同じことがいえるように思う。自然(野外)では見るたびに発見があるといってよい。生きている証拠をさがしているわけだから、おなじものはないと考えるし発見しようとする。そのつどそういう体験を重ねると、まずは見てみようという態度が身につく。子どもの育ちにつきあうとき、おとなである私は、おとなとしての合理的判断をもちあわせているつもりでも、まずは子どもの動きをみてみようということになる。そして、その観察の結果で決めつけることはしないと心掛ける。そうすることで何が起きるか。子どもを怒れなくなる。ついつい怒るタイミングを外してしまうのだ。

2018.11.9