思い出話 2 ものごころついたときは田舎にいた

小学生時代の記憶では夏休みは田舎にいた。田舎は網干(現在の姫路市)だった。国鉄(現JR)山陽本線で神戸から西へ。姫路駅で「播但線の待ち合わせのため50分停車します」と駅のアナウンスがあったことを記憶している。蒸気機関車だった。姫路駅の次は英賀保、その次が網干だった。網干駅で下車すると真っ暗で(夜が多かった)手を引かれてリンタクに乗った。リンタクというのは、自転車が引くタクシー。人力車を自転車で引くようにしたものだろう。走る道は舗装されていないので、でこぼこの振動はストレートに”車室”に伝わってきた。のちにリンタクはなくなり自動車(タクシー)になった。1957年頃(小学1年生の夏)はリンタクだっただろうと思う。雨降りもリンタクは走った。街灯はまったくなく、自転車のライトと雨は、子どもながらも心をゆさぶられた。

記憶を遡ると、気づいたら田舎にいたことが多かった。もしかしたら、記憶に留まらないもっと以前から田舎にいたのかもしれない。そう思うようになった。母(89歳)に訊いた。男3人きょうだいで2歳ずつ違っていた。まんなかの弟が生まれる(8月)とき、私はその9月で3歳になるときだった。母の母つまり祖母が私を網干によく連れ帰っていたと言うのだ。少なくとも3歳の頃、私は田舎で暮らしていたようだ。4歳のとき、祖母に向かって「(私は)家がない」と言い、祖母は泣いたという。私の家庭が自分の家(四軒長屋)で暮らすようになったのは5歳になってからだ。

なぜか私は田舎で育った記憶が強い。自然が好きなのはそういう過去、体験があるからかもしれない。ドジョウをバケツいっぱいとったこと、トンボを手でつかんでとったこと、田舎のおにいちゃんたちが木に登り素手でセミをとっていたこと、そのセミをカタビラと呼んでいたこと、喉が渇いたら庭のサトウキビを切ってしがんだこと、キリギリスをコオロギで釣ったこと──とめどなく思い出される。洗濯場所は小川だった。牛もいた。

3歳に満たない頃から自然豊かな暮らしの中で育ったことと今の私になんらかの関係があるのかもしれない。

山田利行 2018.11.9