柴田敏隆 / 少年と自然のふれあい

少年と自然のふれあい 一本の棒が彼らの夢をふくらませた
柴田敏隆

引用者註 以下の論考は、上記をタイトルとする全文です。

出典は、平凡社発行誌『野生からの声〈アニマ〉』1973年9月号の巻頭言相当「今月の主張」です。今(2018年11月)より45年前の記事になります。類書の少ない動物系大衆誌にあって、どちらかと言えば趣味に分類される読者層に向け、筆者の柴田敏隆さんは、自然の中で育つ子どもに視点を向ける呼びかけを行っています。価値を見いだしてもらえない「原っぱ」というとりとめのない原風景、「一本の棒」で象徴される子どもの遊び、その子どもの「死」を正面から受けとめて論理を展開する厳しさ・真剣さ、子どもへの愛を感じさせてくれる論考です。私(山田利行)も若いときに直接の教えを受けました。すでに他界(2014年)されています。今日、柴田さんの危惧はますます現実のものとなっています。

子供達の成長の過程に優れた教育環境が必要であることに、誰しも異存はなかろうが、その教育環境のひとつに、良い自然があって、それと充分な接触をもつことは、むしろ、必要不可欠のことである、ということについては、今まであまり気づかれていなかったようだ。

美しい豊かな自然の中に青少年を……というスローガンは、むしろ観念的次元でしか解釈されていなかったようだ。各地にできる青年の家や、少年自然の家などが、豊かな自然の中に、ただ便利な都市文明をむき出しのまま持ちこんで、その自然の特性とはまったく無縁なテニスコートを作ったり、プールをこしらえたりして、およそあたりに不釣合な音量のスピーカーを鳴らして体操をやったり(つまり都会の中の体育館で充分できることを)していることは、自然を無生物的次元でしかとらえていない、何よりの証拠ではなかったか。

昔、といっても、今から三十~四十年ほど以前のころ、住宅地の近辺には、どこでも「原っぱ」と呼ばれる広場があった。

その原っぱは、真中に、踏み固められた裸地が、その周辺には、オヒシバやカゼクサ、チカラシバなどからなる踏あと群落が発達し、周辺にはいく本かの立木があって、多少の起伏があり、雨あがりなどには、思いもかけぬ大きな水溜りができたりした。

そうした「原っぱ」には、その近くにすむおよそ同年輩の少年達が集まって、小さな野蛮人よろしく、閉鎖的社会を形成して遊びまわっていた。

この小集団は、ニホンザルの社会構造と、まったく良く似ている。心理学者は、この年代をギャング・エイジというが、まさに言い得て妙である。

ボスがいて、序列が明確であるが、ボスは力が強いだけでなく、人徳がものをいう。

この小集団を構成する各個人の連帯感や、集団に対する忠誠心は熱烈なもので、そのために、かなりの自己犠牲も奉仕も、厭うところでなかった。誰に教えられるでもなく、こうした集団形成ができるのは、社会的動物といわれる人類に、天性具わっている本性なのであろうか。

この小集団の中では、それぞれが分(ぶん)に応じ、能力に応じて、自分の持ち味を活かし、全体に奉仕することが可能であった。そして、「悪戯(いたずら)の文化」は、先輩から後輩へと絶えることなく伝承されていった。後輩予備軍は、「ミソッカス」と呼ばれる幼児まで付随し、しかもこのオミソ達は、かよわいがゆえに、先輩達から充分庇護されていた。

ここに、ひとつのライン・システムをみるものである。今の待場の子供は、スタフ・システムでしか遊ばない。野球にしろ、サッカーにしろ、同年代同能力の者の集まりが前提であり、しかも、ルールが先行している。プレイグラウンドまでが、規格で限定されているのである。友情は育つかも知れないが、伝承する文化はない。ルールで規定されるので、その必要がないわけである。

原っぱのような、あまり上等とは言えない自然の中にあって、子供達は、自らの力で創造し、工夫して、遊びの中で、自然の持つ多様性に対処してゆく術を学んだ。

一本の棒が、多種多様な用途を持つことを発見するのも、こうした機会にである。おおげさに言えば、一人の少年が、その成長過程の中に、人類文化史を短時日のうちに再演するといった、重要な意義を持つわけである。したがって、一本の棒を選ぶにもいくつかの試行錯誤があって、そこから鋭い選択眼が養われてくるのである。

一本の棒は、遊びの世界では実に豊かなイマジネーションを秘めていた。チャンバラごっこでは、正宗(まさむね)や虎徹(こてつ)のような銘刀になり、股ぐらに挟んで走れば、たちまち生〔口偏+妾〕(いけずき)や磨墨(するすみ)のような名馬に早がわりした。

自ら選び、自ら用い、自らを援(引用者註: たす)けて、限りない幻想の世界を楽しませてくれた一本の棒に、こよない愛着を覚えるのは、どの少年とて同じことであろう。

捨てることが美徳とされ、大人のさかしらにイマジネーションまでおしきせの既製品が、お金次第でいくらでも手にはいって遊べる今の子供達に、おもいやりの心が何となく稀薄に感じられるのは、自然から疎外され、自然に学ぶ経験が乏しいからではなかろうか。

大きくなってからみれば、あまり立派でもない二次林などが、それでも当時は、今とは比較にならぬほど豊かに連なっていて、少年の目には、強烈なリアリティーをもちながら空想の世界につながっていた。その暗がりには、狐狸妖怪(こりようかい)のたぐいから、黄金バットや怪人二十面相までひそむかとも見えたが、一面では、陽をあびて光り輝くスカイラインの彼方には、無限の可能性を秘めた未来の世界が横たわっているに違いないと、眉をあげ、大きく息を吸っては、希望に胸をふくらませたものであった。

山の向こうは、一面の宅造地、その先は公害の街とヘドロの海といった現況は、何たるイマジネーションの貧困であろう。

都市文明が、自然と対決し、自然のもつネガティブな要素を克服しつつ、今日の繁栄をもたらしてはきたものの、その過程の中で、失われた大きなもののいくつかが、今まであまり気づかわれずにきた。少年と自然とのふれあいなどもそのひとつで、単に望ましい程度のレベルでなく、今となっては、むしろ生理的次元で、必要不可欠なもののひとつであろう。

動物としての桎梏(引用者註: しっこく)をまぬがれない人類という次元で考えると、子供は、成長する存在ではあるが、反面、死ぬものでもある。近代文明が、子供の死亡率を極度に低くせしめたメリットは、正当に評価されるべきであろうが、反面に、その成果から生じたおごりが、子供は死なないもの、死なせてはならないもの、という絶対的な要求となって、子供をとりまく環境から、危険と目されるもの一切を徹底的にとりのぞこうと努力する。その行過ぎが、いわゆる過保護となって、子供のバイタリティーを抑圧していることは、あまり気づかれていない。

たとえば、街なかの児童公園をみよう。柵で囲われ、舗装され、いい合わせたように、ブランコやジャングルジムのような遊具がおいてある。夾竹桃(引用者註: きょうちくとう)やプラタナスはあっても、登って遊べるような木はない。動物園の猿山と全く同じではないか。ソックスと靴底を通して足の裏だけ地面に接して遊びはするが、裸の皮膚が、じかに大地に、むきだしの土壌にふれるような遊び場はない。

どろんこは不潔で、自然の山野は危険という母親達は、それならば、四エチル鉛やベンツピレンの充満する都会の空気は、病原細菌や寄生虫がいないだけで安全だと信じているのだろうか。一瞬に生命をうばう交通災害は、山野の危険より、安全度が高いとでも思っているのだろうか。

子供は死ぬもの、怪我するものという基本的認識に立って、そうしたネガティブな要素から、子供達に、いかに自分自身を守り、それに対処していくかを、遊びの中から体得させていくには、今のプレイグラウンド式の児童公園は、むしろ不適な存在でさえあろう。

昔の子供は、何かにつけてよく死んだ。子を失ったひとびとの悲しみはいかばかり深かったであろう。こればかりは、昔も今も変わりない。しかし、その悲しみの底からうまれた諦観が、人間の力ではいかんともなしがたい自然の摂理に、論理を超えて、きわめて謙虚な姿勢をとらせる母胎となっていた。

文明の勝利がそうした諦観を忘れさせ、謙虚さを失わせるとともに、世は終末的様相を帯び、人類滅亡の危機が、真剣に論じられるようになってきた。

わずか半世紀にも及ばない過去の時代における、子供と自然との関わり合いのパターンの中に、人間の自然への対処の仕方について、深い示唆にとんだいくつかの要素を見いだすものである。

※『アニマ』掲載時の柴田敏隆・プロフィール
1929年、横須賀に生まれる。(引用者註: 掲載時44歳) 東京農林専門学校卒業。現在、横須賀博物館学芸員。哺乳動物学会員。日本鳥類保護連盟評議員。日本野鳥の会理事。著書「鳥の話」千趣会

※出典のコピー PDF