白川静に漢字をまなぶ

1) 白川静『漢字百話』(中公新書)
2)宮下久夫『分ければ見つかる知ってる漢字』
3)宮下久夫ほか『漢字はみんな、カルタで学べる』
3-1)101漢字カルタ 3-2)98部首カルタ 3-3)108形声文字カルタ
4)山本史也『神さまがくれた漢字たち』

『漢字百話』(中公新書)

  • 白川静(著)1978年発行

三千数百年前の神話的世界がよみがえる
漢字の一点一角すべてに意味がある

 漢字「月」は夜空に浮かぶ三日月をかたどった象形文字だと言われれば、なるほどそうだなあ、と思える。「手」や「足」も同じく手足をかたどった象形だ。しかし、象形のもとの字(古代文字)と現代の漢字「手・足」とは字形にずいぶん差があって、説明がないとわかりにくい。

 「象形文字を漫画のように、見ればそのままわかるなどというのは、まことに誤解である」(15頁)

 「象形は絵画ではない。具象というよりも、むしろ抽象に近いものであり、それゆえに象徴性をもつ。<中略>象形文字はその字形の意味をよみとらなくてはならない。漢字は古代的な一種の象徴画にほかならない」(27-28頁)

 つまり、漢字の、一本一本の線や角や点などには、見落としてはならない意味がある。

 「名前」の「名」の字源については次のような説明が多い。
──夕方の暗やみで、みずから名のることで相手に自分を知らせる──
 夕方の「夕」と顔の一部の「口」が上下にあわさった漢字が「名」という説明になる。しかしこれは間違い。残念ながらそんな簡単な意味ではない。

 「夕」は肉を表し、 「口」は神様にささげる手紙を入れる器の象形。この古代文字には「サイ」という音が与えられている。これがやがて現在の字形の「口」になった。

 古代、中国では「養育して一定の年齢に達すると、氏族員としての名が与えられ、祖霊に報告」(18頁)した。その儀式として肉をささげ、文書(=祝詞のりと)を器に入れてお祈りした。これが「名」の字源である。

 「口」に対する「従来の解釈が誤りであるとすれば、その系列に属する数十の基本字と、またその関連字とは、すべて解釈を改めなくてはならない」(27頁)

 告・古・言・問、……、字形の一部に「口」がある漢字は多い。
 「問は人の家の門口でものをたずねるというような字ではない。門の前におかれているものはであり、神に申すことばである。門は人家に立てるものではなく、神の住むところの廟門であった」(36頁)
 問という漢字から、三千数百年前の古代中国がかいま見える。

 「害」の旧字は、タテの線がもっと下に突き出て「口」まで達していた。神聖な器に刃先を突き立て、これを害した。

は「害」の旧字です。そして、象形はです。「いまの新字はその刃先を折り棄てている」(31頁) 「害」とは、そんなにも恐ろしい字だったのか!

 19世紀末から20世紀初め、甲骨(こうこつ)文字が中国で発見・発掘され、続いて金文(きんぶん)と呼ばれる銅器に刻まれた文字も発見された。
 これら古代文字は現在の漢字の祖先にあたる。古代文字の研究によって漢字の研究は著しい進歩をとげた。
 このような発見と研究が進められるまでは、紀元100年頃に許慎(きょしん)によって漢字の研究書「説文解字(せつもんかいじ)」が編まれ、その影響は1900年後の現在にまで及ぶ。
 漢字の辞書をひくとき部首に頼ることは多いが、「説文解字」の部首法は、いくらか改変されながらも現在の辞書に引き継がれている。また、字の由来説明も「説文解字」の影響下にある。
 先の、「夕に名のる」式も「説文解字」によるが、本書の著者・白川静はこれを誤りとした。
 白川の論調は難解で読み解くのに一苦労。とてもすらすら明快というわけにはいかない。けれどもいったん理解に達すると、単に字源だけが判明するのでなく、その文字が生まれた文化・文明までが浮き上がってくるので、歴史書を読むようでもある。


 ところで、「説文解字」やそれに続く辞書群の影響は はなはだ大きく、甲骨文字発掘によって解明された字源説の誤りは放置されたままとなっている。
 藤堂明保(とうどうあきやす)は『漢字語源辞典』を著し、<語源研究者>として有名だが、「このような俗説の盛行にまかせているかぎり、正しい漢字への理解の道はない」(138頁)と厳しい。(※ 私も、漢字の語源と言えば “トウドウ”と思い込んでいた)
 現在においても、漢和辞典の新版刊行や改版がありながら、「名」の字源を神話的に説明したものに出会わない。白川自身が著した『字通』(漢和辞典)が唯一である。

 一見、漢字は、その筆画において、その多さにおいて、その使い方において、相当な学習時間が必要のように思える。しかし、本書を一度して読めば、一点一角をむだにしない法則があることを知るだろう。
 「これ以上の省略が困難と思われる限界のところで、文字が成立している。その一点一画のうちに字の形義が寄せられている」(96頁)
 漢字の理解をむずかしくしたのは、法則を無視してまで、字の形を変えてしまったことにある。

 白川漢字学をやさしく学習できれば……。
 その期待に応えようとしている人たちがいる。漢字教育活動「漢字がたのしくなる本」シリーズや “かるた”を考案している宮下久夫(故人)らのグループだ。

  • 使用した象形文字および「害」の旧字は、本書『漢字百話』より借用しました。2001.9.4. 山田利行 記す

『分ければ見つかる知ってる漢字』

  • 副題「白川静先生に学んで漢字の学習システムをつくる」
  • 宮下久夫遺稿集 2000年発行

漢字教授法の極意

 漢字の覚える(覚えさせられる)ために “百字帳”のマス目を埋めていくのが私の子どもの頃(1960年代)の学習法だった。覚えられるかどうかは、本人の努力次第で決まり、書き取りの成績が悪いのは努力が足らないとされた。およそこんな学習法はおもしろくないし、先生の指導も無いに等しい。
 漢字は象形文字で出来ていると、「人」「月」「日」などを例にして教えられたこともある。しかし、いつのまにか “象形文字論”は消え、ひたすら百字帳・書き取りテストなどで覚えさせられるだけになっていた。そんな教育を受けていながらも、おとなになって子どもに漢字は象形文字でできている、という人がいる。そうだろうか。漢字の大部分(95%という数値もある)は象形文字ではなく形声文字である。

 そんな「教え主義」はやめよう! 誓い合って、毎月1回、1泊2日の合宿を続け、子どもみずから遊び楽しみ「自然と身につく」漢字学習法を創り出そうとした4人の仲間(宮下久夫・篠崎五六・伊東信夫・浅川満)がいた。本書の著者・宮下久夫はその一人である。
 そして、──1989年から91年にかけて、太郎次郎社から『漢字がたのしくなる本』(全6巻)が刊行された。サブタイトルは「500字で漢字のぜんぶがわかる」──に結実した。
 漢字の大部分は形声文字で、形声文字ならばそのひとつひとつのの文字は、2つにわけることができる。その片方は漢字の意味を表す部分で、残るの片方は「音記号」になる。その、それぞれの片方は象形文字であることが多い。つまり、象形文字が組み合わさって、あるいは変形した象形文字があわさるなどして文字が出来ている。
 漢字が象形文字から成り立っているのは事実である。しかし、文明や文化が発展し広がるにつれて、漢字はその数を増して行ったが、そのつど新しく創出されたのではなく、ほとんどが従来の文字を組み合わせ、変形させてきた。その漢字の発展(歴史)のしくみを知れば、漢字は思いの外 理論的でわかりやすい。漢字を「分けて」みればいいのだ。本書のタイトルはこのことを表現している。

 宮下はこのことを早くに気づき、甲骨(こうこつ)文字などの漢字研究で知られる白川静(『字統』の著者)を訪ねた。漢字は理論的でわかりやすいとはいえ、それは漢字の歴史を解き明かした成果があってのこと。その秘密は漢字発生以来、三千数百年の時空をたどらなければならず、組み合わせや変形が容易なだけ、例外や変則も多い。宮下はしぶとく白川にくいさがり、白川が漢字学者だが、宮下は教育者、どうすれば子どもたちにわかりやすく伝えられるか苦心した。
 宮下久夫、1927年 群馬県に生まれ、48年東京都教員を経て、49年から87年まで群馬県で小学校教諭。97年1月、鬱血性心不全で倒れ急逝。

 ところで、漢字学習法については過去いろいろ考案されている。それらは熱心な教師による経験から生み出されているようで、その効果を支持する人たちもいるなか、しかしながら字源解説の誤りを正したものに出会わない。それは次のようなことである。
 20世紀初頭に発掘された甲骨文字や金文(きんぶん)は、『説文解字/せつもんかいじ』や『康煕字典/こうきじてん』が編まれた当時、まだ地中深く埋まっていた。
 『説文解字』とは、西暦紀元100年頃(漢字の発生より一千数百年後)に編まれた漢字研究書で漢字の成り立ちが記され、『康煕字典』はそれから約1600年後、清の時代に編まれた漢字辞書で、ここで整理された部首法は、日本の辞書に今も原則引き継がれている。漢字の字源解説も引き継がれている。
 これでわかるように、それらの編者たちは発掘以前だから、漢字の祖先を辿ることなく漢字を研究した。20世紀以後の研究者なら発掘された史料が使えるので恵まれているはずだ。しかし、甲骨文字など古代文字を研究してきた人たちの多くは、残念ながらこれらの『説文解字』や『康煕字典』の影響下にあり、その呪縛から逃れられず、そのため学校での漢字(国字)教育も誤ったままで習得されられ続けている。
 白川静は『字統』(白川静/編)「字統の編集について」(14頁)で、次のように記しています。
 漢字の一字一角は、これ以上の省略が困難と思われる限界のところで成立しているにもかかわらず、日本の国字政策はそれを無視して字形を改変し、誤りの多い字形を作り出している。
 これを受けて、(以下、引用)──この誤り多い字形は、これに服従しない限り、学業を履修して社会に出ることも、社会に出て種々の活動に従うことも、不可能となっている。誤りを正当として生きなければならぬという時代を、私は恥ずべきことだと思う。──

 宮下らは、経験主義(「教え主義」)に陥らず、白川から学ぶ姿勢を崩さなかった。そして、見事に漢字のしくみを解き明かした。日本においては漢字以前に文字はなく(平仮名も片仮名も漢字から作られた)漢字は中国から伝わってきた歴史的経緯はあるものの、漢字=国字、といえる。その漢字を学ぶことは、とりもなおさず国字を学ぶことに等しい。本書を読むことで、漢字の見方が変わる。一見複雑に思える漢字のどこが理論的なのか、本書で確かめられたい。漢字教授法の極意である。

2001.9.5. 山田利行 記す

『漢字はみんな、カルタで学べる』

  • 宮下久夫+伊東信夫/著 太郎次郎社エディタス 1994年発行

 本書は「カルタ」の成立事情とその使い方、そして漢字のなりたちやしくみを漢字を習得する立場から解説しています。内容的には『分ければ見つかる知ってる漢字』と重複する箇所が多いのですが、本書はカルタ使用者のための実践版・指南書といえます。カルタを授業で使いたいと考えている学校の先生には具体例が多く紹介されているので参考になるでしょう。

  • 101漢字カルタ
  • 98部首カルタ
  • 108形声文字カルタ

 言い換えると、カルタとともに使用しないとわかりにくい。カルタだけの、遊びだけでは漢字の「理論」が今ひとつわかりにくいでしょう。ぜひ、カルタと本書を併用してください。
 カルタは、「漢字がたのしくなる本」シリーズの教具として考案されてきました。このシリーズの核は『漢字がたのしくなる本』の「テキスト」と「ワーク」です。この本は、それらと関連するようにも編集されています。
 個々のカルタを説明することで本書の説明になるので、以下3つのカルタを説明します。

■101漢字カルタ

 取り札は、上段に古代文字が、下段に現在の漢字が書かれています。読み札には、漢字のなりたちが簡潔に表されています。
 「馬」の読み札を読んでみましょう。
──よんほんあし たてがみ ふって はしる馬──
 「馬」は象形文字で、馬をかたどっています。「よんほんあし」は漢字のどの部分か、想像してみてください。「たてがみふって」はどうですか? 想像できた人は、この字を見つめていると走っているように思えませんか?
 子どもたちはカルタが大好きで得意です。遊びを繰り返すうちに自然と読み札を暗記してしまい、取り札の絵を覚えてしまいます。ということは、漢字のなりたちをこのカルタによって暗記してしまうということになります。
 漢字(カルタ)101個のうちの76個は部首にもなります。76個の部首に属する漢字は、常用漢字1945字のうちの1337字に及びます。それゆえ101個の漢字は「基本漢字」として扱われます。

■「98部首カルタ」

 「98部首カルタ」の「止」の読み札にはこう書かれています。
──足あとで 足のうごきをあらわす止(とめへん)──
 「101漢字カルタ」にも「止」があり、基本漢字ですが、その読み札は、──おやゆびに ちからをいれて あし止める──
 「止」は足からできた部首です。足からできた部首はそのほかにも、「路」の左側にある「あしへん」、「起」の「己」を除いた部分の「そうにょう」、「登」の「豆」を除いた部分の「はつがしら」などなど、まだあります。「はつがしら」が、どうして足から出来たかですって?
 コンピュータのテキスト文字では説明が困難です。でも、本書を読めば簡単にわかってしまいます。両足をそろえた足の裏側の象形なんですよ。
 「101漢字カルタ」の次に「98部首カルタ」へ進むように企画されています。「部首カルタ」に出てくる部首98のうち54個は「101漢字カルタ」に入っている基本漢字なので、その残りを覚えるだけでいいわけです。この98個の部首に属する常用漢字は1681字で、常用漢字1945字の86%もあります。

■「108形声文字カルタ」

 三千数百年前、中国の人たちは人間の姿や動植物など自然の形などから漢字を生み出しました。それは「絵」のようでありました。これが象形文字の誕生です。ですから漢字のもとは象形文字だったのです。
 その後、書きやすい文字のために曲線が多用される絵のような文字から直線的な現在の漢字に字形が整えられてきました。書きやすく使いやすくなるにつれ、漢字はどんどんその数を増やしていきました。
 今の漢字の大部分(95%といわれています)は、直線的になった象形文字が組み合わされて出来たものです。
 たとえば、「案」は、「安」と「木」を上下に重ねて作られました。「安」は音(読み)「アン」を表し、「木」は意味を伝えます。
 「按摩」(あんま)の「按」は、「てへん」と「安」に分けられます。「108形声文字カルタ」にこんな読み札があります。
──つくえの うえから 名案うまれ てへんがついて 按摩もみもみ──
 一見何の意味かな? と思うかもしれませんが、漢字を覚えるために五七調でつくった歌だと思ってください。この名調子?で遊んでいるうちに、じつは形声文字のしくみを覚えてしまう、というものです。
 漢字には意味があるといわれますが、「案」の中で使われる「安」には意味がありません。「アン」という音だけを表しています。これを音記号といいます。「木」に意味があり、「つくえ」が「木」を連想させます。按摩は手でもみますから「てへん」を連想するわけです。このように部首と音記号から出来ている漢字を形声文字といいます。
 「案」は「うかんむり」ではないのですね。部首を調べると「木」に属します。こう考えると、漢字の部首はむずかしい。部首がむずかしいのは、漢字を部首で分類しようとすることに、じつは無理があるのです。
 「漢字の構造を積極的にとりあげ学習しようとするなら、部首を漢字索引として規定してしまうのではなく、音記号とともに形声文字を組み立てている要素として位置づけなければならない」(『分ければ見つかる知っている漢字』98頁)
 漢字のしくみをそのなりたちから考えるとき、部首でとらえようとすると破綻することが多い。しかし、漢字は、部首と音記号のくみあわせとして見直してみると、わかりやすくなる。こうして「108形声文字カルタ」が生まれました。

2001.9.6. 山田利行 記す

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