「保育≒子育て」から「子育て>保育」へ:連載

この連載は、完結していません。下段に記述した日付によって進行中です。

山田利行 2019.1.28.~

1: はじめに ──「子育て」に目覚めて

 「保育と子育て」。言葉の並びを変えることで、同じ内容に思えることでも見えてくる世界が違います。私は2008年から「保育と子育て」という命題を保育士養成校教員時代から思考してきました。認定こども園を辞め、保育の現場と距離をとりはじめてから「子育てと保育」と並び順を変えることにしました。
 変えた当初は、順序を変えたものの目指すことが特に変化したわけではありません。他の保育園を出入りしていることもあって、私の思考はまだまだ「保育」優先でした。
 しかし、園外で子どもたちと接したり、園の内でなく、園の外で保護者たちと接しているうちに、「保育」優先は変わらないまま、「子育て」の意味を考えることに馴染んできました。
 子どもの「発達」を考えることについては、「保育=子育て」と等号で結べると思っていましたが、それは間違っていることを徐々に認識するようになりました。
 保育を優先して考えているときは、私がその「現場」にいました。現場でその経験を積みながら、あるいは研鑚しながら「保育」を考えていたということが、今更に気づくのです。理論に曖昧さを感じながらも現場をこなす、という感じです。しかし、現場を離れて「子育て」を考え、その保護者に納得のゆく説明をしようとすると、ごまかしがきかないのです。
 朝起きれば食卓の用意をし、食事をし、場合によっては乳幼児に食べさせ、自分の出かける準備をし思いを巡らし、学校へ送り出し、保育園に子どもを送り、やっと走りながら自分の用事に集中できる。子どもの迎えは省略しよう。こうした日常を繰り返すなかで通用する「子育て」の理論とは何だろうか。
 子どもにとって最も大切な人は、親だろうしきょうだいだ。どんなに先生が熱心になろうとも、子どもに慕われようと、親に勝るものはない。手垢のついた表現みたいだが、そうなんだ。
 そうやって、やっと私は目覚めたかなというのが、今の到達点です。連載として、続けて考えてゆきます。

2019.1.28

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