擬育(ぎいく):造語

働いているから保育園に預ける、3歳になったから幼稚園に行かせる、最近では、働いている・いないという親の事情にかかわらずに利用できる「認定こども園」があります。こうした場合を「保育」とし、家庭で親が育てる風景を「子育て」と、ここでは使い分けます。「保育」と「子育て」で違うことは何か? 共通することは何か? と、考えながら、子どもの発達に必要なことを探究します。家庭の子育てで、すぐさま役立つことを心得ます。
──こうして考え、書き始めたのが 2019.1.28。以来5か月経ちました。考えなあかんこと、まだまだあるなあ~と思います。
山田利行 2020.1.7
- 連載タイトルの変遷
- 「子育てと保育」
- 2019.1.28~
- 「保育≒子育て」から「子育て>保育」へ
- 2019.2.19~
- 保育から「子育て」へ
- 2019.5.13~
- 擬育(育てるは似せること)
- 2020.1.7~
- 「子育てと保育」
- 第2期
目次
- はじめに ──「子育て」に目覚めて
- はじめに その2 ── 子育てと「規範」
- 両手に、砂を盛る
- 大家族を考える
- 父親の役割
- 毎日がドラマ、だから保育は楽しい。親はツライ。
- 保育は引き算、子育ては足し算。
- 3歳の自立
- 年齢の数で遊ぶ──「集団」の意味
- 子育てとジェンダー
- 絵本『ガンピーさんのふなあそび』MR GUMPY’S OUTING 1970
- 5歳の伸びしろ──落ちた幼鳥が飛ぶ
- みそっかすの4歳
- 細やかで応答的 / 愛があるから気分的
- 「なまえ」のこと
- 叱られる側で考える
- 感動を共有する、とは? ──共有と共感、そして寄り添うこと──
- 「先生」
- 女人禁制と子育て
- いのちのかたち
- 遊び「もどき」と「遊びを保障する」ということ
- 五感と直観と霊性
- 声に惚れる
- 声の力
- 擬育(育てるは似せること)
- なぜ、どんぐりを拾うのか?
- 棒切れ vs. AI(エーアイ)
- 点から線へ
- 子どもの食感
- 卒園式、入学式の季節に、いつも思うこと。
- 峠(とうげ)
- 310452(さん・いち・0・……)
- 夕陽は大きく見える
- 地球のまわる速さ
- 得ることで、失うものがある
- ダイナミックレンジ
- コロナ禍と子育て(1)連載のテーマを「さがす」
- コロナ禍と子育て(2)子どもは「地域」で育つ
- コロナ禍と子育て(3)ふるさと観
- ※つづく(ここまでを「第1期」とし、第2期につづく)
1: はじめに ──「子育て」に目覚めて

「保育と子育て」。言葉の並びを変えることで、同じ内容に思えることでも見えてくる世界が違います。私は2008年から「保育と子育て」という命題を保育士養成校教員時代から思考してきました。2018年に認定こども園を辞め、保育の現場と距離をとりはじめてから「子育てと保育」と並び順を変えることにしました。
変えた当初は、順序を変えたものの目指すことが特に変化したわけではありません。他の保育園を出入りしていることもあって、私の思考はまだまだ「保育」優先でした。
しかし、園外で子どもたちと接したり、園の内でなく、園の外で保護者たちと接しているうちに、「保育」優先は変わらないまま、「子育て」の意味を考えることに馴染んできました。
子どもの「発達」を考えることについては、「保育=子育て」と等号で結べると思っていましたが、それは間違っていることを徐々に認識するようになりました。
保育を優先して考えているときは、私がその「現場」にいました。現場でその経験を積みながら、あるいは研鑚しながら「保育」を考えていたということが、今更に気づくのです。理論に曖昧さを感じながらも現場をこなす、という感じです。しかし、現場を離れて「子育て」を考え、その保護者に納得のゆく説明をしようとすると、ごまかしがきかないのです。
朝起きれば食卓の用意をし、食事をし、場合によっては乳幼児に食べさせ、自分の出かける準備をし思いを巡らし、学校へ送り出し、保育園に子どもを送り、やっと走りながら自分の用事に集中できる。子どもの迎えは省略しよう。こうした日常を繰り返すなかで通用する「子育て」の理論とは何だろうか。
子どもにとって最も大切な人は、親だろうしきょうだいだ。どんなに先生が熱心になろうとも、子どもに慕われようと、親に勝るものはない。手垢のついた表現みたいだが、そうなんだ。
そうやって、やっと私は目覚めたかなというのが、今の到達点です。連載として、続けて考えてゆきます。
2019.1.28
2: はじめに その2 ── 子育てと「規範」

ものごとを考えるとき、言い方を変えると、何が正しくてそうでないか、となりがちです。子育てを考えるとき、子どものいのちとしあわせが最も大切でそれが目的ですから、それに反しない限り、すべてが正しいということではないでしょうか。「正しい」ことを押しつけられることは不愉快です。
家庭での子育ては一人あるいは二人あるいは三人です。もっとにぎやかなおうちもあるでしょう。それでも、保育室の10人、20人ということはないでしょう。家庭での子育ては「もちあがり」です。保育室では年度ごとに先生が同じか違ったりします。ですから、保育室の先生にとっては「正しい」ことが必要かもしれませんが、家庭の子育てには必ずしも必要でないか、ある家庭では正しくてもある家庭では間違いかもしれないし合わないかもしれません。
こうして考えると、「家庭の子育て」を「保育室の先生」に託したり、その逆もありません。このことはとても大切なとらえかたと私は思います。しかしこのことはとてもむずかしいことです。たとえば、行政は「子育て支援」の目的で様々な施策を行います。「支援」という意味は、主体は親(保護者)であり子どもです。あくまで行政は「支援」なわけです。
「保育」の立場でものごとを考えているときは、できるだけ教条的にならないようにしているつもりでも、規範や理論を求めて、やかましくなりそうな自分に気づきます。「家庭の子育て」を柱に考え直したいと思っているので、しばらくはこういう”反省・自戒”をこめて論点を整理しながら進めようと思っています。
2019.2.8
3: 両手に、砂を盛る
寄せては返す渚(なぎさ)は私の好きな場所です。風の強い日はご遠慮願って、夏はもちろん冬でも、波の音を聞きながら波打ち際にたたずむと膝を折って砂をすくってみます。
両手で砂をできるだけたくさん、山盛りに、すくってみましょう。なるべくこぼれ落ちないようにすくいあげましょう。その手を、おとなの女でイメージします。男はすくえないのです。なぜ? あかちゃんの誕生です。

砂はさらさらとこぼれ落ちます。落とすまいとしても、こぼれます。落ちてゆく砂も美しい。音を立てずに落ちてゆきます。「子育て」とは、すくった砂をこぼさないようにすること、と考えてみたいのです。
すくった砂に「足そう」とするのが「子育て」になっているのが現実だと思います。足すほうが簡単で、足すこと=育てること、と考えることは無理ないと思います。けれども、「すくった砂をなんとかしてこぼさない」が「子育て」と提案するだけで、ハッと気づく人も多いのではないでしょうか。
あかちゃんが誕生したとき、あかちゃんが無事に産まれたことをよろこび、同時に母が元気なことを確かめてホッとします。あかちゃんを抱いて「母」になった実感を、すぐさまかまたは時間とともに得られるのでしょう。「父」も安堵とともにそれを自覚することになるでしょう。ここでは、順番があるのです。母が先で父があと。だから、砂をすくうイメージのその手は「女」でなくてはならなかったのです。
◇
さらさら落ちる体感は養浜した砂浜では得られません。須磨海浜公園の砂浜は視界の広さを感じられる場所ですが、砂つぶは荒くて大きく気持ちよいとは言えません。ビーチサンダルに入り込む砂は、きめ細かい砂だと痛くなく乾くとさらさら落ちます。これも気持ちよいものです。しかし、荒い砂だと痛くて乾くのを待つよりも払ってしまいそうです。名の知られた海浜よりも、ひっそり静かな浜の砂が「子育て」に思いを寄せる砂に向きそうです。
4: 大家族を考える

2014年6月10日の午後、私は、石巻市北部、十三浜(じゅうさんはま)の仮設住宅団地に居た。太平洋の波が陸にあたる。この年の3年3か月前、10メートルを超える津波に遭った。眼下に見える海原から海面が山の中腹までせりあがってきた。漁船が山に突き刺さった。知り合いがいるわけでもなく、付近をさまよっているうちに、山奥の高台にある仮設住宅団地をみつけた。山奥の高台と表現したけれど、眼下は太平洋だ。これがリアス式海岸だ。
団地の入り口にあった屋根付き集会所前のベンチにおばさんが数人、おじさんが一人いた。そのベンチに私も座った。年寄りの土地の言葉、会話は同じ日本語とは思えなかった。さっぱりわからない。95%がわからないと言ってもよい。私にも声かけしてくれた。その問いには応えられた。おばさんというよりも「おばあさん」と表現したほうがよいのかもしれないが、そこは遠慮でなく不明のままだ。そのおばさんたち、しゃべるしゃべる。といっても中身はさっぱりわからないのだが、長く居るうちになんとなくわかってくることがある。
──わたしらの流されてしまった家は、広かったの。息子の家(都会)みたいな狭いもんでない。仮設はせまいせまい。あんなとこ住むとこではない。でも、(流された家に)わたしのいるところはなかった。ごはんつくって、働いて、お客さんの世話をして、でも、わたしのいるところはなかった。これからは遊びまくってやる。男なんか、いらん。(みんなが大笑いする) もう面倒なんかみてやるもんか。自由にさせてもらう。
一人いたおじさんはとばっちりをうけ、あらぬ方向をみていた。その気迫を受け、それだけで今ここにいる自分を感じとった。「女三界に家なし」を現実にした。
◇
「大家族」と「核家族」という言葉をご存じですか。「大家族」は「三世代家族」と呼ばれることのほうが多くなりました。この変遷は簡単には論じられませんが、核家族の社会化を私は支持し受けいれています。戦後、子どもは核家族で育てられてきました。しかし、大家族で育てられてきた過去と比べて、子育てに何が必要で大切だったのか、その多くを置き忘れてきたと私は考えています。
──砂をすくうイメージのその手は「女」でなくてはならなかったのです。
前回の末尾に記しました。母親というだけでなく女性の立場を時間軸で考察しておくことが「子育て」の前提になると私は思うのです。
5: 父親の役割

認可保育所をつくろうとしている園長と話しをしていて、父親の「保育園のファンクラブ」をつくってはどうかと提案した。豊中市のT保育園は上階に保護者や父親が懇談する専用ルームを設置していた。1970年代前半に活動を始めた「兵庫県自然教室」では親たちの参加を積極的に進めていた。父親だけの集まりを夜に開催して好評だった。
窓ふきなどの掃除、遊具製作で父親の手を借りようという呼びかけはよくある。そうではなく、お茶会などで懇談をしようという提案だ。
「火おこし(火熾し)」というイベントを私はときどきする。子ども向けで行うことから「昔遊び」のような捉えられ方をされがちだが、そうではない。古代に火をおこすことが日常だったとしたら、そのつど大変な作業だったとは想像できない。イベントでも火がつくときは3分以内だ。それ以上は体力がもたない。古代の人は日常生活はすべて体力が勝負だから、火おこしはたとえば1分以内でそれも体力をさほど消耗しないことだったのかもしれない。
イベントで子どもが行った場合、子どもは小学生のケースが多い。火は熾らない。家族連れだと、スマホで記念写真となる。舞きり式という方式で、見守っているおとなは貴重な体験だと眺めている。しかし、なかなか火は熾らない。煙がたてばよいほうで、もうちょっと!と励ましているうちに子どもの体力はなくなってしまう。そして、ここぞと父親が登場する。母でなく父なのだ。こうして火おこしイベントは家族ぐるみとなる。父親の活躍で炎を見ることになれば、父の役割が見られて微笑ましい。
あかちゃんが生まれた当初、父はおたおたと見守るしかない。妻を励ましたり、妻の負担を軽くしようと家事をさがし受け持とうとする。
だからこそ、保育園に父を対象としたファンクラブがあり、お茶ときには酒を酌みかわわしながら、子育てを共有する場があってよいと私は思う。大家族から解放されて、では核家族でどうやって子育てをしたらよいのか。父の役割を根っこから考えて欲しいと思う。
大家族時代、用事があって学校へ足を運ぶのは、父の役割だったという。しかし、当時のそれと、いま私が問うていることとは意味が違っている。
6: 毎日がドラマ、だから保育は楽しい。親はツライ。
「血湧き肉躍る」は青春だけではない。幼児期もそうだ。青春の毎日がもしそうだとしたら疲れて心身もたないだろう。だけど、幼児はへこたれない。眠気がさめたらドラマが始まる。泣き終わったら復活する。おはよーと声かけられて、さあ始まったと思える保育者は子どもが見える。ドラマにつきあえる仕事が保育。でもね、毎日はキツイと思ってしまうのが親(ですよね)。
山あり谷ありのドラマではないけれど、遊びたい気持ちが押さえられない。そうしたドラマがゆるされる環境で子どもは育つ。砂場で遊ぶ姿は荒々しくないけれど、見立て遊び・ごっこ遊びにふける。絵本のページをめくるように、始まりと終わりのストーリーがある。あえて参加する必要はないけれど、そばにいてくれているだけでいいのだけれど、保育士や親がおとなが見守ってくれているだけで物語は進行する。いつまでもつきあえるのが保育者。そろそろ帰りたいなあ、帰ってすることあるしと思うのが親。
雨降りでも、かさであそべるよ。テーブルがあれば、お絵かき、折り紙、本読み、なんだっていい。いっぱい遊んだら、片付けなくっちゃ。ルールを決めているのが保育者。結局、最後は私の役目と思ってしまうのが、親。
親は大変だなあって思う。毎日毎日、際限がないのだから。ドラマの主人公、脇役、仲間に入りにくい子、それぞれの正確や発達のようすをフォローするのが保育者の大切な仕事だが、その期待に応えるには不断の準備が必要だ。これを楽しいと思えるかどうか。
そのドラマはいつまでも続くのではない。小学5年生くらいになるとけっこう冷めてくる。早ければ、小学3年生あたりから偶発的なドラマを期待しないで計画好きになるかもしれない。きのうと今日、今日とあすの区別をつけようとするだろう。子育てのしんどさは、子どもにバトンを渡すことで軽減される。心配はいつまでもだが……。
7: 保育は引き算、子育ては足し算。
保育実習前、学生は準備に忙しいが、気持ちも張ってくる。保育室には20~30人の子どもがいる。子どもは「お客さん好き」なので、保育室に入ったとたん「なにしにきたん」と声が飛び交うと同時に、子どもたちが取り巻く。正確に記述してみよう。
じつは、みんなが寄ってくるのではない。幼児であっても、彼らは時間を無駄にしない。遊んでいる最中、佳境さ中の子は寄ってこない。せいぜい首を向けて(誰か来た)と思う程度だ。他人になつきにくい子も来ない。まあ、半分だ。その10人程度のうち、必ず誰かが手をさわりにくる。膝に乗ってくる。手は2つ。ひざも2つ。4人定員で満員。手をつないだ子、ひざに乗っている子。この子らは、みなくてよい。だから10-4=6をみればよい。引き算なのだ。20人いるクラスでも、10人は遊びをやめず、寄ってきた子のうち4人は預り済みだから観察したい子は6人になる。このことを実習期間のあいだに気づけば合格だ。
さらに上等なことを言えば、遊びをやめてまで”おきゃくさん”に寄ってくる子は、遊びが十分でなかったと推察できる。これをヒントに、子どもとやりとりを加えることで、保育者として今すべきことは何かと思いが馳せればさらに合格だが、初心者に望むのは無理だろう。観察すべき子をみつけるのは引き算なのだ。
親に引き算を求めるのは、むずかしい。うちは放ったらかしよ、と言いながらも、気持ちは足し算だ。引き算を誇れる親は少ないし、引き算がよいと勧めるのではない。保育園に子どもを迎えに行き、そのとき、子どもが求めていることは、親の足し算だ。保育士が所詮親になれないのは、こういうことだ。私の考えでは、小学3年生になったら、親は引き算の練習を始めて欲しい。それまでは、足し算だけでよい。
出産で我が子を抱いたとき、出会ったとき、足し算以外あり得ない。足し算で始まる子育て。何をしてやっても足りない思いがつきまとう。子育ては足し算だから。蛇足だが、抱き癖というのがある。これは、引き算思考だ。気にしない、気にしない。抱き癖、けっこう。子どもは足し算を求めている。
かわいい子には旅をさせよ、の成句がある。まさに「旅」が引き算を表している。
◇
ところで、子育てが足し算であるのなら、保育も足し算が正解でないか。引き算で観察すべき子をみつけてからは、足し算ではないか。否、保育士ひとりあたりの受け持ち人数が多すぎるからではないか。もし、保育士1人に担当する子どもが1人ならば、足し算でよいではないか。たとえば、5歳児であっても、子ども5人に保育士が1人だったら、これも足し算でよいだろう。集団の人数としては少ないならば、10人に2人、15人に3人ではどうか。
8: 3歳の自立
満3歳では、自力でどれくらい歩くのでしょう。300メートルほど歩くと抱っこをせがむこともあれば、延々と1キロほどを歩くこともあります。興味次第ということでしょうか。2キロの道のりを歩いている”3歳児”とつきあったことはありますが、満年齢は4歳だったかもしれません。上述とは別の、同じ3歳児が500メートルを歩いたとき、楽しかった思いを込めて「〈遠い〉ところへ行った」と誇らしく話しました。
〈遠い〉という言葉を発しても〈近い〉という表現を私は聞いたことがありません。保育士(おとな)がつかう言葉をその意味するところでわかっているのでしょう。しかし、対語としての〈近い〉はまだのようです。声かけの大切さを悟ります。
保育園など集団で歩くとき、先生が手をひくには限りがあります。手をひいてほしいけれど、明らかに遠慮している子がいます。一つのてのひらに2つの可愛い手が寄ってくることもあります。お互い、歩きにくいですよね。おしゃべりしながら歩きますが、抱っこをせがむ子は、まずいない。しかし、親子だとそれはあっという間です。50メートルも歩けば「抱っこ!」。ベビーカーが目に入ればなおさらですが、ベビーカーに手荷物が乗っていれば子どもは歩く。あるいは、ベビーカーを押すお手伝いをする。気分屋さんで、じつは歩くのも楽しい。
3歳、ひとりや友達といるときは平気で歩いてすごすのに、親がそばにいるとなんでもしてもらいたい。靴もはかせてもらいたい。服も着せてもらいたい。でも、自分で靴もはけるし服も着られる。お手伝いも好き。自立をお手伝いするのが、おとなの役割かなと思います。
9: 年齢の数で遊ぶ──「集団」の意味
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10: 子育てとジェンダー
私の見ている「赤」とあなたの見ている「赤」とが同じでないとしたら──。何で得たヒントか覚えていないけれど、それは男性が見ている「赤」と女性とでは違う、というものだった。「赤」という言葉は共有できるが、彩度・明度など微妙に違うということだろうか。以来、自分(男)の世界と女性が見えている世界とは違うのだろうかと思うようになった。

『変化球男子』(ヘネシー作)に触発されて『13歳から知っておきたいLGBT+』(アシュリー・マーデル)を読み、「生物学的性」に支配されている私に気づいた。女性に近い男性もいるし、男性に近い女性もいる。これだけなら驚かない。むずかしい議論になるのでどう説明したらよいか戸惑うが、直線的なグラデーション(スペクトラム)だけでなく、ありとあらゆるそれこそ「みんな違ってみんないい」の世界だ。これ以上、世界を広げないで話を進めよう。そして、このことを前提にして、男性・女性をつかう。
子を産み、乳を与え・抱き・語り、おむつを替え、遊ぶ。子育ては、男ではなく女に適性があるのでは、という私のベクトルは変わらない。このシリーズ5回目に「男の役割」を書き、3回目でも男女の役割を記した。その脈絡を変えないまま、生物学的性を否定して、「女の子育て」に限りなく近い「男の子育て」があってもおかしくないと考えるようになったことを、記しておきたい。いや!これも直線的思考だ。人それぞれあっていい。
幼少期の子ども、その男女、かかわるおとなの男女についても同様だ。子育てのクライアントではあるけれど、”自分”とかかわってくれるおとな、あるいは同年齢の友達との関係、それらを2分法の男女でみてしまうことには注意を払う必要があるかもしれない。
11. 絵本『ガンピーさんのふなあそび』MR GUMPY’S OUTING 1970

ガンピーさんは、ふねをいっそう持っていて、お出かけしました。男の子と女の子が寄ってきて「つれてって」と言いました。ガンピーさんは「けんかさえ しなけりゃね」と言って、のせてあげました。ふねは進みます。こんどは、うさぎさんが乗せてとお願いしました。「いいとも。とんだり はねたり しなけりゃね」と言って、お客になりました。次に〈ねこ〉。ガンピーさんは「うさぎを おいまわしたり しなけりゃね」と忠告しました。お客は次々増えます。〈いぬ〉〈ぶた〉〈ひつじ〉〈にわとり〉。なんと!〈こうし〉も。〈やぎ〉も。
ラチョフ『てぶくろ』も、たくさんの動物たちがお願いして次々と入れてもらいます。不思議ですが、入れるんですね。子どもの素敵な世界です。無理だと思っているおとながいたとしたら、それは間違ってますよ、ほんとに入れるんですから。私は大好きなお話しです。
ガンピーさんとお約束したのに、みんなは楽しくって忘れてしまいます。
やぎがけっとばし……
こうしがどしんどしんあるきまわり……
にわとりたちがはねをぱたぱたやり……
…… ……
…… ……
とうとう、ふねがひっくりかえります。さて、どうなるのでしょう。みんな、ずぶぬれ。
…… おひさまにあたって、からだをかわかした、とさ。
ガンピーさんは言いました。
「そろそろ おちゃの じかんだから」
おちゃの時間を楽しんで、ガンピーさんは最後に言いました。
「また いつか のりにおいでよ」
1976年、ほるぷ出版から刊行され、今も購入できます。ジョン・バーニンガム作。
こうして、見守られて、子どもは育つ。
12. 5歳の伸びしろ──落ちた幼鳥が飛ぶ
3歳、4歳は親から離れて、園や祖父母の家でひとり泊まりはまだ難しい。でも、5歳になるとドキドキ、初の体験になる機会になるかもしれない。
ツバメやヒヨドリなど、羽がそろってきている幼い鳥が路上にいる場面にでくわすかもしれない。さわらないで! 人間の匂いがつくから。でも、猫に襲われるかもしれない。そんなときは、猫を見張って幼鳥の番人になろう。何かの拍子に巣に戻れなくなったと推察される。ということは、巣が近くで親鳥もすぐ近くにいる。親鳥は我が子を探しているはずだ。そして、我が子を見つけると「ピヨ!」「ジュジュ!」と声をかけ、親を見つけた子は、なんと自分で飛べる!
5歳になると、なぜか階段を2段跳びするような成長のしかたをみせる。実際、2段跳びするかどうかは、親鳥の呼びかけと同じだ。保育ではこれを援助という。3歳、4歳でも2段跳びするかもしれない。しかし、この時期は、「できるよ!」と親に見て欲しいから。5歳のときは違う。親に見て欲しいのは同じだが、〈できるような気がして〉やってみようという内面の発達が自身を行動に促す。だから、〈できるような気がして〉を確かめる結果となり、親に見て欲しい以上に自尊心が育まれる。
〈できるような気がして〉──これを主体性という。主体性は、自身で気づくこともあれば、おとなに促されて〈やってみようかな〉と気づく。友達のしていることを自分もしてみたいと思うようになる。つい先程まで、ザリガニがさわれない・さわりたくないと態度でも表していたのに、友達の初めてさわれた体験を目の当たりにして、意思とは関係なく「さわりたい!」と声を発してしまう。5歳の伸びしろは、自身の意思から有効になるだけでなく、友達や、親・おとなの働きかけ(援助)から大きく影響を受ける。
13: みそっかすの4歳
なんでも自分でやりたがるのは3歳の特徴でしょう。自己中心の気分屋さん。しかし、4歳になると周囲を観察するようになる。1歳でも、大きいおねえちゃんやおにいちゃんがしていることをじっとみていて、真似をしようとする。でも、それとは違う。〈同じこと〉がしたい。今ではあまり見かけなくなったが、まちなかで遊んでいる子どもの集団に幼い子がひとり・ふたりとまじっていた。鬼ごっこで逃げまどうなかにいたその幼い子は4歳や5歳だった。私が子どもの頃は、彼らを「たまご」と呼んだ。遊び始める前に「たまご」を宣言してもらう。つかまっても鬼にならなくてすむ。子どもの遊びを書いているエッセイなどでは「みそっかす」縮めて「おみそ」というのもある。
みそっかすとして子どもの集団にデビューするのが4歳ということになろうか。異年齢保育を保育園で実行すると、3歳・4歳・5歳をさす。しかし、かつて普通にあった子ども集団の年長者は、小学校の高学年がいた。私には、やさしい6年生くらいのおねえちゃんが思い出される。「たまご」と宣言してくれたのは、大きな男の子だったような……。だから「5歳」が異年齢の最年長ではあるけれど、園では先生がその役を引き受けることが肝要ではないか。異年齢保育のむずかしさはここにある。
別な角度から考えると、敢えて3歳・4歳を交えなくとも、先生が常に遊び仲間の年長を演じることができれば、5歳児クラス単独で異年齢保育は実現する。
つまり、みそっかすの呼称は侮蔑的だが、出来る・出来ないを包含して、仲間に加えるというやさしさ、あるいは掟(おきて)を学ぶ輝かしいスタートなのだ。
14: 細やかで応答的 / 愛があるから気分的
親にとって保育園との出会いは、親の都合で子どもを預ける先の選択結果だろう。2015年4月からは幼稚園と保育園のほかに「認定こども園」(名称としては2006年からあった)が加わった。制度としてはそれらの違いを行政は説明をしたが、実際の現場は混乱した。それまでの「保育に欠ける」が「保育を必要とする」と入所条件が変わり、「教育」を目的とすることには、幼稚園に対して認定こども園が加わった。幼稚園が認定こども園に移行するときは、「教育」プラス「養護」になった。これらはすべて”おとなの都合”だ。
6歳の小学1年生は、公立・私立の違いはあっても受ける教育は同じだ。しかし、5歳の幼児は、親の都合で行く先が選択され、受ける教育(養護)も同じとは言えない。義務ではないから極めて少ないが、無就園児も存在する。
とはいえ、私は「認定こども園」に希望をもっている。働いている・いない、という親の都合でなく、子どもに必要な教育の機会を包括的に設定できるのが、認定こども園だから。理想に近い実現には10年以上まだかかるかもしれない。それの肝腎かなめは、お客としての子どもでなく、主体者としての位置づけだから。言い換えれば、子どもを主体者としてとらえるのに、10年はかかりそうだということだ。「細やかに応答的」──子どもの心身を細やかに観察し、必要な援助をタイミングよく応答するということになる。
今回は、少々むずかしくなってしまった。親にしてみれば、細やかに我が子につきあっているし、”後ろ姿を見て育つ”に強迫されて、いつも模範でありたいと思う。「細やかに応答的」は保育を職業としている専門家が目指すことであって、親に対してではない。子どもと向き合うとき、親の場合、「愛があるから気分的」でよいのではと私は思う。愛がないより、愛のあるほうがよいに決まっている。園に素敵で好きな先生がいても、お迎えがきて親の顔が見られたときがやっぱり幸せ。いちいち応答するようなモノサシで測ったような暮らしでなく、出たとこ勝負の気分屋で十分。親子だからわかり合える・感じられる。家庭ではしっかり甘えたい。甘えてくるから、愛らしいし、めんどくさい。
15:「なまえ」のこと
「名」は「夕」と「口」から成る。ある辞書には〈夕方の暗やみで、人に自分の名をなのることにより、「な」の意を表す〉とある。そしてこの説明は多くの子ども向け学習辞書にもある。しかし、白川静の発見と研究によって、まったく違う説明がされている。
まず「口」は「(顔の一部)くち」ではない。「器(うつわ)」の象形文字で、上部にくぼみがあったが、くぼみがなくなり四角い「口」になってしまった。「くち」ではなく「さい」の読みがあてられている。「夕」は「肉」の意味。うつわ(さい)に肉をのせた形が「名」だ。
古代中国では、子は〈神からの授かり〉だった。生をうけてときがたち、名をつけるとき、親は神に感謝し、つけた名とともに肉をささげた、ということらしい。つまり、名づけることは神聖だった。
1歳を待たずして名を呼ばれると振り向く。声かけのなかに自分の名があり、自分と同一になる。そして、フルネームで呼ぶと「はい!」と可愛い手があがる。わたし・ぼくという一人称はつかえず、自分の名がそのまま一人称になる。これは小学校に入学しても続くことがある。
「これはだれのかな?」と呼びかけるようにして問うと、所有者自身が「○○のん」と名をそのまま言って応える。「そうなの、わたしのね」「よかったねえ、ぼくのね」と声かけをそえることで、すぐにつかえなくても、わたし・ぼくを習得できるようになる。
遊ぶことで、「おともだち」「みんな」など人間関係を表す言葉が身につく。名を呼んだり、集団を表す言葉を覚えたりして、「ひと」としてのかかわりを覚え、その中の自分を自覚するようになる。自分に名があるように、ほかの生きものや物に名があることも容易に覚える、多少の間違いはしばしばだが。
16: 叱られる側で考える
子どもに、おそらくおとなに対しても、上手なほめ方はあっても、上手な叱り方はない。叱り方は下手でよい。叱り方に自信はなくてよい。
ところで、叱られたいと思ったり、叱られてもよいと思った経験のあるおとなはいると思う。叱られて、その先、どうして欲しいのだろう。叱られる時間はできるだけ短いほうがよい。一瞬、ひとことでよい。そんな叱られ方だったら、叱られたい。
子どもは、叱られたいと思うだろうか。たぶん、思わない。しまったと思ったら、ごまかすか逃げるだろう。上手な叱り方はないのに、上手な叱られ方は、子どもにとってあるのだろうか。
タイミングよく叱られた子どもは、舌をだす、くちびるをかむ。一瞬にして「ごめん」と返す。つまり、対話なのだ。言い換えると、対話を成立させるタイミングがあったときのみ、叱ることができる。
一概には言えないけれど、後でじっくり叱られるのがたまらない。対話になりにくいからだ。内省というのは、言葉になりにくい。内省を内言と言い換えると、内言を外言として表現できるようになるには時間がかかる。おとなになるまでかかるかもしれない。
先のこたえを記しておこう。一瞬、ひとことで「叱られたい」と思うとき、それは結果で気づくことだが、行動(思考)を外からの力で止めて欲しい、と無自覚ながら秘めている飛躍のときだからか。
おとな(親)が自分の思い通りにならないから、子どもを叱る。言いにくいけれど、これはできるだけ避けよう。対話が成立するかもしれないとき、おとな(親)の思いを伝えたいチャンスかもしれない。これを「叱る・叱られる」というならば、受け入れたいと思う。
17. 感動を共有する、とは? ──共有と共感、そして寄り添うこと──
倉本聰の脚本ドラマ「やすらぎの刻(とき)」を昼にみている。そこで出会ったセリフ。「女に本気で恋したことがあるか!」に続けて「感動を(女と)共有したか?」と爺さん同士の会話。「やすらぎ」は〈やすらぎの郷(さと)〉のことで余生を送る人たちのホームであり、そこで織りなす人間模様が描かれている。戦時下の暮らし体験をまじえ、倉本聰の渾身をみる思いがする。
ドラマのこれからも楽しみにしているが、「感動」は共有できない──と、私は言いたい。「言語(言葉・会話)で説明できない」から感動する。説明できる言葉をもってないから、感動という情動が内的に発生する。感動を体験したときから、その感動をなんとか説明してみようという内的な言語活動が始まる。過去の似た体験で説明しようとする。または、新たに言葉を創造してみようとする。
このことは、個人の一人にのみ特定して発生することで、これを共有することはできない。もし、共有があるとすれば、感動が発生している個人Aに別の個人Bが共有ではなく「共感」していると考えられる。
子が、あることで驚く。これを感動している状態とすれば、おとな(親)が共感することで一体感を生む。誰かの助けではなく、自分ひとりで達成できたとき「見て!」と近くにいるおとなに認めて欲しい。ほめて欲しいのでなく、喜びを共有して欲しいと表現してよいと思うが、その実現のためにおとなが共感できる必要がある。
共感とは、思いやり、「(他者に自分を)ゆずる」=寄り添うというやさしさの情動であり、「感動」への尊重と思う。感動によって、言葉が内的に発生するので過剰な言葉かけは無用だ。
ところで、映画鑑賞で感動をしばしば体験する。映画はテーマがあり、そのテーマを共有する可能性がある。そして、テーマに同調したとき、同伴者がいれば、感動を共有したと言えるかもしれない。とはいえ、その感動のしかたは人それぞれであり、共有ではなくやはり共感がふさわしいと思う。
18.「先生」
3歳の幼児に「センセー」と言わせる。すぐに馴れ、当の先生もニッコリ受けいれる。これをとやかくいうつもりはない。呼び名や呼称は対応するものがあれば、実用や慣習として通用し、便利だ。1970年代後半、私が初めて着任した保育園では、なんと呼び捨てだった。つまり私は「ヤマダ」だった。学園紛争や紅衛兵の影響を受けた男の先生がその園にいて”革命”だった。当時は、「保育士」ではなく「保母」が職業名で女性の仕事だった。男性は全国的にも珍しい存在だった。今通っている保育園では、姓名のうち名を呼ぶ。○○ちゃん。園長も主任も名で呼ばれる。そして、必要があって〈先生〉を使うときは〈おとな〉という。
小学校は別のルールがあってよいだろう。乳幼児に、礼儀やしつけ、あるいは尊敬の念を身につけさせようとしても”発達的”に無理がある。卒園式で園児が大きくなったら何になりたい、を問うとき、ケーキ屋さんになりたい、サッカー選手になりたい、に続いて、「保育園の先生になりたい」と言う。それは先生を敬愛しているに等しい。
私は「先生」と呼ばれることには馴れないというか抵抗があった。2008年、保育士養成校で専任となり、学生からも業務上からも「先生」と呼ばれることしばしばとなり馴れてしまった。でも申し訳すれば、”先生業務”に限って欲しい。と言いながら、私の使用法では、時と場合で使い分けている。親しいとき、親しくなりたいとき、「○○さん」または「○○さま」としているが、そうでもないときは尊敬を含めて「○○先生」となる。むずかしい……。
兵庫県北部、日本海に接する旧・香住(かすみ)町から山奥へ、三川山(みかわやま 888m)の麓に小学校の分校を訪ねたことがある。生徒が2人、先生が1人だった。学校で面会したのだが、じつは親子だった。母親とともに通学し、学校で暮らす。学校では”先生”を「先生」と呼ぶことなく、”先生”は我が子をどう呼んでいたかは覚えていない。それからまもなく、分校は廃校となったと伝え聞いた。
19: 女人禁制と子育て
子育ては、出生を嚆矢として女性を優先とする課題が無数にあると私は考えている。男性の子育てを否定するものでなく、パートナーとしてあるいは男性のひとり親や、もっと積極的には男性の保育士など、男性が子育てに適さないというわけではない。幸せホルモンともいわれるオキシトシンは、女性に特有でなく男性にも幼い子どもとかかわることで増えるらしい。
さて、女人禁制は山岳宗教の儀礼に限らず、救命のため女性が相撲の土俵に上がったことで話題になった。伝統は畏れを含めて尊重し、ときには伝統芸能ともつながる。歌舞伎や宝塚歌劇、ほかにも事例をあげられるかもしれないが、それらは禁制というよりも起源が芸能のかたちをつくっている。ダンスのバレーは男女混成。ちょっと脱線かな。
アマゾンのヤノマミ族では一つの集落で養える人数が限られている。子を産んだとき「ヒト」として育てるか「精霊」として帰すかは、産み落とした母が決断する。村の長(おさ)も男も他の女も関わらない。育てると決断するまで母は子を抱かず、へその緒をつけたまま赤子は野に横たわったままだ。NHKのドキュメンタリーで、母が赤子を抱いたとき何度観ても感動する。
江戸時代の子育て事情をまだ学習中だが、現代と同等、子どもは大切に育てられていた。もしかしたら、現代よりも、子どもの育つ環境は良かったのではないかと思う。その一方で、間引きもあった。間引きについては、貧困を理由とするのでなく、ヤノマミ族に通じる人口調節の働きがあったとする説もある。そして、間引かれるとき、男児は救われ女児を間引いたことは確かなようだ。と同時に、出産時、命を失う母も多かった。
女だからダメで男だったらオーケー。伝統を理由にそれを守るためとして女性が排除される。むずかしい問題と承知の上で「排除」の論理だけでその伝統を守ろうとするのは、それの終わりがあってよいと思う。
子育ては、地球にヒトが誕生したときから続き、伝統は長くても千年単位だ。ヤノマミ族は一例だが、子育てに何が大切なのか、「女人禁制」という制約を取り去って子育てを考えたい。
※女人禁制は「にょにんきんぜい」と読むらしい(『新明解国語辞典第三版』1981年)
20: いのちのかたち
小川も大河もそのもとを遡れば「泉」にゆきつく。「泉」は、その源を求めても、その”もと”を見届けることはできない。始原は湿り気(しめりけ)であって「流れ」ではない。水たまりでもない。天から降ってきた雨や空気中の水分だろうが、それが泉の”もと”でもある。
◇
無数の精子と1個の卵子が出会うさまはこの泉に似ていないだろうか。小川・大河に相当させ、子ども・成人をみるとき、DNAや細胞の説明ではなく、泉に喩えてはどうだろうか。精子と卵子の出会いは生命の誕生であって泉とは違う。出会い後の、あかちゃんの体内に湧き流れるものは、泉のごとくその始原を求めることはできない。しかし、その泡沫な水は、やがて流れとなって目に見える。
目に見えるものを育てるのか、まだ見えぬものを育てるのか、禅問答になりそうだが、「泉=いのち」と捉えたとき、私はその見えぬものを見たい衝動にかられる。そこで今、ひとつ発見した思いをしている。それは「いのちのかたち」。「かたち」となれば見える! そう思ったのだ。
3歳児以下は、野山・田園を歩くと石ころや棒切れを手にする。4歳児になると加えて、どんぐりをひろったりや花をつむ。5歳児はさらに加えて、ザリガニやバッタなど動くものに挑戦する。それらは発達に応じた環境への表現とみていたが、それら、石ころ・棒切れ・どんぐり・花・ザリガニ・バッタは「いのちのかたち」であって、彼らはいのちをつかもうとしているのだ、と気づいた。
年長児(幼児)があかちゃんを見て、「かわいい」と言い、抱っこしたりなでたりさわろうとする。犬や猫をなでる。その行為は「いのちのかたち」をつかもうとし、ふれようとしているのではないか。そして、ふれられるあかちゃんにとっては、それが泉の”もと”のひとつになっているのではないか。
あかちゃんが、食べものをつかんで口に入れる。口に入れるものは食べられるものとは限らないが、つかむさまは「いのち」をつかんでいることになるのだろうか。食べられるものとそうでないものとを、やがて見極める。子どもの手のなかにいのちがあるのなら、子どもを見る目が変わる。
21: 遊び「もどき」と「遊びを保障する」ということ
「かにかま」は「かにかまぼこ」の略称。でも原材料に「かに」は含まれていない。これは「もどき食品」だ。もどき食品としてランク下に見られるのでなく、最近は、価値の見直されもされているらしい。
「遊び」にも、本来の遊びのほか「Asobiもどき」がある。かにかま同様「Asobiもどき」をランク下に見ることなく必要な役割が与えられている。本来の遊びに入る前、その前座として必ず「Asobiもどき」の状態が現れる。状態の時間は2,3分のこともあれば、30分以上の場合もある。「Asobiもどき」の後に「本来の遊び」が現れる。遊びに入り込み熱中する前に、必ず「Asobiもどき」が必要なのだ。2,3分と30分以上の差・違いは、すぐに遊びに入り込めるか、入り込むのに時間がかかる場合もあるということだ。
野球選手がバッターボックスに入るとき、いきなりボックスに立ちピッチャーの投球を待つ選手はいないのではないか。素振りしたり、バッターを上にあげて背をそらしたり、準備運動らしきことをする。心の整理をしているのかもしれない。
オフィスのデスクに向かうときも、デスクの上や周囲を片づけたり、本や資料の置き場所を変えたり、引き出しをひいたり、それぞれに特に意味はなく準備のようなことをする。あるいは、同僚と挨拶したり言葉をかわしたり……。
◇
Asobiもどきの時間が30分かかったとき、さあこれから遊ぼうと心が動いたにもかかわらず帰宅や帰園または移動することになったとき、じつは結果《遊べなかった》ことになる。親子で近くの公園に出かけたとき、子どもの数は1人か多くて数人だ。一方、園の場合、20人ときにはもっと多い。多くなればそのなかに、Asobiもどきに時間が必要な子が混じる。よく遊びにいく公園ならば5分程度だと想定しているが、初めての場所なら20分ぐらいではないかと私は見積もっている。しかし、ふだんから遊ぶ時間が足りない子、あるいは性格的なことも含めて30分以上かかる子もいる。遊び込むことで「Asobiもどき」の時間は短縮されていく。肝腎なことは、もどきを抜け出て遊び込み始めたら、全員が遊び込める集団になる。これの価値を認めて欲しい。
「遊びを保障する」ということは、Asobiもどきの状態を抜けてからの時間を保障するということだ。理想的には「遊びを保障する」時間は90分欲しい。少なくとも60分を確保したい。時間保障の計算は、目的地に到達してからだけではない。園を(家を)出発したその移動を計画に入れ、無意識ではなく意識的に移動も遊びと捉え、保育者(保護者)主導でなく子どもの主体性(研修レベルの理解)を尊重して遊びを誘導していく計画も想定してよい。 計画の全体からみると、「Asobiもどき」+「本来の遊び」の計算式で考えるとき、もどきに時間がかかる子の配慮も必要になる。園(集団)が遊びに重点をおいて計画を立てるとき、十分な時間的ゆとりが必要とわかるだろう。
2019.11.26
22: 五感と直観と霊性
五感は、〈直観〉〈霊性〉と切り離せない。
新生児は五感で生きている、と私は考えている。〈五感を鍛える〉という言い方がよくされるけれど、母の声は胎内にいるときからよくわかっているという。生まれたばかりのあかちゃんは目がよく見えてないらしいが、おっぱいは嗅覚でさがすらしい。裸で生まれてくるわけだが、あかちゃんの体内には褐色脂肪細胞がありこれの働きで体温が調節されるという。裸足(はだし)だと寒かろうと思われたりするわけだが、生まれながらにして体温調節機能があり、五感のひとつ触覚を生かすには靴下は不要、ということになる。
だから、〈五感を鍛える〉のではなく、生まれながらにして持ちあわせている五感を、〈失うことなく〉〈五感を育てる〉という言い方のほうが適切でないかと私は考える。
レイチェル・カーソンのいうように、〈「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない〉とあるように、この脈絡でとらえる場合、もっともっと「感じる」ということを〈五感を鍛える〉というのであれば、まさにそうだろうと思う。
◇
「第六感」を『新明解国語辞典第三版』で調べると、──〔五感の働き以外によるという意から〕直観的に何かを感じる心の働き。勘。──とある。第六感そして直観(「直感」の表記ではない)とは何だろうか。科学的でないにしろ、ピンと来るひらめきを認める人は多いと思う。すべての人は……と、言ってよいかもしれない。〈五感を鍛える〉ということは〈直観〉を期待してその訓練に相当するするのかもしれない。
◇
キリスト教保育では、「神様に見守られて」のフレーズが枕詞になる。幼い子どもは、母に父に家族に、保育者に、そして、神様に見守られて育つ。それだけではない。今からの楽しみも、今日楽しかったことも神様の働きがあればこそ実現している。ごはんをいただくときもその実りに感謝する。他の宗教保育でも同じことが言える。無信仰(無宗教)と主張している人たちも、一人では生きていない。かかわりのなかで何かに感謝することはあるだろう。科学的ではないかもしれない。論証は困難かもしれない、が、たとえば埴輪(はにわ)を見て霊性が伝わってくるように、巨樹に神聖や畏敬の念を抱くように、世に生を受けてここに自分がいることを悟ること、これも必要ではないか。
◇
幼児と手をつなぎ、それを愛らしいと感じるとき、〈五感と直観と霊性〉をひと組とし、切り離せないものと受けとめているからではないかと私は思う。五感は独立しているのでなく、それらを鍛えることで直観を生じさせる。霊性で得られる心の安らかさは五感と直観を保障する──と考えられないだろうか。
23: 声に惚れる
ヒトのからだを解剖学的にとらえるとき、骨格が立ち上がった人体をイメージする。骨格を筋肉が囲み、心臓・肺・胃などの臓器が配置される。野口三千三(みちぞう 1914-1998)のイメージは違った。ヒトを袋にたとえた。袋の中に、骨が筋肉が内臓が、ある。袋だから、ぐにゃぐにゃだ。では、起立するには、どうすればよいのだろう。袋に空気を入れ、ふくらませるのだ。空気とは「呼吸」のこと。空気を入れるためには、しっかり空気を吐く、追い出すことになる。そして、からっぽになった袋に空気をつめる。
骨格や筋肉を体躯の中心に捉えると、からだをやわらかくするための柔軟体操や筋トレに誘導されやすい。袋だと呼吸が第一になる。声は、息を吐くときに出る。
生まれたばかりのあかちゃん。「おぎゃあ」と全身で泣いている。袋から、元気だ!と宣言しているようだ。叱られている幼児は、肩が揺れる。息をこらして元気をなくす。遊んでいるときは、つい調子にのってしまうが、声が全身(袋)から吐き出される。
◇
NHKラジオ深夜便で午前4時すぎ、アナウンサーのインタビューがあってその相手の声が耳に入ってきたとき〈聴いてみようかな〉と誘われることがある。〈いい声だなあ〉と私は声に反応する。アナウンサーの声ではなくお相手の声だ。
──二者間の対話ではことばによって伝えられるメッセージ(コミュニケーションの内容)は、全体の35パーセントにすぎず、残りの65パーセントは、話しぶり、動作、ジェスチャー、相手との間(ま)のとり方など、ことば以外の手段によって伝えられる。──
会話やことばだけでなく、私は〈声に惚れる〉ことがしばしばだ。幼児の会話はつたない。ことばより、子どもの声が好きだ。おとなの場合は〈好き〉というより〈惚れる〉という豊かな気持ちになれる。どんな生き方(良いこともそうでないことも含めて)をされてきたのだろうと思ってしまう。
聞き惚れているとき、ちゃんと話を聞いていないこともある。ごめんなさい。有名人だからではない。ママやパパの声に、ふと心が動く。こまごまとしたことより、声から感じとられるものに囚われてしまう。秘めている何かが袋から出てくるのだろうか。
24: 声の力

舞台演出家の竹内敏晴は「ことばが劈(ひら)かれるとき」(1975年)という文章を記している。ことばや声を職業としている。この本を読んで、そのアレンジを考えた。
Aさん・Bさん・Cさん・Dさんが、この順で互いに前方を向いて並んでいる。BさんはAさんの頭の後ろは見えるが顔は見えない。CさんはBさんの頭の後ろは見えるが顔は見えない。左右に体をずらせば、Aさんの後頭部は見える。というふうに並んでいる。さて、Dさんに心の中で誰か前方にいる人を決めてもらい「おい!」と呼びかけてもらう。A・B・Cの各人は「おい!」の呼びかけをどのように受けとめたでしょうか?
子どもと向き合っていて子どもから声をかけられるとき、必要以上の大きさで話しかけられると「私はここにいるよ。そんなに大きな声を出さなくても大丈夫だよ」と言いたくなる。正確には声の大きさではない。大きな声で自らの意思を伝えようとしているときもある。他者との距離を意識しないで言葉だけを発声しようとしているように思える。会話にならず、伝えようとしている内容にかかわらず不快だけを相手に届けてしまう。

三角形のピラミッド構造を思い浮かべよう。水平に切り分け、4段にする。最下層の広い部分に「聞く」を置きその上に「話す」を配置しさらにその上に「読む」を置く。頂点になる三角部に「書く」を置く。つまり、基底部にあたる下から「聞く・話す・読む・書く」となる。それぞれの構成比が著すように、十分に「聞く」練習が出来てこそ「話す」が身につく。十分に「読む」経験を積んでこそ「書く」ことにつながる。この構成比はおそらく生涯変わらないだろう。
ここからひもとけば乳幼児の体験において、十分に「聞く」ことが必要といえる。絵本を読んでもらうことはすぐに思いつくが、それだけでなく、おとなの声かけがまず第一に大切で、語りかけが常に先行することが必要になるのだろう。人の話、愛する人の話をしっかり聞けることが、のちに「話す」力つまり「声の力」として育つのではないかと思う。
25: 擬育(育てるは似せること):造語(擬育 ぎいく)
野性や自然の映像ドキュメンタリーで、生きのびる生態や野性の智恵が映し出される。「擬態(ぎたい)」の不思議も取り上げられる。
林明子の絵になる『もりのかくれんぼう』は、森に生きる動物たちがかくれんぼうする様が描かれる。枯れ葉に似せた蛾、花と見紛うカマキリ、どうしてそんな遺伝子が発生し受け継がれるのか。林明子の絵は擬態を描くものではないが、森で遊ぶ少女と動物の交流で、エッツ『もりのなか』、センダック『かいじゅうたちのいるところ』などこのテーマで描かれた物語はたくさんある。
「似せる」「かくれんぼう」に連想して「擬態」が気になり始めた。俄に造語「擬育(ぎいく)」が浮かんだ。擬態は何の訳語と思い調べたら、Mimesis があった。単語1つで複数語ではない。「擬態」は誰の訳か知らないが、日本語を創作したのだろう。そして、私は「擬育」と造語してみた。「擬」は真似する・似せるという意味から、「擬育」とすることで「育てるは似せること」と思案することになった。(※同じ音「偽」とは違う)
「子育て」は、もしかしたら、模倣ではないか。擬態の不思議を畏れと表現すれば、子育てを何かに似せようとしたとき、それは畏れといえないだろうか。似せることは、生命の不思議と同じでないか。
ただし、擬育=同調でないことを言っておこう。皆がそうしているから私も同じ事をする同調とは違う。擬育は創造であり、畏れ敬う行為なのだ。
※マルコ・イアコボーニ(2008年)『ミラーニューロンの発見』ハヤカワ文庫 2011年──この本のp66に「人間の物真似細胞」という小見出しを掲げ、模倣は人間の生得的特性とも言える記述がある。(この※項 2020.11.26)
26: なぜ、どんぐりを拾うのか?
ここしばらく数回前から、家庭での子育てから私の保育または子育ての考えに偏ったように思うので、擬育(育てるは似せること)を提案した機会に戻したいと思う。
A保育園を門から出て目的地の田園に向かう。その距離およそ1キロを30分かけて歩く。車と交叉するところでは必ず「右見て・左見て・もう一度右見て、そして音(車が近づいてくる音など)は?」と子ども自身が個々に確認して歩く。歩道のない道を歩いているとき、並行して走行してくる車やオートバイなどを見届けたときは、列が多少乱れていても動きを止め車などが過ぎ去るのを待つ。
子どもの集団は20人前後。2人ずつペアになって手をつなぐ。5歳児は前との間隔を空けずに歩けるし、空けばつめようとする。4歳児は間隔を空けずに歩こうとするもののC君の前やDちゃんの前は空きがちで、空いてもなかなかつめることに意識が向かない。3歳児は偶然に列を為して歩いているというふうで、指示しないと空いた間隔はそのままだ。5歳児も4歳児も3歳児も、黙って歩いているわけではない。おしゃべりが盛んだ。
では、C君やDちゃんの前がどうして空いてしまうのだろう。どんぐりを拾うからだ。途中の公園や街路にどんぐりの木があって、道路にはみだしているとたくさんの実を落としてくれる。それを拾う。
なぜ、拾うのだろうか。どんぐりが好きだから。なぜ、好きなのだろう。同じ問いになる。①ふだん見ないから(つまり珍しいから) ②(やはり)どんぐりが好きだから(なぜ?) ③おとなと比較して子どもは地面に近く拾いやすいから ④丸いから ⑤集めたいから。棒切れもよく拾う。小石を拾うこともある。
想像するに、どんぐりは丸いからだと思う。指でつまみ上げ手のひらで握ると気持ちいいからではないか。1つだけでなく2つ、3つと拾う。歩いている最中だから、集めているのではない。でも、なにかしらつかんでいたい。
唐突だが、田中正造(という人物についてはここでは語らない)は臨終にあたって、携帯していたのは、聖書と小石だと伝えられている。おとなの小石と、子どものどんぐりに同じ意味があるのでは、と思う。棒切れは次回に。
27: 棒切れ vs. AI(エーアイ)
私が子どもの頃、遊びの陣地を描くとき、たとえば、相撲の土俵、石けりで跳ぶ○△□、野球ベースなどを描きたいとき、見渡せばどこかにほうきの柄や棒切れが落ちていて、それを拾えば用が足りた。今は、棒切れどころか代わりになる石ころを探すのも容易でない。
そのことは、遊びの環境として、子どもと棒切れは、過去と今とで縁がなくなった。にもかかわらず、野山で遊んでいると、棒切れが目に入ればめざとく拾う子は多い。なぜだろう。
棒切れを高く振りかざして戦いをするような構えをしたりするが、武器にはならない。山道を歩くときは杖代わりにするふうでもあるけれど、杖にもならない。つかんでいたいだけ、なのだ。
1+1=y≠2(2とは限らない) 妙な式だ。解yは2とは限らない。1を棒切れと喩えよう。1+1=棒+棒。つまり、正解のないことが「遊び」なのだ。遊ぶことで何が身につくか? その「何」に解がないということでもある。
数学が苦手だという方、ごめんなさい。y=f(x) x=1+1+1+1+1+1+ …無量大数… としたとき、たくさんのデータを集めて得られる解が「y」。つまり、なんだか流行りになっているAIによる解となる。
正解らしいAIのyと、(棒+棒)が子どもに与える影響というかその価値は、AIと比較することは適正でないとしても、AIに劣るものでないと思う。AIに勝る「遊び」を子どもたちに体験させたい。
28: 点から線へ
あかちゃんは冒険家として生まれた。生まれ出たその瞬間から冒険家だった。0歳から2歳半までは冒険家。2歳からは探検家になる。となると、冒険と探検の区別をしなくてはならないが、とりあえずは下段のリンクを参照されたい。
2歳のとき、冒険期と探検期がクロスする。このことはいわゆる”いやいや期”(この名称が良くないとの議論もある)の説明にも使えそうだ。(クロスする2歳前期だけでなく、個人差を考慮して2歳後期も移行期になると考える)
探検とは、なにがしかを発見しようとする試み。発見には道具と知識が必要になり、それらは〈試み=体験〉によって磨きがかかる。
3歳児。どんぐりを見つけたら、手を出して拾うだろう。砂浜では貝殻を手にするだろう。庭の石をめくると何やら虫(ダンゴムシなど)がいる。どんぐりなら触れるだろう。一つ、二つと見つけるとまだまだ探したくなる。貝殻は「きれいね」と共感してくれる声かけがあると探す意慾を誘う。ダンゴムシはこわい。さわれる勇敢な子を目撃すると、さわってみようとする。関心に誘導される様は〈点〉だ。
4歳児。森や林、公園に行けば、どんぐりを探そうとする。花をつみたくて、花から花へと蝶のように子どもも舞う。もちろん、虫をさがす子らも舞う。水場や池を見つけたら、カエル・ザリガニ・エビと興じる。〈点〉でもあり動きは〈線〉でもある。私は野外活動の指導で、フィールドについては、あちこち行くのではなく、場所を定め、同じところを季節を変えて繰り返すことが肝要と伝えている。フィールドを固定することで子どもはイメージしやすくなる。期待も高まる。主体性を育てることが可能になる。
5歳児。探検家の集まりとみてよい。何かを見つけたい。何かに出会いたい。もはや〈点〉ではなく〈線〉として認識できるようになり、移動することがこの年齢児の目的になる。〈世界観〉の始まりでそれは〈価値観〉の芽ばえでもある。語彙が豊かになり、さまざまな表現が可能でそれがおもしろい。楽しい。〈線〉になるとは、そういうことだと思う。
2020年2月23日のNHKスペシャル《食の起源・第5集「美食」》で「おいしい」の秘密が探られて興味をもった。「おいしい」と感じられるようになったのは「苦み」への学習ということだった。そして、おいしさを仲間に伝えあう。人類が生きのびる智恵として誰かが(苦みを含む)おいしいと思えるものを共感を通して伝播する。だから、給食や会食の時間は大切なのだ、と学んだ。
複数の〈線〉から〈面〉や三次元・四次元となってゆくには、学齢になってからの学習を待つことになるのだろう。
2020.2.24
29: 子どもの食感

ふきのとうは苦い。どんなふうに料理しても苦い。ふき味噌も苦い。苦みがとれやすい天ぷらにしても苦い。苦みを楽しめないと、ふきのとうは美味しくない。春一番の味で、まだ寒気が残る頃に出てくる。春を待ち焦がれる気持ちが美味しいと思わせるのだろうか。地温は優に10度を超えていて、日照があれば20度を超えているかもしれない。
ふきのとうはおとなの味だ。遊びで子どもに黙って渋柿を与えると、美味しいという子が現れる。二口、三口と進んでも食べ続ける(噛み続ける)。渋みが口内にまわっているだろうに、我慢しているのだろうか。表情が平気そうなときもある。渋みが張りついてえぐいことをおもしろいと感じ、美味しいと発するのだろうか。どうしようもなく不思議な場面に遭遇したことがある。渋柿の季節は寒くなく暖かい。
子どもから菓子をもらうことがある。口内に拡がるのは真っ先に香料。次にいろんな味付けの甘み。苦みとは極にある味だ。子どもは慣れっこになっていても、ふきのとうのほうが楽しく味わえる。
野外で味わえるもので、表情をまじえて「おいしい」と子どもが表現するのは〈水〉だ。夏だけでなく冬でも。「飲めるん?」と驚きの台詞も添える。疑問形の表現だが、自問であり感動の台詞でもある。
2月23日に放送されたNHKスペシャル《食の起源・第5集「美食」》では、古代、人間が生き延びるため「苦み」を美味しく感じるようになったという。その食感は、信頼関係のある仲間で共有された。今日的には、学校の給食であり、家族の食卓であり、仲間との会食に相当する。
絵本では、ホットケーキ、たまごやき、など食べることがテーマだ。馬場のぼる『11ぴきのねこ』で釣り上げたサカナをめぐるドラマがおもしろい。3歳児は食べることが最大の関心事だと、私は思っている。「苦み」が食感を高めるのであれば、ふきのとうは無理でも〈おいしい水〉に出会わせたい。
2020.2.28
30: 卒園式、入学式の季節に、いつも思うこと。

保育園の卒園式ならば、先生たちあるいは親はまだ乳を与えていたあかちゃんのときの記憶がよみがえる。それが今、目の前にすっかりたくましくおしゃべりな入学前の子らを前に感慨なおももちになる。なにも出来なかった(そうではないのだが)子がなんでも出来る子になった。親にとって心からうれしいと思えるときだ。
そして、翌月、入学式。
小学6年生は大きい。それに比べて、1年生はかわいい。校長先生は、もしかしたらこう言うかもしれない。「まだまだ自分では出来ません。おとうさん、おかあさん、保護者のほうで見守ってください」と。親は心ひきしまる。遡れば2週間前、保育園で「おおきくなったなあ」と感慨をもったものだ。それが一気に幼くなってしまう。
4歳児クラスの途中で満5歳になるがそのときから、小学2年生までが「幼児」という見方をしている。1年生は幼いが、発達区分としては幼児期の中間なのだ。卒園おめでとう、そして、入学おめでとう。
2020.3.2
31: 峠(とうげ)
水は、高いところから低いところに向かって流れる。水の流れているところは周りから低いところにあって、谷ともいう。谷筋を、水の流れる向きに逆らって、周囲の丘や山を眺めながら空に向かって歩くと、やがて最も高い所に到着する。そこからの景色はすべて眼下に見える。その高みを「峠」という。(〈峠〉は日本で作られた”漢字”で国字)
参考:『新潮国語辞典』によると「峠」について、──「たむけ」の音便。山の頂上で、神に「たむけ」をしたからという──語源説明にある「頂上」は間違いかな? 『岩波古語辞典』によると、見出し「たうげ」【峠】──《タムケ〈手向〉の転。室町時代以降の形》山道の登りつめた所。──
「一」を横と縦にクロスさせると「十」になる。その横棒「一」を谷筋とすればクロスした場所が「峠」になる。クロスした場所の縦棒「|」は「尾根」(または尾根筋)に相当する。谷筋(横棒)の道を遡って尾根筋(縦棒)と交わったところが「峠」である。このように説明すると、「十」は峠に見えてくる。
周囲の地形で最も空に近く、歩いても歩いても景色がいつも眼下に見える道を「尾根」という。谷と尾根は対照だ。尾根を歩くと、上り坂もあれば下り坂もある。上り坂の最も高いところが山頂ということになる。「十」をもう一度。縦棒、横棒、どちらも尾根で、尾根が交叉して最高峰になる。このように説明すると、「十」は山頂に見えてくる。

◇
サケが川を遡上する産卵の旅は野生のドラマだ。ウナギも川を上る。サケやウナギの稚魚は、おとなになるため、やがて海に向かう。人間のあかちゃんが成長し、おとなになるさまは、方向は逆になるけれど、谷筋で生まれるドラマに似ている。
野外活動で保育園児と山で遊ぶとき、尾根筋を歩けば景色が変化する楽しみはあるが、ひたすら上り下りの道を歩くことになる。谷筋を歩くと水の音が聞こえる。青空や雲を林間に見る。夏は尾根より谷のほうが涼しい。秋の谷はドングリや色づいた葉を拾える。尾根も拾えるけれど、谷のほうが出会いやすい。ただし、危険なのは谷筋だ。下山のとき谷に入り込むと迷いやすい。
尾根筋の一番低いところが峠で、谷筋の一番高いところが峠。峠は、谷と尾根が交叉するところになる。谷を登りつめて峠に辿りつき、歩いてきた道のことを思うのが好きだ。一般に尾根は歩きやすく、谷はときに険しい。でも、平坦な尾根より、やや険しく流れの水音が聞こえる谷筋を歩くほうが、気持ちがまぎれて落ち着く。
2020.3.17
32: 310452(さん・いち・0・……)
数字の並びは年齢を表している。以下、少々独自すぎるところがあるように自分でも思います。保育園等関係者のみなさん、断る必要もないでしょうが、ひとつの見方としてご参考になればと思います。「歳」と「歳児」違いにご注意ください。
◇
乳幼児の発達過程で一番むずかしいと思うのは2歳だ。『二歳半という年齢』(久保田正人/著 1993年)に物語られている。対象(人やモノ)をみる目やその受け取り方、対処法が2歳の前半と後半で様変わりするようだ。保育園の2歳児クラスでは、前半と後半が混じる。
次にむずかしいのが4歳。「4歳児クラス」がむずかしい。4歳児クラスの子らは年度途中に5歳の誕生日を順次迎える。野外活動では、満5歳を迎えると飛躍的な成長をみせる。もちろん個人差はある。2歳児クラス同様4歳児クラスも年度途中で発達のようすに飛躍がみられる。それが集団として混じり合うからむずかしい。
5歳児クラスは個人差はあるものの目標を立てやすい。
最も”幼児らしい”のは3歳から4歳へと向かう3歳児クラスと思う。3歳児と5歳児は、右肩上がりの直線グラフで発達をみせてくれる。
あとは埋め合わせで、順序を考えてみた。「310452」は難易順に並べてみた。単年度の1年間でみせる乳幼児の成長は著しい。
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家庭で我が子をこの順番で育てることはできない。保育園だから実現する。このことからだけでも保育士の専門性を説明することは可能だ。
しかし……、一番むずかしい2歳児に好かれる二十歳過ぎの若い保育士(男女を問わず)がいる。園長らとこの話をすると「やっぱり感性よね」の声が返される。感性って何だろう。保育のおもしろいところだ。おとなの決めたとおりにはならないとつくづく思う。
ところで、家庭では、特に母親の実感は違うだろう。新生児期(生後4週間)を過ぎたあたりからゼロ歳のときが、ツライ。0歳から1歳は育児に専念で、自分の楽しみも必要な仕事も、とりあえずは棚上げにするしかない。パートナーの育児参加が何よりも助けになるかもしれない。2歳の誕生日頃になると、多少の会話を子どもと交わせるようになりホッとする。施設での保育と家庭の子育てとは、かなり意味合いが違う。
2020.4.1
きょう(2020.9.16)1歳児クラスの難しさを現場の保育士に説かれた。それで、順番を変更する。2歳児クラスの難しさと比較して、1歳児クラスも難しいと……。ということで、「305412」と。
2020.9.16
33: 夕陽は大きく見える
お彼岸のとき、大阪市にある四天王寺では、西門にある鳥居の方角に陽が沈むという。それを目撃したいと狙っていたのに、今年(2020年)はそれどころでなくなった。
NHKラジオの子ども電話相談で「沈むおひさまはなぜ大きいの」と質問したところ、「同じ大きさだよ。大きく見えるだけだよ」と応えていた。夜の野外活動で星夜の説明をしているとき、私が「星はこっちからこっちへ動いている」と指さししていると、見知らぬおとなが寄ってきて、「星は動いてない。地球が動いている」と口を挟んできた。余計なお世話だ。
太陽がまさに水平線に沈むとき「もうすぐジュッと聞こえるよ」と子どもに説明する。水平線近くでは、太陽はまさに動いている様子が観察できる。「なんも聞こえへん」と子どもが返してきたら「遠すぎるからかなあ」と笑ってごまかす。
太陽は毎日海に沈んで、あくる日は新しい太陽が生まれて昇ってくると続ける。〈ウソやん!〉と思いながら会話を楽しんでくれる。
私は〈正しい・正答〉を言いたくない。見たとおり、今、目にしたことを記憶にとどめてほしい。沈む太陽は赤々として確かに大きく見える。地球は動いていると感じられない。星が動いていることは容易に確かめられる。太陽が海に浸かる音、それが聞こえないのは残念だけど、ロマンを伝えたい。
正しい答えがあるとすれば、おとなになるまでに、いつか必ずどこかで学ぶことだろう。
参考:国立天文台webサイト 月や太陽が大きく見えるのはなぜ?
2020.4.15
34: 地球のまわる速さ

地球がまわっていることを5歳児と確かめあったことがある。
地球って、動いてないよね。でも、昼と夜がくるのは、地球がまわっているからだよ。どこまでわかっているか、わからないが、子どもたちは私の話を聞いている。
問題だよ。
- 地球が動いているって、アリより遅いか速いか?
- 三輪車より遅いか速いか?
- 歩くより速いか遅いか? ──と、私が歩いてみせる。
- 自動車より……
- 新幹線より……
- 飛行機より…… と。
子どもらは考える。何を基準に考えるのだろう。
それぞれの設問に正しいと思うものに手をあげさせる。けっこうバラバラにどの設問にも手があがる。どれが正解とは、私は言わない。
保育士養成校の学生も、考える。彼らは、地球が自転していることを知っている。このおとなである学生は、何を基準に考えるのだろう。地球の直径は何キロメートルだっただろうか。数学や理科は苦手だ、とも思っているかもしれない。
──では、地球に今だけ自転をやめてもらって、自分の足で昼と夜を作ってみてはどうか。つまり、24時間で地球一周するには、どうすればよいか、と、ヒントを出す。
幼児にもどる。じゃ、目をつむってごらん。「なんか動いている?」と尋ねれば、「動いてる!」と返ってくる。「目をつむったままだよ!まだ目をあけないでね。どっちに動いている。手で教えて!」と、さそえば、思い思いのほうに手が指し示される。
この遊びは、ここで終わる。正答は言わない。
理解させる方法がない。動いていることが確かめられたら十分だから。子どもらは、一瞬、答えを求めてくる表情をするが、次の話題や遊びにふって、これはおしまいにする。
2020.5.1
35: 得ることで、失うものがある
保育の始まりはどうであったか、「幼児教育」ではなく。
一つは、農繁期、母と田に出て、働く母の目が届かないところで水難事故が多くあった。それで、”期間限定”で共同保育が始まった。
一つは、教室で学ぶ少女は、おさなごを背負い子守をしていた。それはいけないと保育が始められた。
母とか少女と記したが、時代がそうだった。明治期のことだ。わずか百年前のこと。百年は3世代に相当する。80、90の婆さんは、ああそうだった、と証言するだろう。
教育は、なんのために、誰のために必要だったのか。富国強兵。兵の時代はもう過ぎている。殖産興業は、平成から令和の今にも引き継がれている。一国の宰相は民を守ろうとしているのでなく、富国のために民を必要としていて、教育で施されるその内容は、富国のためにある。
コロナ禍にあっても同様だ。オリンピックをなんとしても挙行せねばならない。経済を再開しないと、財政がもたない。国民の不安解消より国家台所優先。(これ以上記すと脱線するので、ここまでとする)
政治や福祉をよく知らなくても、子守しながらでは勉強できない。親が働かないと食べられない、生きられない。背中の子が憎いこともあっただろう。「五木の子守唄」や三木露風の童謡「赤とんぼ」にも著されている。働く親たちが保育所つくれ!と、声をあげたのは戦後になってからだ。保母(保姆)が保育士の呼称になったのは、なんと平成になってからだ。
嫌なこと、つらいことは、避けたいし改善したい。そのことが、人類にとって発見や発明にもつながる。そんな大層なことでなくても、生き甲斐につながる。
しかし、あまのじゃくになってしまうが、──得ることで失うものがある。背中の子を気遣いしなくてよくなったけれど、今では、子どもの遊び集団は同年齢になってしまい、大きな子が小さい子と遊ぶという場面を、まず見ない。おもいやることを必要としなくなった。価値観の近い者どうしが遊ぶとき、自我の衝突が起きるのは当然だ。
福祉とは〈ほどこし〉や〈善〉だけを行うのでなく、失ってはいけない歴史的遺産を、どう後世に引き継ぐのかも──重要と思う。
2020.5.15
36: ダイナミックレンジ
音楽用語でピアニシモは、小さな音。音楽を専門とされている人には「小さな……」という表現では物足りないだろう。弱く、もっと弱く、いや、もっとソフトにやさしく繊細にということになるだろうか。
フォルティッシモは、その極にある。
ピアニッシモからフォルティッシモまでの拡がりを音響の世界ではダイナミックレンジという。私は20代、この拡がりを「感動という名のものさし」と表現し、野外活動の指針としていた。
まったく音のしない世界、つまり、無音は自然界にあるのだろうか。まったく光がない世界、つまり、闇。これも自然界にあるのだろうか。6月6日は満月だ。満月はとっても明るい。昼間のように、お月さまの影ができる。お月さまの影は、お日さまの影より暗く濃い。真っ暗だ。竹やぶや大きな木の影、昼間は涼しくて気持ちいいけれど、満月の影は真っ暗でコワイ。夜8時頃、外に出てお月さまの影をさがしてみよう。影踏みで遊べるぞ。
音については、絶対に、洞窟が体験にグッドだが、なかなか機会がない。姫路北部の生野銀山跡が観光で公開されている。行楽先に選び行ってみるのもよかろう。
山で冷たい水に出会うこともダイナミックレンジ獲得の資源になる。水たまりがあると、子どもは入りたがる。泥水遊びも楽しい。大雨のとき、安全を確かめた上でカサをさしてみよう。凄い音と力が伝わってくる。虹は、虹が輝いているところで、細かい雨が降っていることを報せてくれている。
おうちでできるダイナミックレンジ獲得法。たとえば、たまご。生たまごを上手に割る練習をしてみよう。そして、次は、ゆでたまごを作って、殻をむこう。おっと、その前に……。たまごをコマのようにくるくるまわしてみる。ゆでたまごはクルクルと回転するけれど、生たまごはゆーらりとゆっくりまわる。
ダイナミックレンジは、五感をたくみにつかった「からだのものさし」ともいえる。
2020.6.1
37: コロナ禍と子育て(1)連載のテーマを「さがす」
新日本フィルハーモニー交響楽団が、よく知られている「パプリカ」をテレワークで演奏した。そのドキュメントをBSで観た(聴いた)。ある団員が提案したが、団員は即座に賛成したのではなく、メンバーは少しずつ集まった。ある団員は「オーケストラはテレワークから最も遠いところにある」と思っていた。これは技術あるおとなの集団だ。「パプリカ」は62人で演奏されるまでになった。
乳幼児はおとな集団のようにはならないだろう。小学生も低学年は同じく成立しないだろう。野外活動はオーケストラ以上にテレワークに馴染まない。
科学より宗教が支配していた西洋社会を、ペストが滅ぼした。その後に産業革命を招来した。天がまわる世は去り、地球自身がまわる時代になった。コロナ禍で惑う私たちは、これに相当する時代に遭遇したのだろうか。乳幼児の子育てに、その育ちに、小学生の学びに何が必要で、必要でないものは何か。オーケストラの取り組みで、私は大いに刺激された。
現代人に無縁と思い込んでいた武士道。その武士道(新渡戸稲造の)を虚心坦懐に学ぼうとして(どこまでわかったか怪しいが)「きたえる・おもいやる・ゆずる」を発見し(他者からどう思われようと)見えや飾りを取り除ければ、この3つの言葉に尽きるとつくづく思う。新しい時代の子らに期待しよう!
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コロナ禍で野外活動にも制限が加わり、3月から保育園と芦屋で活動を休止してきたが、今月6月から活動を復活させる。この連載についても、テーマをどうしようかと考えていると、それが浮かばない。つまり、テーマは、活動のなかで、子どもと向き合っているとき、または保護者と出会って気づいたことがヒントになっている、ことに気づく。
〈コロナ後〉とは到底思えない。〈コロナとともに(ウィズコロナ)〉を受けいれる気持ちにもなれない。尊敬するノーベル賞学者・山中伸弥教授は「コロナとの共生」を主張しており、その主旨はわかるつもりで賛意を寄せている。それでも、私には本音でまだまだ遠い思想だ。「ペスト」で少し著したように、時代の変革を感じるようになり、重々しく受け止め始めている。理解しようと努めているが、到来するだろう新時代を予期するのが精一杯で、その反動で取り残される自分を自覚するしかない。今の乳幼児そして子どものカテゴリーに含められる小学生の邪魔にならないよう、残された仕事は何だろうと考えるようになった。
2020.6.15
38: コロナ禍と子育て(2)子どもは「地域」で育つ
3月の初めから6月半ばまで、子ども(幼児と小学生低学年)に接する機会を失った。そして、6月半ば過ぎから、ようやく再会となった。長かった。寒くても頑張って山登りをした2月から季節は一転、夜7時になっても明るい夏至を迎えてしまった。
コロナが憎い! 悔しい! でも、グローバリゼーションや気温温暖化など人間の仕業の結果だから、受け止めるしかない。幼児と関わると、幼児らがおとなになったとき、私たちが置いていった負債をすべて背負い込むことになる。それが申し訳ない。ごめんなさい。
保育園の園庭に足を入れると「♪ヤマダセンセー」と大きな声が飛んでくる。マスクをしていてもわかるんだと思う。「おじいさんになった?」と問いかけられた。どういう意味? 「前から、おじいさんだよ」と腰曲げ杖つくまねをした。ダイエットに成功したつもりなのに、年齢詐称はできない!と思い知る。 ともかく、子どもたちの元気な様子にホッとする。
しかし、……。この3か月以上の空白。保育園の、保育士の、親の、地域の、それぞれの役割は何だったのだろう。これの影響は10年以上後に表れるのかもしれない。いや、何事も無かったように、時は語るかもしれない。しかし、……。私は、まず反省として、「遊び」の重要性を訴えながら、それの取り組みを急がねばならないと気づかされた。「遊び」はグローバリゼーションとは真逆で、極めて地域性を伴う。乳幼児の育ちについて、地域のありかたをこれまで以上に考えるようになった。子どもたちの育ちは、地域の暮らしと不可分で、地域があっての暮らしと言える(ようになって欲しい)
しかし、……(が続いて、ごめん)。地域における子育て、というものは今や空虚だ。ここに希望を見いだせる地域を創出して欲しい。コロナ禍で、子どもを救えるのは、その発達を支えるのは、地域(だけ)だと思う。その「地域」に「保育園(認定こども園・幼稚園も)」も含まれる。
2020.7.1
39: コロナ禍と子育て(3)ふるさと観
若いとき、およそ20代の頃は、「ふるさと」という言葉は余所事だった。
ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの
室生犀星の名作とされるこの詩も、”名作”として味わう程度のものだった。
コロナ禍で、世紀レベルで時代の変化を想像するようになった今、”ふるさと”を我が事として実感するようになった。
私の「ふるさと」は3つある。1つめは、林田川以東の播磨平野。私は長男で育ったが、貧しかった。90になった母に確認すると、3歳のときから、しばしば母の母宅に預けられていたらしい。母の母、つまり祖母がいたのが播磨だった。「家のない子」と祖母は泣いたという。播磨の田舎で育ったことが、自然好きな基礎を育ててくれたと私は思う。2つめは、神戸市兵庫区の平野。有馬街道と都会の接点だった。ここに19年住み、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学の初めと、子ども時代から青春期まで過ごした。だから、友達の顔と地域が結びつく。
今の明石に移り住んで35年になるが、隣の町名すら覚えられない。「まちづくり」には深くかかわっているが、ここは「ふるさと」にならないだろう。
ふるさとの3つめは芦屋だ。私のふるさとではない。ここでかかわっている子どもたちが〈芦屋をふるさと〉と思うようになるにはどうすればよいだろうか、と考えている。そして、「ふるさと」とは何だろうかと、コロナ禍で考えるようにもなった。それは、大切な発達の時期、育ちの時期を、コロナが奪ったからだ。正確に言えば、コロナが奪ったのではない。コロナに脅える子どもとその親、地域を導かない政府が奪った。
ふるさと=地域。ここ芦屋で育つ子どもらに、誇りをもって「ふるさと」を創出したいと思う。
(つづく)→ 第2期
山田利行 2020.7.16 連載中
▶子育ての確からしさを考える
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