
「終活」を「終静」としてみた。私の造語。〈活〉が馴染めなくて、よりマシには〈静〉が似合うかな、と。「空気」を冠したのは、そのようにありたいと思うから。
この世に生を受けたとき、あかちゃんのとき、おぎゃあおぎゃあと賑やかだった(だろう)。終静のときは、意思をもって静かにしていようと思うし、そうありたい。
自己は”錯覚”ではないかと思い始めた。自己は「他者」によって規定される──に辿りついたからだ。「他者の理解」に関心が深まった。
信条で「失うものがないとき、やりたいことができる」。その一方で、「守りたいものがあるとき、それに縛られて、やりたいことが十分にできない」と考えている。だから、〈守りたい〉ものを減らすようにしてきたつもりだ。
〈守りたい〉ものの最大は子育てだろう。子がいない場合でも人間関係だろう。守りたいとはいえ、プラス思考すれば言葉通りだろうが、負の捉え方をすれば望まない人間関係も〈守りたい〉に含まれる。人間関係以外では、モノとか楽しみや欲望を満たす情報だろう。
飛躍するが、〈守りたい〉ものを、観念的だがそれをなくしたとすれば、では〈自分〉はどうなのかと辿りついている。自分を消し去るようなことを思うと、では〈やりたいこと〉とは何なのだという問いが出てくる。
自分を消し去るという思考は、このページのような文章をなぜ書こうとするのかという矛盾も感じる。文章作法として、具体的な誰かを浮かべて書くことを信条としている。そのことと、文章を書く行為=認めて欲しい、ではないことを、どのように区別するかも課題だろう。
2020.12.1

- 私は、1950年生まれ。今(2020年)は70歳だから、終静をいうには”若い”。
- しかし、70歳を過ぎれば、年齢で競うのではなく、健康をどう維持して、望む生き方をどこまで続けられるか、という課題に向き合うことだろう。
- 終静を謳うということは、「終わり」を意識することだ。なんでもかでも自分でするというのでなく、何を後継にゆずるか──ということで、私の命題だ。
「終活」をネットで検索すると、終末の言い換えを「終活」とし、終末につきまとう”暗さ”を、明るくしよう・前向きにとらえようという空気を感じる。「完成期・医療(福祉)」という言葉にも出会った。自分の人生を「完成」と捉えるのには違和感がある。何をもって〈完成〉とするのかわからない。人生とは、永遠の未完ではないか。
- 自己は”錯覚”か?! (2020.12.1)
- 自分ではわからないもの
- 自分の声
- 自身の体から伝わった声(音)を聴いている
- 自分の顔
- 鏡や写真など映した姿しか見られない
- 自分の名前
- 他者がそう呼ぶから、それに応えることで「名前」になっている。
- 自分の死を見届けることはできない。
- 自分の声
- 他者の存在を認識できるから自己がある。
- 他者から見られる・他者とかかわるから、自己が存在する。
- 自分ではわからないもの
未完を受け入れる | 晩年とは何か

自分が辿った時間の長さは、自分なりにだが、それは自覚する。他人(ひと)のことはわからない。これを援用すると、自分が辿った時間の長さしかわからないということだ。こうして考えたとき、確実に終末に近づいていることは確かなのだ。脳血管が突然破裂するかもしれない、そういう老齢化は進んでいることを受け入れざるを得ない。かつて、ある日、めまいに襲われ、メニエルになった。それを経験しているだけに、何があってもおかしくない。
しかし、元気だ。野山を歩き回る体力は、20代にも負けないと思う。だから、当分の計画は立てられる。まず、元気なうちに野外活動保育のマニュアルをつくり、後継者を育てたい。20代から蓄積してきたデータ(文章・写真・資料)が自分でもわからないほどある。これを整理し、自身を第三者的に観察して、記録しなおし、のこしておこうと思った。この作業だけでも数年はかかるだろう。数年先となると未完になるかもしれない。晩年であることは、間違いない。
気にならなくなった
守りたいものがあるとき、思い切りやれない。失うものがないとき、思い切ったことができる。守りたいことの代表は「子育て」だろう。だから、子育てから離れることが自分を見直すカギになる。「離れる」の意味が問題だが、ここではふれない。やっかいなのは、しがらみ・縁・義理。
ひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいく。手垢のついた表現だ。前者はそのとおりだが、後者がなかなか受け入れられない。しがらみ・縁・義理が幾重にもあって、それで受け入れられない。「幸せとは何か」の命題に対し、その要素は「健康」と「仕事」に収束するという、というのを、入江一惠さんの本『食からひろがる地域のつながり』で知った。これを解題するのは深淵だ。
しがらみ・縁・義理は、「幸せ」を妨げる。あるいは、煙幕となる。いきかたを惑わせる。どうせ「ひとりで死んでいく」んだ、無の世界にいくんだと自分に言い聞かせることで、気にならなくなった。元気なうちに、今までしてきたことを整理し、伝える努力をしておくことが、それこそ恩を返すことだと思うようになった。
きっかけ
時間は十分にあるのではない──と自覚したのは、ふたりの死だった。そのうち一人O氏は、私と同い年だった。続けさまのことだった。O氏は余命宣告を受け、ターミナル・ケアを選択し、多くの友人をベッドに招待した。それが衝撃だった。ベッドに横たわって、笑顔も見せた。まもなく他界した。
条件は、あるだろう
子どもたちがそれぞれに独立し、それなりに生活できていることが、選択に自由があるということを認めよう。面倒をみなければならないと思ってしまう障碍者が近親者にいないことも、そうだろう。これは個人の限界を超える。社会に引き受ける制度がなければならない。自助・共助・公助のしくみのことだ。
血に染めし歌をわが世のなごりにて 啄木
1970年、神戸から東京に向かう当時は時間のかかった列車の中でこの歌詞に出会った。短歌だからこれは上句になる。下句は覚えていない。意味は違えど、ふたたびこの気分。
今は前期、2030年から後期
ずいぶん身勝手なものだ。すでに80代以上の方に申し訳ない気分にもなる。前期や後期と区分しているが基準はない。10進法にしたがって、記憶しやすいというか適当に分けた。しかし、目標にはなる。後期は果たして到来するか。
前期の目標はすでに述べた。後期は? 生きていたら、前期の整理から課題がみえてくるかもしれないし、前期よりもゆるやかに目標をもちたいと思う。
山田利行 2019.4.30記す
2020.10.9見直す
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