
涙は自分のために流す(人の為には流さない)。これは、私の持論です。この解題は別な機会に。
涙で気持ち(心)が癒される。幼児は、泣くことで立ち直れる。それには条件があります。まず、しっかり泣くことです。と言いながら「しっかり+泣く」には形容矛盾があるでしょう。泣いている本人に、しっかりは使えない形容と思われます。言い換えて、十分に泣くということでしょう。泣きたいときは泣きなさい、ということですね。泣くことで、立ち直れる。
ここで、おとなは間違いを犯しやすい。泣いている最中に「どうしたの?」と声かけしてしまうことです。あるいは、何やら話しかける。泣きたいのだから、泣かせておけばよい。泣くことで、立ち直れる。
立ち直ってから、さて、尋ねればよい、「どうしたの?」と。話したければ、涙声の何を言っているのか、よくわからない状況を避けることができるし、おとなの通訳も必要ない。
じつは、幼児であっても、いつのまにかおとなの心を読み解いていて、泣くことでおとなが声かけしてくれ、自分の味方をしてくれるという算段だ。母親が我慢して泣きやむのを待っているのに、おばあちゃんがかばい始めてしまう。その逆もあるでしょう。立ち直るチャンスをおとなが逃していることになります。
幼児期のすばらしさは、泣くことで自らを癒し、立ち直るのです。
レジリエンスという聞き慣れない(見慣れない)用語があります。最近、よくつかわれています。子育てではなく、社会人教育・企業研修でつかわれているようです。それが、子育てにもつかわれるようになっています。子育てのハウツー本で、レジリエンスを扱ったものをみかけます。子育ての難しさを思ってしまいます。「立ち直る」ということは、子どもの成長過程でとても大切です。「立ち直る」必要は、毎日のように頻繁におとずれるはずだからです。その大切なことを、本で学ぶ時代になったのかと思ってしまいます。

ミネルヴァ書房が発行する「発達」誌145号(2016年)の特集は「子どものトラウマのケアとレジリエンス」です。トラウマとの対比でレジリエンスがとりあげられています。極限では心理ケアが対応策だったものを、負としてでなく、前向きにとらえようという論点です。他の本とは、ちょっと違うな、という印象です。子育てにレジリエンスを軽々につかい、ハウツーに仕立てていることには、がっかりです。
涙の跡をのこしながら懸命に生きていく姿は、子どもを頼もしく思えるときでもあるし、成長・発達に期待できるシーンにもなります。「レジリエンス」は難しい用語に思えますが、「立ち直る力」と読み換えることで、格別むずかしい用語でないことをお伝えしたくて記しました。
山田利行 2019.4.24記す
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