障碍の「碍」という用字について

こんにちは

 宝塚市長は、「障碍」を公用文に条件付きだが採用すると2月議会で表明した。全国初の自治体になるらしい。2019年4月から実施する。宝塚市の政策変更は、今日的課題もあると思います。
(1) 障害者権利条約などで規定されている「合理的配慮」 (2) ユニバーサルデザイン (3) インクルーシブ教育
 障碍者をとりまく環境や課題意識は批判も多くありますが、法整備の進む中、教育現場等で、世界的な流れに乗るしかなく、ゆっくりではあっても、あるいは後退する場面はあっても、進んでいる方向は(1)(2)(3)と思います。特に、障碍を属性としてみる「インクルーシブ」の立場からは、代替の言葉「障碍」が存在する以上、「障碍」を選択し、それの整備をはかるのが政策として優先順位に加えられるのは自然ななりゆきかもしれません。もっとも、「障碍」は代替ではなく、本来の表記なのですから。
 教育現場でも使用頻度の高い言葉でしょう。アクティブラーニングのテーマに採用すれば、小学生でも議論可能と思います。言葉を変えただけでは本質は変わらないとする声は少なからずあるでしょうが、本質を変える機会を作るのは言葉でもあるはずです。小学生が教室でそんな議論をするようになれば、時代は変わると私は思います。

山田利行 2019.2.23 記す


 「心身にショウガイがある」という表現のとき、ショウガイに漢字を当てると「障害」になるのが普通です。しかし、私は「障碍」とします。こう宣言したのが、1983年2月です(※最下段参照) いつしか「障がい」という表記が現れ、今では標準のような表記になり、「障碍」も多くの人が使うようになったので珍しくはなくなりました。
 以下で述べますが、「障がい」は「害」の不使用によって表記されるようになったと思われ、国語国字問題の観点からは一般にはあまり理解されていないのではと私は推察しています。
 「碍」は、常用漢字表(以前は当用漢字表)にない文字です。こうした表にない漢字を「表外字」といい、表外字は、[同じ音で意味の近い漢字]を当てることとされました。このようにして代わりに当てられた漢字を「代用漢字」といいます。つまり、「障害」は「障碍」の代用漢字(または代用表記)です。
 常用漢字という制度(政策)は、多すぎる漢字の使用を制限するものです。これは、法的に強制されるものでなく、公文書の規範であり、報道各社は自らがこの制約を進んで採用しているものです。学校教育はこの制約のもとに行われているので、これが結果として、国民の文字や表記に対する認識をかたちづくっています。
 漢字の使用制限については、原則、私は賛成です。「制限(制約)」という表現では抵抗はあるものの、文字の使用が、特権階級のものでなく、誰もが自らの能力とおかれている立場や環境において、自由であるべきだからです。諸橋轍次が編纂した「大漢和辞典」では漢字の数は約5万です。すでにもう使われることのない漢字も多数あり、小川環樹らが編んだ「新字源」の所収漢字は約1万。常用漢字の数は約2000。かなりの削減です。ここまで減らすものですから、意外なものが常用漢字に入ってなくてよく話題になります。
 仔細には検討が必要でしょうが、2000まで減らせば確かに制限(制約)と言えるものの、議論することはよいことですから、議論を重ねたらよいと考えます。
 しかし一方で、「正しい漢字」「正しい表記」「正しい筆順」など、文字を獲得した者と文字を獲得し得なかった者との間に優劣の対立が生まれることはあってはならないことです。あくまで制限を加えた結果の漢字学習(習得)であり、本来、文字表記において「正しさ」は存在しない。
 小学校の漢字教育において、同じ漢字を一斉に学ぶという意味において筆順指導(「書き順指導」というほうが適切)の必要性は認めますが、文字を習得する手段でしかない書き順を「正しい筆順」とするのは文字教育の貧困です。学ぶ漢字を適正に減らし、学習の負担を減らし、文字の表現力に頼り過ぎず、己の文章を表記する感性や技術を学ぶ必要こそ大切だと私は考えています。

 ※貝塚茂樹らが編んだ「漢和中辞典」では、文部省(当時)編「筆順指導の手引き」を徹底して批判していました。私はそれが意を得たりで良きテキストでした。それがあるとき、途中の改訂から、この批判部分だけが削除されてしまいました。

書き順 vs. 筆順
筆順は書き順ともいう。むしろ書き順というほうが、これからの日本語としては望ましい。   貝塚茂樹ら編『角川漢和中辞典』  「筆順教育」という教育用語に対して挑戦的で明快なこの文字列は、『角川漢和中辞典』の付録1304ページから1306ページにその場所を占めていたが、ある...

 さて、前置きが長くなりました。このように、漢字制限の必要性を認めた上で、ショウガイについては「障碍」と、私は表記しています。理由は、2つです。

  1. 「碍」という文字は、学習するに難しい文字ではない。
  2. 温暖・寒冷の熟語は、同じ意味の漢字を2文字連らねています。「障碍」も同じ仕組みです。どちらも、「じゃまをする。さしさわりがある」という意味の漢字です。注意深く考えて欲しいことは、ここには「評価」は一切無いということです。

 ところが、表外字(「常用漢字表/当用漢字表」を略して「表」という。つまり「表に掲載のない字」なので「表外字」)ということで、「碍」の代わりに「害」を当てました。「害」には明らかに評価があります。「さしさわり」に、価値を付加し色をつけることによって有害であるという意味に通じるわけです。「障害」を私が使わないのは、ここにおいてです。
 国語審議会では、漢字制限を設けるとき、文字一つ一つについて検討したはずです。その結論において、「害」を当てたことは、そのときの国語審議会が「碍」を「害」とすることに矛盾を感じなかったからでしょう。それは、政府の意見表明ということにもなります。
 電柱を見上げると、電気のショートを防ぐために絶縁物としてガイシが使われています。ガイシは碍子と表記します。白い陶器で出来ています。電気を通さず、じゃまをして有用という意味になります。
 漢字には、「わかち書き」の機能があります。きからおちてくびをおった。(これはよく使われる例文です)き から おちて くび を おった (仮名文字ばかりのときのわかち書き)木から落ちて首を折った (漢字を使うことで、わかち書きの機能が出てきます)木から落ち手首を折った
 このわかち書きの原理を使えば、ショウガイは「障害」または「障碍」が妥当で、「障がい」と書けばわかち書きの機能を失います。ではなぜ「障がい」と表記するかといえば、「碍」は常用漢字に含まれていないからです。公文書、役人が職務で書く文書は制約を受けますから「障がい」と書くようになったのだろうと推察します。しかし、新聞社も私たち民間人も漢字制限からは自由です。役所の慣習をまねしなくていいのです。
 日本語を大切にしたいと思うのならば、わかち書きを崩す表記はやめて欲しい。読みづらい。だから「障がい」を使うことなく、「障害」か「障碍」のどちらを使うかで悩んで欲しい。
 文字とその表記というものは、保守性を内在させています。保守性があるから表現できるのであって、しょっちゅう革命的に変化していたら、とても意思疎通はできません。が、一方で、長い歳月の経過とともに変化していくのもまた特性です。
 さきほどまで使っていた表記を変えるには、相当なストレスが生じます。だから、「障害」の表記を直ちに変えろとはもちろん言わないし、「障害」という漢字2文字に表現のすべてが托されているのではない。むしろ漢字に頼って表現を安易に済ませてしまうことのほうが私はよくないと考えます。このことを承知した上で、私は「障碍」を使用しています。

山田利行 2013.9.27記す
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障碍の文字表記について