思い出話 3 子供と遊びながら自然を守る

  • 月刊グリーン・パワー 1979年6月号(通巻6号)
  • 発行(財)森林文化協会(朝日新聞東京本社)
  • ルポ 伊藤 幸司

すばらしき仲間たち ── 兵庫県自然教室の仲間たち

子供と遊びながら自然を守る

 色とりどりのリュックサックを背負った小学生たちが、3台のバスに分乗して山あいの村にゆく。都会の子供たちと自然の中で遊び、自然の素晴しさを知ってもらおうという、若者たちの活動を見せてもらった。会の名は兵庫県自然教室。2泊3日の「第14回・美方自然教室」である。

手製の弓矢で射的に興ずる子供たち
後方は山田リーダー
山村での3日間

 3月26日〔引用者註:1979年〕の朝、バスは神戸駅前を出発した。約1時間で姫路。そこでまた子供たちを乗せて、北に向かって3時間ほど走った。目的地は兵庫県美方郡美方町。
 美方町は2ヵ村合併で「町」となり、その後分離して「町」とは名ばかりの但馬にある山村である。一帯は但馬山岳県立自然公園となっている。例年ならまだ雪が残っているそうだが、今年は記録的な暖冬ということもあって、周囲の山に、かろうじて冬の色が残っていた。「氷ノ山・後山・那岐山」国定公園の山々である。
 美方につくと、子供たちは、あっというまに散ってしまった。全部で120人ほどだが、それにリーダーと呼ばれるボランティアの若者たちが、なんと27人もついてきている。単純計算で、子供たち4人半に1人ということになる。実際には、子供たちは学年と性別によって17の班に分けられていて、それが宿舎分けにもなっている。各班に1人ないし2人のリーダーがついている。
 リーダーの大半は大学1年か2年のようで、男女半々。華やかな雰囲気をかもし出している。高校時代からすでに3、4年リーダーをやっているという人もいれば、今回初めてで、まだ何も分らないという人もいる。あるいはまた、地元出身リーダーや、この自然教室で育ったという高校生リーダーもいる。

地元出身のリーダー井上さんは、
テンのフンの内容物を解説していた

 とにかく、あまりにもリーダーの数が多いので、あらかじめ、マークすべき何人かの人の名を聞いてあった。しかし、そういう人たちもまた、あっというまに、いなくなってしまった。
 しかたなく、私は山田利行さんの班の、7人の子供たちについてゆく。小学校3年の男子ばかりの班である。山田さんは古株リーダーの一人ということで、組織に関する質問や、取材についての相談はこの人に、と指示されていた。私たちは貫田(ぬきた)という集落の、田村利雄さんのお宅にお世話になった。
 遅い昼食が終って、さていよいよ行動開始かと思っていると、山田さんは庭はずれのササを切って、竹笛を1本作った。子供たちが寄ってくる。すると彼はノコギリ、ハサミ、ナイフを渡して、子供たちに好き勝手に作らせる。これで午後の2時間ほどが過ぎていった。
 それから「散歩に出ようか」といって、山田さんは何軒かの家を訪ねてまわった。子供たちは、作りあげた竹笛でブーッ、ビーッと鳴らしながら、ゾロゾロとついてゆく。
 帰りに、道端にころがっていた一升ビン8本ひろってきた。それを物干し竿につるして、水を入れ、楽器にしようというのである。トライ・アンド・エラーの精神。どうにか音階が出るようになった。ドなしのレミファソラシド。それで初日が終った。
 翌朝、村の道を歩いてみると、板壁の建物に「せみの声」と呼ばれる絵日記が張られ、壁新聞のようになっていた。ワラ半紙一枚ずつに、子供たちがその日のことを自由に書く。それを一枚残らず張り出すという。
 「今日、山のぼりをしました。山のぼりのとちゅう、白かわリーダーが、オナラを二はつれんぞくのくさいのがでたので、みんなびっくりした。そして、ちょっと行くと、つくしのたいぐんが、うじゃうじゃあった。そして少しおりると、水の中にもつくしがたくさんあった・……」(13班2年中尾充孝)

善滝への散歩道

 「──川へ行って水生昆虫を、岩についているのを見つけた。カワゲラ、トビケラ、タイラムシ、ヤゴなどを見つけた。初めて見る虫が多かった。川へ行って帰ってきて家でゲームをした。ごはんはカレーだった。後で星の話をした!」(8班4年・カワモトなおき)
 我が14班は、翌日は割り竹で弓矢を作るところまでエスカレートし、射的に熱中して午前中を過した。そして午後、また散歩と称して、5キロほど奥の善滝(よしたき)へ出かけた。
 他の班が弁当持参でずいぶん遠くまで出かけたり、まじめな自然観察をやっていたことが、やはり「せみの声」で伝えられた。どうも私は、最悪のリーダーについてしまったようである。3日目の午前中にはトチモチやヨモギモチをついた。

8年目の自然教室

 その3日間、子供たちが全員集合することはなかったし、リーダーたちのミーティングすらなかった。17の班は、完全に別個の行動をしたことになる。かなり思い切りのよい運営システムがとられている。
 それに、この組織が意外に若いことも知った。28歳になる山田さんが言い出しっぺであり、けん引役であったという。
 9年前、浪人2年目の山田さんは、できたばかりの兵庫県自然保護協会に入会した。「自然」や「保護」にとくべつ関心があったわけではなかったと彼はいう。そして自然観察会に参加する。そこには親子連れも多かったが、見ているとオトナたちはどうしても自然をノスタルジアの対象としてしまう。彼は、子供たちには、自然ともっと直接触れあうようにしなければいけないと思いはじめた。
 大学に入ったころ、朝日新聞にこんな投書がのった。大阪の主婦が近所の子供を実家に連れていったところ、たいへん喜んでくれた。自然がそんなに珍しいのであれば、また連れていってやりたい……。
 それに応えて、もう一つの投書があった。もしお望みの方があれば、どうぞ、私の家にもおいでください、という。その投書の主は田村利雄さん。今回泊めていただいた田村さんである。それを読んで、山田さんはさっそく電話をしたという。
 その年、1971年には、自然保護協会の仲間と計画を立てた。しかし子供たちが集まらなかった。
 「わけも分らんと、よその家たずね歩いたりね。行きませんか!なんていうてね。あんたナニモンや!いわれてね」
 けっきょく、そのときは、山田さんの中学時代の先生に、ブラスバンドのチームを送りこんでもらった。
 「で、それが新聞に派手に出たんですわ。翌年はそのおかげで37人集まって、そのときに来た子供の2人が、今回、高校2年ぐらいでリーダーになっている」
 第1回目の「美方自然教室」の成功である。翌年(1972年9月)からは、子供たちと身近かな自然を見てまわる月1回の例会をはじめた。
 8年目を迎えて、いまでは会員6百人、リーダー70人の大所帯となったが、活動の基本はいささかも変っていない。
 自然教室は9月に始まる。入会金2000円と年会費4500円(兄弟姉妹は2000円)で毎月の例会に参加できる。例会は阪神・東灘地区の「しろばんば」から加古川・姫路地区の「つくしんぼ」まで8つの地区に分かれておこなわれている。
 8つの自然教室が寄ったようなものなんですわ。子供たちの行動半径から考えたんですけど、リーダーも、寄ってたかって一つのことをやろうとすると、誰かがお荷物になってついてゆくだけになる。だから切り離して自由にやってもらうんです。
 ただ、うちの場合には『自然教室新聞』というのがあって、次はどこで何をやりますということを、全地区いっしょに発表するようになっています。それで全体がコントロールされるかっこうなんですわ」
 例会の報告も、絵日記ふうに手書きの文字で『新聞』にのせられる。
 「ひと晩中、みんなで星を見たの!プラネタリウムっていうきかいで作る星だと、50分でひと晩の星が見れるんだ!」(しろばんば・12月17日・子供53人、幼児2人、大人3人、リーダー3人)
 「とってもあったかな日曜日、六甲山をエッチラ、エッチラとおたふく山まで行きました」(たんぽぽ・12月17日・子供53人、幼児2人、リーダー2人)
 「もみじも半分くらい落ちてしまった市ヶ原に行きました。ヤキイモ用の落葉を大きなふくろにつめ、やっとの思いで貯水池に着き、オシドリを見ました」(どんぐり・12月10日・子供56人、大人6人、リーダー4人)
 「なに!!ゴキブリが30種もいるって!それにゴキブリがマンモスより古くから生きてるって!!──大阪自然史博物館」(ありんこ・12月10日・子供45人、リーダー7人)
 「川シリーズの3回目で加古川の河口に行きました」(にこにこ・12月17日・子供49人、大人2人、リーダー4人)

春の田にヨモギをつむ子供たち

 「土がかわらになるまでのようすを見学しました」(つくしんぼ・12月17日・子供52人、中学生4人、リーダー6人)
 「地図をたよりに、いろんな道から登ったのです。たけとんぼたちは、もうおっこうさんで知らないところはないのです」(たけとんぼ・12月3日・子供48人、リーダー2人)
 「水野橋のおくのダムで3班に分かれて、やきいも大会」(のこのこ・12月17日・子供39人、リーダー4人)
 こうして秋から冬をすごして、2泊3日の春の「美方自然教室」となる。そして4泊5日の夏の「美方自然教室」で1年間のスケジュールを終えるのである。夏には400人ぐらい参加するというからすごい。

自然だけが必要なのではない

 山田さんは、若いリーダーたちに対して監視の目を光らすといったところがない。自分のチャランポランさを隠すふうもない。それで、この大組織が動いてゆくのだから、たいへんなものである。彼と行動を共にしてきたという4人の仲間について聞いてみた。
 代表者としての対外的な顔は、中学で理科を教えている稲尾さん(49)である。そして組織運営の中心には、県自然課で自然保護を担当している戸田さん(35)がいる。さらに潤滑油役といった県青少年課の橋本さん(27)。この人は参加者の女の子を嫁さんにしてしまったイケナイ人でもある。そして、地味だが頼りになる高校の化学の先生工(たくみ)さん(24)がいる。
 さすがに、しかるべき人物が、しかるべき役割を担ってきたという感じがする。
 そしてリーダーたち。自然教室では高校生でも誰でも(養成講座を受ければ)リーダーにしてしまう。しかも自由にのびのびと、やってもらう。
 山田さんによると、なまじ指導基準などがあると「評価」がでてきて、けっきょくは子供の方にストレスがたまってしまう。子供たちが自然の中でどう楽しく遊べたかは、子供たち自身が「せみの声」ではっきり言ってくれる。だから、一生懸命遊べる人であれば、という。
 子供たちと若者たちの双方に対して、自然教室は機能しているということが言える。そして彼らが自然保護運動へ、人の輪を広げてゆくことになるという図式である。
 そして美方の人たちもその輪に加わる。いまでは20軒以上が子供たちを受け入れてくれている。ごたぶんにもれず若者の少ない村だから、子供たちは孫のように迎えられる。民宿の許可を取らないといけないといった問題も出ているが、泊めてくれる農家をもっともっと増やさなければならないというのが山ださんたちの考えである。
 生活と切り離された「うつくしい」自然なら、なにも美方だけではない。美方の自然が自然を学ぶのにふさわしい自然だからこそ、それをくり返し、くり返し使うことによって守ろうというのである。そういう運動は同時に、美方の人たちの暮らしに活気を与えることにもつながるというのである。「せみの声」は美方の人たちへの壁新聞でもある。

 いま、山田さんは新たな方向に一歩を踏みだしつつあるようだ。
 「自然教室というのは、あくまで自然保護運動の一環であって、子供たち自身の問題に踏みこんでゆく余裕はないわけです。それと、環境としての自然を考えてゆくと、もっと年齢をさげて幼児や赤ん坊まで見てみないと……」
 2年前から、彼は幼稚園児を自然の中に連れだすことを仕事として試みはじめた。そして昨年からは、登校拒否児童や自閉症の子も含めて、子供たちに遊び場と遊びの仲間を与える「出会い塾」というのを開いている。いわばそれが「職業」で、親がかり、独身、学生気分のままである。
 そういう子供たちを連れて、山田さんが美方を訪れるようになるとき、美方の自然を通してつながった人の輪は、またひとまわり大きくなる。
 自然保護運動が、けっきょく、人間の側への運動だということを、私はあらためて考えさせられた。

※出典のコピー PDF
山田利行 2018.11.26再録
▶思い出話