思い出話 4「真実」を排し「真理」を採る

 本多勝一の『事実とは何か』(未来社)は1971年12月発行とある。推測でしかないが、私がこの本に出会ったのは21歳のときだろう。以来、「真実」という語を使わなくなった。
 この標題にあるとおり「事実とは何か」を考えるようになった。──「新聞記者は、支配される側に立つ主観的事実をえぐり出すこと、極論すれば、ほとんどそれのみが使命だといえるかもしれません。」(同書p11)
 これには前段があり、事実を形容する「客観的」つまり「客観的事実」を考察し、事実は「主観的」においてのみ存在する、を導き出し、「主観的事実」としている。
 そして、引き続き、「真実」を検証している。「真実」は「真理」と置き換えることが可能で、事実を述べたり検証するその結果において、その果実は「真実」の語に含まれる情緒性を排し「真理」とするのがよいと学んだ。
 私にとっては、リテラシーの端緒だったのかもしれない。
 本多勝一の本は、その後に多くを読んだ。
 『中国の旅』(1977年)を読み、だらだらと留年生活をしていた大学を1977年夏に辞めることを決意した。

山田利行 2018.11.29記す
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