いのちの「選択」

 入江一惠/著『ひまわりの日々』p118から引用する。
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 たしかに、現在の高齢男性は食事づくりという家事から疎外されてきた。調理実習において、同年代の女性と比べてその落差はひどい。でも…でもである。いま、ひとりになった女性は食事づくりを放棄している人が多い。昨年、ひまわりで催した交流会でも、ひとりになった男性が四苦八苦して食事を整えているのに対し、「私たちはいままでさんざん家族のためにつくってきた。ひとりになったいま、自分のためにつくるのはしんどい」という言葉だった。
 テイクアウトの中食が氾濫している食環境で、若年から高年まで食事がイージーになっていることは否めない。ひまわりに来られるお客様の中にも、「ここで食事をして栄養のバランスを取り、朝、夕はあり合わせですませる」という方が多い。こんな周囲の状況から「おひとりさまの食事を豊かに」のテーマが浮かんできた。もう女も男もないのである。
***以上。

 高齢者も「選択」なのだ。
 本書タイトルにある「日々」とは、食べることの日々であり、食べることが「いのち」なのだ。入江は2003年に始まって、週4日、高齢者に配食のボランティア活動を今も続けている。それほどに大切なはずの「食」が選択になっている。自分で作らない・作れない状況があるのだ。
 裏付けや確かな調査を知らないので私見になるが、子育ても今日では「選択」となっている。離乳食の選択に始まり、食に限らず、子育てが「選択」になってしまっている(註)。子育ての選択に始まり、高齢者の「食の選択」に終わる。考えさせられる。

 註:子育ての「選択」については、いずれ稿を起こす予定。

  • 入江一惠/著『ひまわりの日々 食からひろがる地域のつながり』
    • 2019年 フェミックス ISBN978-4-903579-89-4

山田利行 2019.5.2記す
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