もぐらたんけんたいレポート 1981.9.12

9月12日(土曜日),1981年

 2学期はじめての集まりは17人の子供たちが元気な顔を見せてくれました。さなえ・ゆきえ・さほ・あゆこ・まいこ、と女の子は5人。男の子たちは、山田・かねだ・しだ・ノビタ・かめのその・きょうじ・たかひろ・おぎの・みのる・にしはら・こみや・こうへいの12人でした。私が「海へ行かへんか」と問いかければミンナ賛成。かねだ君だけがイヤヤナーなどとぶつぶついいながらついてくる。2時5分出発。あまり待つと悪い習慣がつくと思い、思い切って出発する。中学校のあたりであゆちゃんとマイッチ(まいこ)が追いついて走ってきた。とちゅうタイムトンネル(註1)で遊ぶのかと思いきや、意外と通過。2時40分、須磨海岸に到着。

テンコチを焼く

 いつもの通り、私などのまわりにまつわりつく子はいない。チリチリバラバラ。みのるをはじめ山田君らが、ハエエナのごとく(というほどドウモウではないが)つり人の収穫物をねだりにいっている。さなえちゃんとさほちゃんは2人で砂ほり。かめのその君も砂いじり(1人で)。ゆきえちゃん・マイッチ・あゆちゃんの3人群団はねらっていたように貝あつめ。やがてハエエナがかえって来、収穫物は”テンコチ”。けっこうな数があるのでたき火をして食べようということになった。

服のままザブン

 もやすものなど海にはどこにでもある。集めてまわり、さあ火をつけようかとなるとナンノナンノ、ちょっとしかないではないか。井上君(この日から加わったリーダー)がもっと集めろと指令を発す。みのるは両手はもちろんのこと、両足の親指と人さし指の間にも木をはさみ、おどけて歩いている。そんなことをしている真っ最中にノビタが、ボク泳イデクルと言い残して服のままザブンと海にとびこんだ。そして大急ぎでひっかえしてきた。冷タイ! 服ガヌレテシモター。

「家で食べるよりもおいしい」

 あつめた木に火がついて小さなたき火ができるとみんなが寄ってきた。石を熱く焼いてその上にサカナをおこうということになった。”サカナ焼き器”は成功のうちにおわった。かねだ君は「家で食べるよりもおいしい」と。
 あまりにサカナがおいしかったので、ハエエナはみんなにひろがった。つり人の中には仲間で「子供にやるなよ」と防衛するようにもなったのであります。

 私に都合があったので、きょうは5時に帰ろうやとみんなに言ったのですが、しだ君は「ぼくらでよう帰るからやあ(私のことをやあと呼ぶ)帰ってもええで」といってくれる。うれしいけれど2学期のはじめでもあるし、あまり思い切ったことはひかえようと思い、みんなをひっぱってかえることにした。

きょうじがいない

 須磨駅を山側に出たところで人数を数えたら1人たりない。きょうじがいない。海の方へもう一度見渡したがいない。海岸で帰る準備をしたときに確かに17人いたから海にはまったと思えないけれど、シンパイになってしまった。いつもならふざけあったり、三三五五に話し合ったりしながら楽しく帰るのだけれど、足取りがきょうは速くなる。にしはら君よ、先に行って見てきてくれんか、歩道橋のトコでまっといて。にしはら君はびっくりするほどすなおに足速で先の曲がりくねった道から姿を消した。
 とうとう最後まで追いつかず、きょうじは悪びれたかっこうで家の前にへたっていた。おこられるかと思ってかキョウフが先に立ったのか、ゴメンの言葉もでなかった。「前見たらだれもおらへんかったから追いつこうと思い一所懸命にあるいた」という。こういうことは小さい子どもにときどきあること。注意しなくてはと自戒する。
 明るいが日は暮れかかっていた。

(註1)タイムトンネル……”もぐら”の遊ぶ<基地>のひとつ。道路の下をくぐる土管。山の中にあって谷川の水を流すためにあるが、ふだん水がない。


上記この記事は、当時(1981年10月「出会い塾からの通信」)に書かれ残っている手書き記録(山田利行)より再録しました。誤字ほかで手書き記録を修正した箇所もあります。

山田利行 2015.9.28再録
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