加藤周一『読書術』……「読まない」を決める

  • 岩波現代文庫 2000年

 汗牛充棟──「かんぎゅうじゅうとう」と読む。蔵書が多い様子を表す。
 「牛に積めば牛が汗をかき、家に入れれば棟にとどくほど」(p98)
 これだけたくさんの本を、「集める人はいるでしょう。しかし、それほどたくさんの本を読む人は少ないでしょう。蔵書家はかならずしも多読家ではありません」と加藤は続ける。

 作家の杉浦明平は毎月1万ページを読んでいたという。これは毎日1冊ずつ読むことに相当する。加藤は若いとき、これを真似たところ、2~3年で挫折したという。どうすればそんなに速く読めるようになるのだろう。眼球は、訓練すればいくらかは速く動かせるようになるらしい。しかしそれで、書かれていることの意味がわかるのだろうか。加藤式結論は、速く読んだほうが意味をつかみやすくなるものと、ゆっくりじっくり読んだほうがあとあと速くなるものがある、という。速く読んだほうがいいものに現代文学や戯曲をあげ、古典文学はゆっくり読むように勧めている。

 ところで、いくら速く読めても、「どうせ小さな図書館の千分の一を読むことさえ容易ではない」(p98)

「本を読まない法」は「本を読む法」よりは、はるかに大切かもしれません。(p98)

 私(山田)の場合、テーマ(目的)を定めると、関係しそうな本のデータを可能な限り集める。その中から目星をつけた本を図書館でかたっぱしから手にしてパラパラと見、採用しない本を決めていく。そのようにして「残った本」をどう料理するかに時間をかける。
 加藤は「わからない本はいっさい読まないこと」(p173)と 言い切っている。わからない理由は本の側にも読者の側にもあるが、読まないことで「無用の努力、無用の虚栄心、または無用の劣等感をはぶき、時間のむだをはぶくことができるでしょう」(p173)

(古典のすすめにしたがって、理解のむずかしい論語、仏典、聖書、プラトンなどをたとえに……)
そもそも日本を理解し、世界を理解する必要があるのでしょうか。できるならば、それに越したことはありません。しかし私は、かならずしも、それが人生のいちばん大事なことであるかどうかは、疑わしいと思います。(p50)

 最終章で「むずかしい本」をどう読む(または、読まない)かという話になるのですが、読者は課題を与えられます。

そもそも本を読んでよくわかる工夫は、読者の側にもなければなりません。その読者の側の条件は、第一には言葉に関し、第二には経験に関しているといってよいでしょう。(p182)

 端的にいえば、「言葉」は努力して学びなさい、「経験」はそれを積んでゆきましょうということだ。

「むずかしい本をよくわかる法」は、ないかもしれません。私たちにとって「必要なすべての本をよくわかる法」だけがあるのです。(p207)

 自分に必要な本であって、書き手側でよく書かれた本であれば、「むずかしいということは本来ないはずだろう」(p207) つまり、必要=目的が大切だということだ。

山田利行 2005.10.8記す