
自分では納得していても、あるいは到達したような感慨があっても、「果たして、確かなのだろうか?」と自問自答すること、いつもだ。反論や疑問をいただくと、かえって課題がみえてくる。だから、確証的な表現をなるだけ避けている。《子育ての確からしさ》というのは、そういう思いから、だ。そして、この〈確からしさ〉もクセモノと感じ、〈確からしさ〉をテーマにして一応の到達をみたのでこのページに掲げている。
山田利行 2020.3.10
解説(一例)
- 情報を、◎受け入れるか ×拒否するか。
- 「拒否」すると、それっきりで関係なくなる。
- 受容で進む方向に「個人」がある。つまり、人それぞれ各人の判断による。図は、二次元で表現しているが、重層的に捉えることが可能。故人つまり過去、歴史上の人物などを仮想できる。
- 「受容」と判断しても、ok!とは限らない。反対意見や対論を受け入れる・訊くを含む。
- 賛成して受け入れたとしても、個人の内心において、積極的に受け入れたわけでない場合もある。これを「非規範」としている。
- 賛成して受容した場合、実践に向けては「ルールや計画」あるいは、「法や条例」が必要となる。
- 「非規範」は矛盾や疑問として現れる。これをどう解決するか。ここにボランティア活動をあてはめることが可能だ。子どもや学生の場合、社会参加・体験に相当する。
- 検証をAまたはBで行う。
- 検証Bは実践に反映される可能性もある。
- 検証A・Bは、ものさしに戻る。これで「確からしさループ」となる。
【ポイント】
順位10番を実行し《ループ》を完成させることが肝要となる。
解説2(一例)
- 拒否するとループができない。まずは、受け入れることを考えよう。
- 「ものさし」は個人それぞれを仮定しているが、団体・組織・グループの場合もあるだろう。
保育士養成校で教えていたとき、保育は福祉の仕事であること。福祉を政策等で実行するとき、線引き・枠組みを避けて通れない。仕事は「枠」の中で行うことになる。しかし、それがイコール「福祉」ではない。福祉の仕事に携わるとき、「個人」としては「規範枠・非規範」の両方に立ち位置をおくようにと要望していた。つまり、悩みながら・苦悶しながら仕事をすることになる。それが「福祉」を選ぶということなのだ。福祉の先達に学べば諒解はむずかしくない。
「遊び・ゲーム(スポーツ)」相関ループ
「確からしさループ」と比較し、「遊び」の特性を知ろう。



この比較で大切な理解は、「遊び」と「ゲーム」はまったく違うということだ。たとえば、「はないちもんめ」という昔遊びを指導のもとに行っている場合は「ゲーム」であって、遊んでいることにはならない。
「遊びとは何か?」──これを問い始めると底なしの沼に足をとられる気がしてしまう。「遊び」は子どもだけでなく、おとなを対象にしても普通に使用する。幼児教育の現場では、遊びは、最も大切な意味をもつ。なぜ大切なのか? すると、「遊びとは何か?」の問いにもどってしまう。した...
考察
- 「遊び」が足りないと、「規範枠」の領域が大きく、ものさしに戻るループ2本のうち片方が弱くなる。
- 矛盾を感じることがあっても検証Bが十分でないため、変化を望まない傾向になる。あるいは、同調圧力によってルール強化に向かう。
- 「拒否」を選択すると、ループをつくらない。個人(社会不安)の要因になるか?
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"寺子屋"は時代錯誤だろうか。武士が闊歩? した時代をイメージするのではなく、子どもがどう育ち、育てられたのだろうか。そのことを第一に考えたい。寺子屋の時代と比較するならば、武士階級だけでなく、農民の暮らしがどうだったのか、そこをしっかり知りたい。
山田利行 2...
山田利行 2019.7.2加筆
2019.6.23考案
▶「正しい」を疑う