坂本遼『きょうも生きて』

  • 坂本遼
    • 『きょうも生きて』
      • 第1部 父のない家
      • 第2部 天のふうせん
        • 便宜上、以下「上・下」とする
    • 初出 東都書房 1959年
    • 偕成社文庫 1977年

1

 坂本遼『きょうも生きて』を”再読”した。2001年に読み18年後の今(2019/7/13)読んだ。当時は、とっても良い本だと勧めていたのに、今読み終えて、当時〈いったい何を読んだのか!〉覚えていないばかりか、ハッとするほど学ぶことが多いのに、学びの足りない自分を恥じる。この本のタイトル中にある《も》が私をつなぎとめていた。

 主人公一家の二郎は小学2年生。姉のとし子は小学5年生。上下2巻となっていて、下巻では1学年ずつ進級し、姉が卒業するところで話は終わる。母が自殺する場面はフィクションでしか書き表せないと思うが、一家の生活、学校の様子、村の人たちとその交流は事実の小説化と思えてならない。二郎とスズメ(たち)が仲良しで驚かされる。5,6年生を私は〈おとな〉として定義している。〈こども〉とは4年生までとすることも私の考えだ。それをこの本でしっかり確かめられる。
 1945年に敗戦。父は戦死していた。その復興を背景に、1950年代前半の兵庫県北播磨の山村、宝塚、大阪が舞台だ。

 人は
 苦しみによって
 苦しみから
 救われる

 巻頭に献辞されている。

 上巻の副題が「父のない家」とある。〈いない〉ではなく〈ない〉だ。作者・坂本遼は詩人で言葉の魔術師だ。だから、なぜ〈ない〉なのか。その疑問は解けないままで心に突き刺さる。1950年代にもなれば人々は生活をかなり取り戻していた。しかし、二郎の家族は、新聞紙でつくった「紙ふとん」が寝具だった。油引きした新聞紙を寝袋にしていた。寝返りするとガサゴソと必ず音がした。あるとき、これを知った岩本おばさんが蔵にしまっていた綿の蒲団をつかいなさいと与えた。綿の蒲団は音がしなかった。

2

 ──赤のクレオンで、大きなまるをかいた──(下p113)解説を竹中郁が書いている。──本来の土着の言葉を活かすことが、とりもなおさず郷土を愛し、土にしたしんで生きる農民を愛することにむすびつくのだ、と信じていたようです。──(下p317)高村光太郎の目にもとまり──地方弁をもちいて人間の真実の感情をまざまざと詩にしあげたところが新しい開拓であり、てがらである──と、自費出版した詩集『たんぽぽ』についてほめた。

 ということは、承知で「クレオン」と表現したということか。──きのうみのこした、学級ポストの手紙をよんでいるのだ。──(下p159)
 ん?どう読むの?と思うだろう。〈きのうみのこした〉坂本遼は遠慮なく書いた。説明もなにもない。翻訳すると《昨日、読み残した》となる。
 兵庫県の北播磨(その後の東条町、さらに現在の加東市)つまり本書で表される方言は神戸で育った私にはよくわかる。でも「みのこした」は忘れたなあ~。つかっていたのだろうか。〈父のない家〉のような言い方も、していたのかなあ~。

3

 ──きのう、みんながだしたラムネ玉を、自治会でかぞえたら、二千三百五十こありました。──(上p293)「ばくち」につかうからという理由で禁止されていたのに、ポケットから落としたばかりに見つかった。皆に出させて数えたらこの数になった。2年生の学級は55人。6年生は46人。平均50人として×(学年で推定1学級)×6学年=300人。遊びの実態が窺える。神戸でも私たちはラムネと言っていた。ビー玉という呼称を知ったのは、ずっと後だ。「自治会」が優れている。議長は6年生が担当しているが、2年生も意見を言う。自治会は何回も登場する。

 2年生が終わって3年生に進級する春休みの第1日め、──山はだいぶとおいので、家の人にそうだんして、いける人だけがいくことにしたのだが、しらべてみたら、みんながいくことになってしまった。──(上p327)みんなとは55人だ。じつは先生は銃創を負っていて片方は義足なのだ。その大人が1人で引率し、7,8キロの山道を歩くというのだ。──村の子は山になれているから、どんどんいそぎたがる。でも、帰り道でくたびれてしまってはたいへんだから、先生は、ときどき一休みさせながら、すすんでいく。──(上p327)物語だからといってここをさっと読み過ごしてはならない。往復15キロの道のり。当時の子どもの体力が現代の子らと比較して、如何にすさまじいか。任意の参加でみんなが集まり、そして、帰り道、ツタで担架を作って先生を運んだのだ。このシーンで上巻は終わる。
 ──こうして、かわいい、小さいおしえ子たちにたすけられて、山をくだっている。この世に、これ以上の幸福があろうか。これ以上のよろこびがあろうか。
 ──先生の目から、なみだの玉がふきだして、両方のほおをつたっておちていく。もう先生は、それをぬぐおうともしない。

4

 田植えのシーズンで子どもも田植え体験をする。貴重な体験と思い眺めるが、自身の嫌な体験が思い起こされる。──むずがゆくなってきたので、くつをぬいでみると、どうだろう。両方の足くびのところに、すきまもないほど、ヒルがくっついているではないか。まるで、足輪をはめたように見える。血がながれでて、両足ともねとねとになっている。──(下p66)これだ。小学校低学年頃の記憶が、むずむずと湧いてくる。今の田んぼにはいないのだろうか。ヒルをいなくする取り組みがされたのだろうか。ヤマビルにはときどき出会うが、田んぼではみなくなった。いや、いるような気がする。田植え体験する子どもには笑顔がある。当時の私にはこわいところ。

 ──春夫だけは、ターザンがするのとおなじぐらいの冒険ができた。つまり、こちらのえだから、むこうのえだへとびうつるのだ。──(下p130)春夫は3年生になっていた。私も似た記憶がある。直立した木があり枝が払われている。背丈の3倍以上もあるその上でセミが鳴いている。巧みに登って素手でセミを手中に収める。捕まえるだけでない。怪我することなくするすると降りてくる。それを何度も繰り返す。出来る子は決まっていたが、見事だった。

 私はどのようにしてセミをとったか。金魚すくいにつかうような輪っかを長い棒の先にくくりつけ、その輪っかにオニグモのねばねばの糸を巻きつけた。真っ白になるほど巻きつけられた。前日おなじことをしたのに翌朝には同じ場所に必ず巣が完成していた。糸を巻き取るとオニグモがぽたんと落ちてくることもあった。ねばねばは強烈で簡単にセミがとれた。鳥もちの場合はねばねばがとれなかったりしたが、クモの糸からは容易に剥がせた。このオニグモも見なくなった気がする。鳥もちは駄菓子屋で買った。

5

 ──たった一にぎりのお米で、一日生きようか、二日生きようかという、ぎりぎりのせとぎわに立ったなら、三人よりもふたりのほうが、まだ、らくなはずだ。三人生きようとして、三人とも、うえじにしてしまうより、ましではないか。(下p280)
 ──おとうさん、わたしはしぬのをやめました。どんなくろうがあっても、ふたりの子といっしょにいます。きょうも生きて、あすも生きて……(下p312)

 表題の「きょうも生きて」はここに出てきた。ここだけに出てきた。このフレーズはないけれど、懸命に生きる二郎ととし子、母のエピソードで埋め尽くされている。先生(小久保先生)と戦死した父は歳が近かったと思う。

 進級のとき、3年生になっても小久保先生だった。任意の遠足にみんなが参加した学級だ。子どもたちの歓喜が聞こえてきそうだ。わけあって、学年の途中で、小久保先生は6年の担任に異動した。とし子の学級だ。そして、後任の三村先生は、牛乳代を期限がきても持ってこなかった生徒の名前を黒板に書いて発表した。小久保先生は三村先生に食ってかかった。
 ──無収入の家庭の子の名まえを、黒板にれいれいしくかきだすなんて、……いったい、どういうきもちなんだ。──(下p200)
 ──先生は、そういって、とし子と手をつないで、長いコンクリートのろうかを、おくのほうへあるいていった。──(下p215)
 とし子は6年生だ。「手をつないで」に目がとまった。現代ではない話かもしれない。灰谷健次郎は〈やさしさとは何か〉を問う文学者だが、先輩にあたる坂本遼はすでに模範を示していると私は読んだ。

 石巻で、ある中学校の校長がこんなエピソードを話した。先生Aが悩んでいた。修学旅行に行くお金のない生徒Bのことで。「で、君は、Bを旅行に連れていきたいのかどうか?」と問うた。「連れていきたい」と応えた。「じゃあ、そうしてやれよ!」と校長は言った。校長が若かったとき、生徒Cが家でなく工場のようなところで寝泊まりしていて、妻と相談してひきとったという。のちに、教育委員会だったかどこでばれて叱られたという。

 《きょうも生きて》を支持するとしたら、支えたい・支えようとしている〈ひと〉がいるということだろう。

6

 ──小久保先生は、毎週月曜日の国語の時間に、世界じゅうの、えらい人の話をするときまっている。科学者や音楽家、小説家や詩人、それから、日本のお坊さんや、外国の宣教師などの話をする。
 その日は、旧約聖書のなかにある、ヨブという人の話だった。──(下p58)

 ちょっと待ったあ! 現代の今、〈毎週〉先生独自の時間って、もてるの? そして、3年生の学級だよ。1950年代後半(推定)田舎の教室で。無着成恭が兵庫県にもいた。否そういう時代があったということだろうか。
 お話しはやさしく語られた。
 ──「では、きょうの話は、これでおしまい。」
といった。
 生徒たちはさわぎもせず、だまって、なにかをかんがえているようだ。その、しんけんそうな、子どもたちの顔を見ながら、先生は、
「いま、お話はこれでおしまいといったが、このお話につけくわえておきたい、だいじなことが、一つだけあるのをわすれていた。たいへんむずかしいことばだから、黒板にかいておこう。」
といって、先生が黒板にかいたことばは、

  神は、苦しむ者を、その苦しみによって救い、
  彼らの耳を逆境によって開かれる。
        (旧約聖書、ヨブ記・三十六章十五節)──(下p62)

 いくらなんでもこれは難しい。本書の巻頭にあった献辞だ。

  人は
  苦しみによって
  苦しみから
  救われる

 ──このことばをあじあうには、きみたちは、ちょっと小さすぎる。……──
と、つけ加えている。だが、違うのだ。

 ──お話をきいたら、あとで、その感想をかくことになっている。二郎がかいたつづりかたのいちばんおしまいには、つぎのようなことがしるしてあった。
 ……ぼくも、ヨブみたいになりたいです。どんなにくるしいことがあっても、かなしいことがあっても、へこたれません。──と。(下p63)

 だから、子どもを信じなければならないと思う。一字一句はむずかしかろうが、通じる・伝わっている。実際、喧嘩早かった二郎は耐えることを覚える。心中がよぎったとき、二郎が言った。
 ──「ヨブは、どんな苦しみもたえしのんだよ」ともうしまして……。「おかあちゃん、学校の灯(ひ)が見える!」ともうしますので、見ますと、ちょうど、燈台の灯のように……。──(下p207)

7

 兵庫県下の小学校から集められた〈詩・作文コンクール〉で、とし子の『くつ音』が一等に入選した。表彰式は神戸市内の小学校で行われた。晴れの日なのに、とし子に着させる服がない。修学旅行のにわか作りタンポポ染めセーターを着たが、夏に冬のセーターだった。神戸に着いたとき生憎の土砂降りに遭ってしまった。頭からずぶ濡れ。タンポポの黄色い水が溶け出した。どこかの若いお母さんが、わざと知らんふりしてハンカチでふいてくれた。絞ると、黄色の水が落ちた。

  『くつ音』

  父は戦争でしんだので
  わたしは父のくつ音をしらない

  やぶれたくつの音でもいいから
  父のくつ音がききたい
  ○○○のくつ音でもいいから
  父のくつ音がききたい

  わたしは
  父のくつ音がききたい
   ………

(上p124)

 小久保善吉先生は三十すぎ。
 ──カーキ色のズボンには、すねのところに、大きなつぎがあたっている。なお、そのうえ、ものすごい○○○だ。
 〔坂道で自転車を押して登ってくるとき〕ギューッ、トン、ギューッ、トン……。
 あるくときは、かすかに音がしている。がたがたの、こわれかけた義足をつけているからだ。──(上p8)

 小久保先生は中国大陸で手榴弾にあたり左足をなくした。二郎ととし子の父はその大陸で戦死した。
 家庭訪問で訪ねると、二郎のうちは、ウシ小屋の2階だった。2階にあがるには階段とはいえ、ただのはしごだった。
 ──両手を、はしごにかけたかとおもうと、ぴょうんと一足とびあがった。それから、二本の手と足で、ぴょん、ぴょんと、またたくまにのぼってしまった。──(上p16)

 この本を読んで、とめどなく伝えたいことがある。これほど貧しいのは戦争のためだ。ヨブ記にあるように、彼らは、友達と先生と隣人に支えられて、なんとか生きようとしている。感想としては、ここで終えよう。二郎のスズメ飼い、とし子のやさしくて強いがんばりを知ってほしいが、どうにかして図書館などで読んで欲しい。

 ○○○と伏せ字にしたが、ここは「ちんば」が入る。本書では頻出する。これを伏せたままでは『くつ音』で寄せたとし子の心が伝えられなくなる。

(おわり)


備忘録
  • 上p78──二郎が飼っているのは、〈大政〉、〈小政〉に〈森の石松〉の三ばだけだ。ほかの四、五十ぱは、かってにあつまってきているのだ。
  • 〈人間ふうとう | 紙ふとん〉上p126──とし子がもってきたのは、ふとんではなかった。茶色の紙のふくろだった。手紙のふうとうを大きくしたようなものだった。
     新聞紙に青ガキのしぶをぬって、日にほしたのを、何まいも何まいも、はりあわせてつくったふくろ……。
     これが、山根一家にとっては、たいせつな夜のふとんなのである。
  • 〈学級ポスト〉上p239──詩もある。つづりかたもある。記録や、日記もある。手紙もある。先生は、放課後、それをあけてみるのが、なによりもたのしみだった。
  • 〈二郎のおならがくさくないわけ〉上p279──朝と晩は、たいていおかゆとおしんこだ。ひるのべんとうはごはんだが、米はわずか五分の一で、あとはムギである。
  • 下p73──ランドセルのなかのえんぴつやナイフのかちあう音が、ガタガタいっている。
    • 2年生の子どものランドセルに「ナイフ」。肥後守だろう。えんぴつけずり用だろうか、みんなにとって必需品だったのだ。
  • 下p140──ふたりは、ことしも、シジミとりや、タニシとりをして、とおくの町までも売りにいった。農家のてつだいもした。岩本のおばさんがしんせつに畑をかしてくれたので、キュウリや、トマトや、なっぱをつくった。サツマイモもつくった。
    • よく働いたんだ。体力もあった。
  • 〈心の体操〉下p170──詩や文章をかくと、ひとりでに、しわがのびる。心のあかがおちる。心がきれいになる。どうだ、いい体操だろう?
  • 下p195──みんな、ぬくぬくしたものを何まいもかさねてきているのに……。何百のハトのなかに、二わだけの〈きたきりスズメ〉がまじっているようなものだった。

山田利行 2019.7.15記す
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