新渡戸稲造『武士道』を読む

── 江戸時代の子育て、を考える(1) ──

  • テキスト
    • 著:新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)
      • 訳:矢内原忠雄(やないはら・ただお ※原書が英語表記)
      • 原書名: BUSHIDO,THE SOUL OF JAPAN
        • 原書発行年:1899年(明治37年)
    • 書名:武士道
      • 副書名:日本の魂──日本思想の解明
    • 発行:1938年 岩波書店(岩波文庫)

現代の子育てが、武士道に学ぶものとは……

その1: 正義に生きる。〈智〉に通ずる。

 「第3章 義」は、──義は武士の掟(おきて)中最も厳格なる教訓である──と冒頭に始まる。江戸の末期、泰平が長く続き、武士階級の生活に余暇が生じ娯楽と文化が繁栄した。その世相にあって庶民の心をつかんだのは〈四十七義士〉だった。〈四十七義士〉は「義」を呼び覚ました。「義」の意味するところは、ここを悟ることにありそうだ。
 義と義理は本来同じではなかった。──「義理」について述べよう。これは義からの分岐と見るべき語であって、始めはその原型(オリジナル)から僅かだけ離れたに過ぎなかったが、次第に距離を生じ、ついに世俗の用語としてはその本来の意味を離れてしまった。〈略〉義理という文字は「正義の道理」の意味であるが、時をふるに従い、世論が履行を期待する漠然たる義務の感を意味するようになったのである。──
 ──義理の本来の意味は義務にほかならない。しかして義理という語のできた理由は次の事実からであると、私は思う。すなわち我々の行為、たとえば親に対する行為において、唯一の動機は愛であるべきであるが、それの欠けたる場合、孝を命ずるためには何か他の権威がなければならぬ。そこで人々はこの権威を義理において構成したのである。──

 ここまでは、ふむふむと読んだ。義は義理と似ているがもとは違うということを。新渡戸はこの矛盾を糺す。家族において才能の優越に関わらずなぜ年長が貴ばれるのか、父の放蕩の費用を得るためになぜ娘は貞操を売るのか、義理においてこれらが正当化されるのは堕落であると撃つ。知性や理性によって義(ただ)すのが「義」であるとする。

 〈愛国心〉を事例に──それは最も美しきものであると同時に、しばしば最も疑わしきものであって、他の感情の仮面である──と、スコットの言を示す。このことは〈義理〉にも言いうるとする。──もし鋭敏にして正しき勇気感、敢為(かんい)堅忍の精神が武士道になかったならば、義理はたやすく卑怯者の巣と化したであろう。──と「義」の章を結ぶ。「義」が厳格に運用されることの必要を説く。「義」は「義理」と分かち「正義」に通ずる。

その2: 正義は、勇しき〈決心〉をもって相成る

 「第4章 勇」は冒頭、──勇気は、義のために行なわれるのでなければ、徳の中に数えられるにほとんど値しない──とある。「勇=勇気」かどうかは本章読後にも疑問は残る。明確なことは、勇は義とともにある、ということだ。
 (小児が)──何かの痛みによって泣けば、母は子供を叱って「これしきの痛みで泣くとは何という臆病者です! 戦場で汝の腕が斬り取られたらばどうしますか? 切腹を命ぜられた時はどうする?」と励ました。──
 「勇」の章は、子どもの教育・しつけの記述が多い。幼少期から鍛錬が必要だったのだろう。たとえば、──幼少の児童に用を命じて全然未知の人に遣わし、或いは厳寒といえども日出前に起き、朝食前素足にて師の家に通って素読(そどく)の稽古に出席せしめた。──とある。ほかにも、超スパルタ方式が列挙されている。
 現代の子育てに、まったく参考にならない。封建制所以だろうか。──このやり方は、人の心の優しき情緒をば蕾のうちに摘み取る野蛮の方法であるまいかとの疑問を、抱かしめるであろうか。我々は次章において、勇気について武士道のもつ他の諸観念を考察しよう。──と章末尾にある。

その3: 〈仁〉は〈やさしさ〉に通ずる

 〈仁〉は〈やさしさ〉に等しい。〈義・勇〉これは両輪となり、武人の徳とされている。第5章は「仁」。
 「仁」は武人にではなく、人としてあるいは「王者の徳」として位置づけられている。「高貴なる精神」であり、──愛、寛容、愛情、同情、憐憫(れんびん)──と説明される。「仁」はそれを高めることで「勇」に近づくという。
 〈勇気をもつ〉〈勇気をもらった〉のフレーズを耳にするたび、私は、勇気はもつものでない。もつことのできるのは「やさしい気持ち」と考えている。意を得たり! 新渡戸稲造の『武士道』でも明らかになった。

もつことのできるのは「やさしい気持ち」
──「勇気」考 ──  「勇気をもつ・もちなさい」のフレーズを耳にするたび、「勇気」なんて「もてない」と密かに反撥する私がいる。勇気って、なんだろう。高いところから飛び降りることか? それなら、度胸で言い換えられるし、度胸のほうが適していると思う。  「どきどきする...

──慈愛は美であり、しかも希有ではない。「最も剛毅なる者は最も柔和なる者であり、愛ある者は勇敢なるものである」──
──仁は柔和なる徳であって、母のごとくである。真直なる道義と厳格なる正義とが特に男性的であるとすれば、慈愛は女性的なる柔和さと説得性とをもっ。──

その4: 他者をおもいやる〈礼〉

 漢字1文字が続く。〈義・勇・仁〉の次は〈礼〉。──礼儀は仁愛と謙遜の動機より発し、他人の感じに対するやさしき感情によって動くものであるから、常に同情の優美なる表現である。──
 要するに、相手を思う気持ちの表れが「礼」ということだ。保育園での活動も、必ず挨拶から始まる。終わるときも挨拶で終わる。帽子をかぶっているときは「帽子をとって」挨拶する。挨拶は、目と目をあわせて行う。──人に挨拶する時にはいかに身を曲ぐべきか、いかに歩むべきか坐るべきかは、最大の注意をもって教えられ、かつ学ばれた。──
 ──礼儀作法は枝葉末節に至るまで詳細に規定せられ、したがって流儀を異にする諸種の流派が生じた。しかしながらこれらはすべて窮極の本質においては一致しているのであって、最も著名なる礼法の流派たる小笠原流宗家〔小笠原清務〕の述べたる言葉によれば、「礼道の要は心を練るにあり。礼をもって端坐すれば兇人剣を取りて向うとも害を加うること能わず」と言うにある。──

 ──最も簡単なる事でも一の芸術となり、しかして精神修養となりうるかの一例として、私は茶の湯を挙げよう。──と、ある。茶の湯の作法は──その方式が結局時間と労力とを最も略(はぶ)くものである──とも、ある。
 贈り物をするとき、アメリカ人は「これは善い贈物です。」と主張する。しかし、日本人はそう言わない。なぜか。これは省略する。関心のある向きは本書を手にされたい。

その5: 誠なくして武士の道ならず

 第7章、〈礼〉の次は「誠」。──信実と誠実となくしては、礼儀は茶番であり芝居である。──
 ──「武士の一言」〈略〉「二言」すなわち二枚舌をば、死によって償いたる多くの物語が伝わっている。──
 ところで、この章は、これまでと趣きが異なる。『武士道』の書は1899年に著されている。明治32年。──締りのない商業道徳はじつにわが国民の名声上最悪の汚点であった。──とある。
 ──正直と名誉とは商人たる債務者ですら証書の形式上提出しうる最も確実な保証たりしこと── 昨今の有名企業の詐称や偽装・不祥事・信用喪失・教育の荒廃などは、武士道にもとる、日本人の精神性への恥というべきものだろう。「教育」は何を教えてきたのだろうか。

 難攻不落と当初思っていた『武士道』だが、〈仁〉に出会ってから自分なりにだが、解を得た。〈勇〉は〈決心〉の意だ。〈仁〉は〈愛と優〉。〈義〉は〈義理〉ではなく〈正義〉の義だ。同じ〈日本人〉と意識して〈武士道〉を理解しようとしたのが、いけなかった。本書の原書は新渡戸稲造が英語で記した。西洋と東洋の文化の交流を図った。あるいはその違いを求めた。現代の日本からすれば、それは西洋と同じで、日本人であっても〈サムライ〉は外国語なのかもしれない。〈武士道〉は〈人の道〉と読み換えることで素直に読める。

その6: 律すること、我慢すること──こそ、誉れあれ

 第8章「名誉」。武家の子として生まれたからには……、これは〈武士=名誉〉と等号で結ばれ、育ちではなく格式だった。したがって、身分制度のない今日で言うところの名誉とはまったく違う。生まれながらにして名誉をまとっていた。──あたかも彼が母胎の中から名誉をもって養われていたかのごとく──とあるように。しかし、
 ──寛大、忍耐、仁怒(じんじょ)のかかる崇高な高さにまで到達したる者の甚だ少数であったことは、これを認めなければならぬ。何が名誉を構成するかについて、何ら明瞭かつ一般的なる教えの述べられなかったことは頗(すこぶ)る遺憾であり、ただ少数の知徳秀でたる人々だけが、名誉は「境遇より生ずるのでなく」、各人が善くその分を尽すにあることを知った。──

 つまり、武士は我慢が肝要ということだ。侮辱されたあまりの短気は不名誉なり。武士の名に恥じる。

 ──「ならぬ堪忍するが堪忍」と。偉大なる家康の遺訓の中に次のごとき言葉がある、「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず……堪忍は無事長久の基……己れを責めて人を責むるな」。──
 ──孟子もまた忍耐我慢を大いに推賞した。〈略〉小事に怒るは君子の愧(は)ずるところにて、大義のための憤怒は義憤であることを教えた。──

 謂わば名誉ある者は律する心が第一ということか。「名誉」の章は、この名に相応しく戒めが数多く掲げられている。
 ──武士道がいかなる高さの非闘争的非抵抗的なる柔和にまで能く達しえたるかは、その信奉者の言によって知られる。例えば小河〔立所〕の言に曰く、「人の誣(し)うるに逆わず、己が信ならざるを思え」と。また熊沢〔蕃山〕の言に曰く、「人は咎(とが)むとも咎めじ、人は怒るとも怒らじ、怒りと慾とを棄ててこそ常に心は楽しめ」と。──

その7: 〈忠義〉は普遍の真理であろうか? 封建道徳の恥部。

 第9章「忠義」。この言葉(徳)に関しては──他の階級の人々と共通──せず、忠義は──目上の者に対する服従および忠誠──であるとする。「封建道徳」にて成立した歴史的事実であるが、民主国家・法治国家の今、これを〈美徳〉と、私は受けいれられない。

 武士道は、──国家は個人に先んじて存在し、個人は国家の部分および分子としてその中に生まれきたるものと考えたが故に、個人は国家のため、もしくはその正当なる権威の掌握者のために生きまた死ぬべきものとなした。──では、学徒出陣し特攻兵として散った若者の死を正当化してよいか。新渡戸は、敗戦時生存していたら、同じことを批判せずして記せただろうか。私は承服できない。新渡戸に思うところがあるようで──しかし私は説教を差し控えよう。──と記している。
 この論考では、西洋との対比で、ヘーゲル、モンテスキューの名があげられる。その一方で、アブラハムが息子イサクを献げようとした話もあげられている。だが、菅原道真の逸話では、家臣の息子が身代わりとして首を差し出された。道真一族の子を命じられたが似通った子が差し出された。この首を検視し「(道真一族の子に)紛(まが)いなし」と言い放った。検視した武士は身代わりにさせられた子の父だった。──彼は家に帰り、敷居を跨(また)ぐや否や妻に呼びかけて言った、「女房喜べ、倅(せがれ)は御役に立ったわ、やい!」。── これはどうしても汚点、恥辱に思えてならない。

その8: ボランティア活動にも通じる武士道

 第10章「武士の教育および訓練」。この章に辿り着き胸のすく思いがする。あまねく教師・官吏は今日にあってもこの章にある武士道を学んで欲しいものだ。「法の支配」の今日と封建制では細かなところでは相違は確かにある。これを「人の教育および訓練」とすれば今に十分通用する。武士道にもとる政治家・教育者の多いこと、タイムマシーンで訓練されたし。

 ──あらゆる種類の仕事に対し報酬を与える現代の制度は、武士道の信奉者の間には行われなかった。金銭なく価格なくしてのみなされうる仕事のあることを、武士道は信じた。僧侶の仕事にせよ教師の仕事にせよ、霊的の勤労は金銀をもって支払わるべきでなかった。価値がないからではない、評価しえざるが故であった。──
 ──かくのごとく金銭と金銭欲とを力(つと)めて無視したるにより、武士道は金銭に基づく凡百の弊害から久しく自由であることをえた。── 守るべきものがあるとき、失うものが多いとき、身動きの妨げになる。私は「Let’s become light. 身軽になろう」を信条としてきた。

my Opinion
 アメリカはなぜ銃規制できないのか?の問いと等しく、日本は〈なぜクルマという凶器優先社会を規制できないのか〉を問うときに達しているのではないか? 銃の犠牲になるのはアメリカ社会では不運なのか? クルマの犠牲になることは不運なのか?// 子どを認めたら減速しよう // 横...

 ──奢侈(しゃし)は人に対する最大の脅威であると考えられ、しかして最も厳格なる質素の生活が武士階級に要求せられ、奢侈の禁令は多くの藩において励行せられた。── 現代においては、「豊かさとは何か」を問うに等しい。

 ──公務の処理にせよ克己の練習にせよ、実際的目的を眼中に置いて教育は施されたのである。孔子曰く、「学んで思わざればすなわち罔(くら)し、思うて学ばざればすなわち殆(まど)う」〔『論語』〕と。──


 第2章「武士道の淵源」に以下の記述がある。
──孔子を知的に知っているに過ぎざる者をば、「論語読みの論語知らず」と嘲(あざけ)る俚諺(りげん)がある。典型的なる一人の武士〔西郷南洲〕は、文学の物識(ものしり)をば書物の蠹(むし)と呼んだ。また或る人〔三浦梅園(ばいえん)〕は学問を臭き菜に喩え、「学問は臭き菜のようなり、能(よ)く能く臭みを去らざれば用いがたし。少し書を読めば少し学者臭し、余計書を読めば余計学者臭し、こまりものなり」と言った。その意味するところは、知識はこれを学ぶ者の心に同化せられ、その品性に現われる時においてのみ、真に知識となる、と言うにある。知的専門家は機械であると考えられた。

 加藤周一も同様のことを言う。

加藤周一『読書術』……「読まない」を決める
岩波現代文庫 2000年  汗牛充棟──「かんぎゅうじゅうとう」と読む。蔵書が多い様子を表す。 「牛に積めば牛が汗をかき、家に入れれば棟にとどくほど」(p98) これだけたくさんの本を、「集める人はいるでしょう。しかし、それほどたくさんの本を読む人は少ないでしょう。蔵書...

その9: 〈克己〉……自分に勝つということ

 第11章「克己」。これを新明解国語辞典第三版で調べると「自分のなまけ心や欲・邪念に打ち勝つこと。」とある。
 武士道において克己とは何か。それは、──感情を面(おもて)に現わすは男らしくない──
 ──挙止沈着、精神平等であれば、いかなる種類の激情にも擾(みだ)されない。──
 ──男子でも女子でも己れの霊魂に感激を覚ゆる時、その最初の本能としてその外に顕わるることを静かに抑える。──とある。

 ──蜻蛉つり今日はどこまで行ったやら── この歌は長閑(のどか)な風景を詠んだのではない。我が子の死に遭遇し、その”不在”をいつもの如く蜻蛉釣りに出かけたと我が身を慰めた。
 武士道の、本書で伝えられることには、身が引き締まる。再三言うが、法の統治ではなく主君の統治がもたらすその果実であることは間違いない。今日でいうところの、人権・平等・幸福の追求が武士道にはない

 精神の強さが試されるなかにおいて、惑わすのは男女の仲だった。──アメリカ人はその妻を他人の前で接吻し、私室にて打つ。日本人は他人の前ではこれを打ち、私室にありては接吻する。──
 ──自然的感情の発動を抑制する努力──とは何か。少年の少女に出会うそのとき。──かかる努力が彼らの神経を遅鈍ならしむか、それとも一層鋭敏ならしむかは、生理学上の一問題である。── 「克己」は恋心には勝てない、ということか。

その10: 武士道を憎む

 第12章「自殺および復仇の制度」。──前者は腹切(はらきり)、後者は敵討(かたきうち)として知られている──
 腹切について、そのエッセンスだけをここに引用して述べることは出来ない。新渡戸は、──積極的賞賛とまでは行かなくても、魅力を感ずることを告白するであろう。──と記す。関心のある向きは、本書を手にしていただきたい。
 腹切の儀式はその描写について多くの記録があるらしいが、この章で2例が読める。推測を巧みにして読むしかないが忍びないこと限りなし。

 ──切腹および敵討の両制度は、刑法法典の発布と共にいずれも存在理由を失った。美しき乙女が姿を変えて親の仇敵を尋ねるロマンティックな冒険を聞くことはもはやない。家族の敵を討つ悲劇を見ることはもはやない。宮本武蔵の武者修行を今や昔話となった。規律正しき警察が被害者のために犯人を捜索し、法律が正義の要求を満たす。全国家社会が非違を匡正(きょうせい)する。正義感が満足せられたが故に、敵討の必要なきに至ったのである。──

 主君統治の残酷なさまを示そう。
 徳川家康を殺そうと陣屋に忍び入らんとして捕らえられた若者。24歳と17歳のきょうだい。父の敵討が目的で、家康はその勇気を愛で、──名誉の死を遂げさせよと命じた。一族の男子皆刑せらるることに定められ、当年僅かに八歳の小児に過ぎたりし末弟八麿もまた同じ運命に定められた。かくて彼ら三人は仕置場たる一寺に引き立てられた。──
 私は目を疑った。そして、真のことかと驚愕した。数えで齢をかぞえるならば7歳かもしれない。引用するも忍びない。これを詳述した者もその記録はすべて真であろうか。美徳として描くことで礼をしたためたのではないか。掟とはいえ、八歳の幼な児まで巻き込まれる武士道とは何か。ここにおいて私はこれを憎む。

その11: 刀は、武士階級の象徴

 第13章「刀・武士の魂」。章タイトルがすべて、で言を要しない。本章には内容がない。少年が「武士」になる、その儀式が描かれている。──五歳の時武士の服装一式を着けて碁盤の上に立たせられ、これまで玩(もてあそ)んでいた玩具の小刀の代りに真物(ほんもの)の刀を腰に挿すことにより始めて武士の資格を認められるのは、彼にとりて重要なる貴会であった。──
 刀が武士の魂であることは、次のことを言わねばならない。──武士道は刀の無分別なる使用を是認するか。答えて曰く、断じてしからず!──

 勝海舟はこう語ったという。──刀でも、ひどく丈夫に結えて、決して抜けないようにしてあった。人に斬られても、こちらは斬らぬという覚悟だった。ナニ蚤(のみ)や虱(しらみ)だと思えばいいのさ。肩につかまって、チクリチクリと刺しても、ただ痒いだけだ、生命に関りはしないよ──
 武士道は偉人を生む。

その12: 封建制下の女性

 第14章「婦人の教育および地位」。武士道の書にこの章があることに驚きというか、新渡戸という人物に興味がわく。──女性の心の直感的な働きは男性の「算数的な悟性」の理解を超ゆる──の女性観から始まる。

 ──娘としては父のために、妻としては夫のために、母としては子のために、女子は己れを犠牲にした。かくして幼少の時から彼女は自己否定を教えられた。彼女の一生は独立の生涯ではなく、従属的奉仕の生涯であった。男子の助者(たすけ)として、彼女の存在が役立てば夫と共に舞台の上に立ち、もし夫の働きの邪魔になれば彼女は幕の後に退く。一人の青年が一人の乙女を恋い、乙女も同じ熱愛をもって彼の愛に報いたが、青年が彼女に心惹かれて義務を忘るるを見て、乙女は自己の魅力を失わしむるため己が美貌に傷つけたるごとき事の起りしも稀でない。──

 ──武士道は元来男性のために設けられた教えであるから、その婦人について貴びし徳もおのずから特に女性的なるものから遠くあった。──
 男は、〈義〉に始まり〈勇〉に続く徳に励み、これを内助の功で支えることで女の徳となった。男は主君に仕え、女は男に仕えることが封建社会の掟となる。これは、男の徳を規定しているのであって、女の定めではない。

 ──すなわち婦人が最も少なく自由を享有(きょうゆう)したのは武士の間においてであった。奇態なことに社会階級が下になるほど夫婦の地位は平等であった。──

 新渡戸は、この時代においては、けっこうフェミニストである。──アメリカの独立宣言において、すべての人は平等に創造せられ〈略〉法の前には万人平等である〈を、承知しているとした上で〉社会的政治的単位としては高くはなかったけれども、妻および母としては最も高き尊敬と最も深き愛情とを受けた。──

その13: 武士道の精神性遺産

 武士道とは何か。これについては第13章で終え、第14章で女性の立場を著した。第15章以下終章(第17章)は、武士階級でない下位に位置する階級いわば庶民にどのように武士道が影響を及ぼしたか、廃藩置県そして西欧文明特にキリスト教との対比、騎士道と武士道との差異を述べることになる。『武士道』が著された1899(明治32)年における時世批評ということになる。日清戦争に勝利し、日露戦争勃発の前だ。国威としては自信をつけ武士社会終焉以降、富国強兵まっしぐらという時代だ。
 したがって、国も国民も知識階層も、迷いながらも反省がない。西欧化について──(タウンゼント氏の言をひいて)ヨーロッパ人が日本を教えたのではなく、日本は自己の発意をもってヨーロッパから文武の組織の方法を学び、それが今日までの成功をきたしたのである。──
 ──タウンゼント氏が、日本の変化を造り出したる原動力はまったく我が国民自身の中に存せしことを認識したのは、誠に卓見である。しかしてもし氏にしてさらに日本人の心理を精察したらば、氏の鋭き観察力は必ずやこの源泉の武士道に他ならぬことを容易に確認しえたであろう。──

 武士階級に比して庶民・大衆を新渡戸は平民と称した。平民は武士に習ったから、つまり武士道が影響して、平民を感化し、国を繁栄に導いた、としている。
 ──過去の日本は武士の賜(たまもの)である。〈略〉彼らは社会的に民衆より超然として構えたけれども、これに対して道義の標準を立て、自己の模範によってこれを指導した。──
 主権在民あるいは教育の目的が当時と現代とではまったく違うことをしっかり確認しておきたい。

 本書では当然ながら、新渡戸は触れること出来ないが、こうした武士道の教義は1945年8月の敗戦を迎えるまで、精神性に留まらず国を統治する実行行為者のなかに生き残っていた。つまり、廃刀令(1876/明治9年)以降も武士は70年前まで存在していたのではないだろうか。三島由紀夫(1970年自死)、2018年に自死した西部邁(にしべ・すすむ)は武士道に生きた人であったかもしれない。無名でありながらも武士道の精神を受け継いでいる日本人(特に男子)は少なからず今日にあってもいるのかもしれない。

その14: 補遺 / 儒教の徳目〈智仁勇〉そして我が徳目〈智仁素〉

  • 武士道の骨組を支えたる鼎足(ていそく)は智仁勇であると称せられた。(p93)
    • 現代においては、──
      • 智…生涯、学びなさい。
      • 仁…やさしくあれ。所謂「勇気」は仁より生ずる。
      • 勇…決心を促し、正義こそ真、行動せよ。
    • 〈智仁勇〉は、儒教の根本徳目とされる。
  • 智仁素
    • 〈勇〉は、〈仁〉を高めることで達成できると考えるので重複感があること。〈勇〉は武士をイメージしてしまい現代に合わない。決心を促すのはシンプルな生活、モノの支配から遠ざかる暮らしを心掛けることと考え〈勇〉を〈素〉に置き換えてみた。

その15: 補遺 / 芥川龍之介『手巾(はんけち)』より

  • 1916(大正5)年の作品 青空文庫より
  • 先生の信ずる所によると、日本の文明は、最近五十年間に、物質的方面では、可成(かなり)顕著な進歩を示してゐる。が、精神的には、殆(ほとんど)、これと云ふ程の進歩も認める事が出来ない。否、寧、或意味では、堕落してゐる。では、現代に於ける思想家の急務として、この堕落を救済する途(みち)を講ずるのには、どうしたらいいのであらうか。先生は、これを日本固有の武士道による外はないと論断した。武士道なるものは、決して偏狭なる島国民の道徳を以て、目せらるべきものでない。却(かへつ)てその中には、欧米各国の基督教的精神と、一致すべきものさへある。この武士道によつて、現代日本の思潮に帰趣(きしゆ)を知らしめる事が出来るならば、それは、独り日本の精神的文明に貢献する所があるばかりではない。延(ひ)いては、欧米各国民と日本国民との相互の理解を容易にすると云ふ利益がある。或は国際間の平和も、これから促進されると云ふ事があるであらう。
    • 「最近五十年間」は、明治維新以降の50年間に相当すると思われる。
    • ここでいう「先生」とは、新渡戸稲造らしい。

その16: 武士道の「いま」

 武士の時代でもない今、武士道をなぜ見直そうとするのだろう。新渡戸稲造の『武士道』を読んだ。難しい、というかとっつきにくいので読書メモをとりながら、読んだ。「仁」を過ぎたあたりから、読めそうになってきた。仁=「やさしさ」。その仁が「勇」を生む。そのように読める内容に、私は強く同意したので読む気になった。しかし、八歳の子どもにも連帯で腹切を命じる武士道を憎んだ。絶対許せない。「義」から説く武士道。「義」は「正義」とみた。何をもって正義とするか。何をもって「正しい」とするか。主君に忖度した正義もあるだろう。人の道に照らした正義もあるだろう。その判断基準には疑問はあるが、正義に立ち向かう心の強さを知った。この正義は「智」であると思う。法は主君が立てたものだ。その法も含めて、何が正しいのか。これを身につけるために学ぶ。それが智だ。
 武士道の鼎足は「智・仁・勇」ということらしい。最後の「勇」は勇気ではなく「決心」と思う。学んで、やさしい心を持ち、自らの意思で決心(決断)する。この3本柱であれば、今に十分通じる。武士道は厳しい。質実に生き、他者を思い、優柔不断を退ける生き方は、豊かさに惑う現代において、個の生きる姿としては求められて良い、と私は思う。

考察 | 武士階級の子育てと、”平民”の子育て

  • 〈武士道〉は武士階級の範を示したもので、武士階級を除く階級、新渡戸の言う”平民”とは無関係に独立している。
  • 〈武士道〉は武家家族の男子に範を示したもので、女子を対象としていない。おとなの女子については、男子が〈武士道〉の徳に励むことの出来るよう、新渡戸が〈内助の功〉で支えているとし、護身に対処する女子についても男子に邪魔にならない程度の心得に留まる。
  • 上述のとおり、〈武士道〉は武人男子の徳を説き、女子は範疇になかった。八歳の男子に腹切を命じたように男子であれば八歳であっても一人前とされた。
  • 武家家族の場合、その子育ては、たとえば、
    • 諺(ことわざ)に曰く、「就中(なかんずく)金銀の慾を思うべからず、富めるは智に害あり」と。この故に児童はまったく経済を無視するように養育せられた。経済のことを口にするは悪趣味であると考えられ、各種貨幣の価値を知らざるは善き教育の記号(しるし)であった。〈略〉考えのある武士は金銭が戦争の筋力であることを十分知っていたが、金銭の尊重を特にまで高めることは考えなかった。武士道において節倹が教えられたことは事実であるが、それは経済的の理由によるというよりも、克己の訓練の目的にいでたのである。(p95)
    • のように、〈武士道〉を修むるに限って言及され、子育ての詳細は不明である。
  • 父や夫が戦場に出て不在なる時、家事を治むるはまったく母や妻の手に委ねられた。──(p137)とあり、おとなとしての〈母や妻〉に言及はあるが、〈子のうち女子〉については一言も記載がない。〈子〉とするとき、それは赤子または幼児を示し、そこに男女の区別はない。
  • 一方、”平民”は、武勇伝を聞かされるなどして、武士の徳に感化され真似た可能性はあるが、男女の仲や、性別の分業においても平等であったらしい。このことから、”平民”の子育ては武士階級より自由度が大きく、愛情も制約されることも少なかったと推察できるが、その域を出るものでない。
  • “平民”の礼儀作法あるいは〈しつけ〉については、武士の所作に感化され、また、教育の機会について、なかったとはいえない。
  • 武士は国家主君の統治下にあり〈武士道〉に表れるように制約は大きいものがあった。しかし、”平民”は藩の統治下にあり、そこには地方自治や風土・慣習が深く関与したと思われる。

現代の子育てが、武士道に学ぶものとは……

 相手の存在を意識し、他者を気遣う心を養う。即ち〈仁〉この一つに尽きるか。体験の積み重ねで〈智〉の基礎は培われる。残り1つ〈勇〉(または独自〈素〉)は、どのように学べばよいか。子どもに求める決心(決断)とは。決心を揺らがせるもの、惑わせるものは何か。堪える・我慢する・欲しがらない・待つ・譲るなどか。〈仁〉は他者を思う心のもちかたとすれば、〈勇〉(または〈素〉)は、モノに対する心のもちかたになるのだろうか。

山田利行 2019.11.18記す
▶“The Renaissance of Childhood” Project 子ども期の、再生(ルネサンス)