終活ダイエット | 健康寿命メモ

 腰痛の最中、自覚足りずエスカレータに乗ってしまった。乗ったはいいが、さて、降りるのが大変。と、思っている間も上昇する。思考が追いつかない。覚悟しかない。そして、見事転倒した。
 整骨師に相談すると「あなたなら体重を60kg以下にすることですね」と教示を受けた。腰痛は年に二度、三度。「余分な荷物を背負っている」の助言が腑に落ちた。整骨師自身は30kgの減量が必要らしく笑っていた。当時2019年9月で64kgだった。
 密かに誓った。あと4キロ、減らしてみよう。そして、(健康だったはずの)高校時代が57kgだったことを覚えていた。減量を始めて2019年12月末に60kgを達成した。よし、57kgをめざそうと思った。今やらないと次がないと思った。そして、とうとう2020年1月12日、測りのデジタル表示に57.xkgが現れた。嬉しかった。7kg減に4か月かかった。
 ダイエットの目標は〈体重ベース〉でその内容は問わなかった。今(1/26)はせっかく目標に達し、余分な荷物を背負わなくなったのだから、57kg台を維持しながらも、栄養など健康を維持するに必要なことは何かを考えている。

(山田利行 2020.1.26)

「終活ダイエット」と名付ける理由

  1. 長生きしたいわけでなく、健康でありたい。
  2. 幼児や年少者とともに野外活動することが多く、それを続けられる健康と体力を維持したい。
  3. 子育て中など、扶養する家族がいる家庭では、自分勝手な食生活を実践することはむずかしいと思う。そういう背景を考え、「終活」の身ならできそうなことだから「終活ダイエット」とネーミングしてみた。

今……実践中のこと。

  • 56kg台(56.9kgであっても)になったときは〈ダイエット・フリー〉とする。
    • ダイエット・フリーになった日
      • 2020.1 29
      • 2020.2 2,6,11,12,17,25,26,27(8日間)
      • 2020.3 1,2,3,29(4日間)
      • 2020.4 4,5,7,8,12(5日間)
    • 57.9kgを超えた日
      • 2020.3 11,24(2日間)
      • 2020.4 25(1日のみ)
    • 以上のことから、57kg台が常態となった(2020.5.27現在)
  • 記録
    • 2019.9……64kg
    • 2020.1.12……57.9kg
      • 以降、57kg台が常態になった。
    • 2020.3.2……56.1kg(最小値)
  • 57kg台を維持すること。
    • 目覚めて一番に測って、57.xとデジタル表示されること。
    • 就寝中に減る量は 500~600グラム。
      • このことから、就寝前は 57.4kgを目標とする。
  • 一日の食事回数を2回で試行する。2020年4月より
    • 夕食を6時台に摂っても就寝前に目標をオーバーすることが多いから。
    • 体重の維持が大変やりやすくなった(2020.4.17現在)
    • 朝……7~8時
    • 2回目……14~15時
  • カロリーと栄養確保のために(以下を朝食前を原則に摂ります)
    • ビタミンC・E・A
      • 栄養機能食品を採用
    • 梅干し1個
      • クエン酸を摂るのがよいらしいので
    • 野菜ジュース+オリーブ油
      • 日野原重明さんが実践されていました。
      • オリーブ油15cc+野菜ジュース=コップ1杯
      • トマトジュースは果汁を加えただけなので、これを採用せず、100%野菜を。
      • 意外と、おいしいですよ。
    • 納豆(朝食時とは限らない)
    • おからパウダーを小さじ山盛り1杯+これを食べやすくするために牛乳少々+カスピ海ヨーグルト=特製コップ1杯食
直近の、腰痛履歴
  • 繰り返さないために
    • 2019.9.15
    • 2019.1.4

56kg台……新たなステージに入ったか?

  • 56.9kg(5/28)→56.2kg(5/29)→56.2kg(5/30)→56.6kg(5/31)
Profile
山田利行 schlegel.yamada1950年生まれ 兵庫県明石市在住紙媒体のペンネーム…檜智仁素(ひち・じんそ)智仁素 ちじんそ思い出話my Writing1冊の本があなたを変えるかもしれない──私の場合my Facebook 子...
コロナ・クライシス
※コロナ……新型コロナウイルス感染症 COVID-19 およびこれによるパンデミックのこと。  2019年11月は中国のある地域の騒動程度に受けとめていた。翌年3月、かかわっていた保育園の野外活動がすべて取り止めとなり卒園式は卒園児と保護者だけとなった。この時点で...