なぜ今、寺子屋《帆塾(はん塾)》なのか?

── 智仁素を帆塾の要に ──

 1970年代初め、私は「自然教室」を設立し、野外活動を始めた。当初は小学3年生が最年少だった。その後、2年後からだったと思うが1年生までに対象年齢を下げた。小学校ベテラン先生に「1年生なんて……」と呆れられるように反対された。それは、バカにしているのでなく、幼くて集合場所にどのようにして来ることができるのか、心配してのことだった。それでも、その先生は思いを譲ってくださり、1年生からとなった。
 私は、さらに年齢を下げたかった。あかちゃんは、縁側で自然の空気に触れながら寝かせられることがよい、と考えていた。1年生より下げるということは幼児の世界で、自ら現場に臨むしかないと思った。

汗腺の数は2歳くらいまでで決まる(藤田紘一郎)
藤田紘一郎 2004年『水の健康学』(新潮社)p36  発汗は全身で起こるが、髪のはえ際や首、顔でよく起こる。ここにはエクリン腺という汗腺がある。 からだ全体で四一度ぐらいまで体温が上がることがあるが、脳は40度以上になると熱性痙攣を起こしてしまう。顔に多くの汗腺があるの...

 箱根だったか、関東で環境教育の研究集会があり、上記のことを、出版社ひかりのくにから科学の本を多く出版されていた山内昭道先生(パネラー)に質問をした。「神戸は幼児教育の先進地で立派な先生がたくさんいるよ」と導いてくださり、守屋光雄先生を紹介してくださった。帰宅して直ぐ、400字詰め原稿用紙に30枚ほどのレポートを書き、守屋先生に送った。先生のご自宅は北須磨団地にお住まいで、園もそのすぐ近くだった。私は近隣の高倉台に住んでいた。折り返しすぐに先生から嬉しい返事を受け取った。

初めての保育園と、守屋光雄先生との出会い

 1977年、27歳のときだった。守屋光雄先生に出会い、直接の教えを受け、実際に園児らと行動を共にしたことが、今の私の根本にある。年長5歳児クラスは3クラスあり、1クラス30人の園児がいた。3組そろうと90人。この子らを引率して野山・田園を行った。クラス担任は1人だったので、3クラスの担任、副園長(守屋先生の妻)または主任、私の5人で引率した。今では考えられない。こんな大集団を5人で指導することは危なすぎて考えられない。そういう時代だったのかもしれない。

守屋光雄の「保育一元化の理念」 1979年
 「保育の一元化」や、領域で分ける保育でなく「遊び」で統合する保育を、守屋光雄は、研究者である一方、施設長として、市の認可を得た上で実際に施設型保育でその実践を行った。1970年代の3年間、わたしは保育一元化施設・北須磨保育センターで働く機会を得た。 山田利行 2...

 園の名を北須磨保育センターという。

  1. 6領域(現在は5領域)を排し、「遊びの保育」1本という教育方針
  2. 保育園と幼稚園に子どもを分けるのでなく「保育一元」と称して、その実践を行っていた。現在の「認定こども園」を実践していたことになる。
  3. 幼稚園を短時間保育、保育園を長時間保育と呼んだが、教育・保育においては、分け隔てがなかった
  4. 延長保育を「超長時間保育」と呼び、超長時間保育の問題や、子どもの人権、保護者の働く権利に正面から向き合い、職員は夜遅くまで議論した
  5. おいしい手作り給食だった

 影響を受けたことは、この5つだ。

 保育センターと、その後に、神戸市兵庫区の「ちびくろ保育園」に通った。これらのほかに「もぐら探検隊」(4歳から小学6年生まで)という子どもの遊び集団も実践した。自然教室は環境教育を目的としたが、もぐら探検隊や園活動は「遊び」が目的だった。自然教室は会員制で500人を超えたこともあり、阪神・神戸・姫路で活動し、例会の回数や実績人数は保育園のそれよりも多いかもしれない。
 自然豊かな環境で子育てすることの必要を感じ、幼児と接する機会も得て、それから40年余。「体験は3つ」という考え方にも辿りついた。

《3つの体験》& ハートスケール
 我が子には、たくさんの体験をさせたいと思う。小学生も高学年であれば、どこかに出かけたり、教育施設の体験プログラムなどに参加させてみようかと思う。幼児では、親が連れ出して一緒に遊んでみようと思う。「体験」はさまざまな場面で多用されるが、本稿では、体験を《3つ》に定義して...

明治の初めから今日まで、子育てに、針路があったのだろうか?

 そして、2015年4月からの国の方針「子ども・子育て支援」で、ようやくその正体をみることになった。まだまだ勉強は足りないが、明治のその初期から今日(こんにち)まで、幼児教育については進歩していないのではないかと思うようになった(気づいた)。それの第一の要因は、3歳からの教育を主眼とする幼稚園、働く親の子どもを養護する保育所、こうして分断・分けられたままの子育てがあたりまえとされてきたことにある。解決を難しくしているのは、3世代にわたって、つまり、祖父母に遡っても、分断されてきた教育・養護の世界で育ってきたことにある。
 こうした気づきは私の勘であって、勉強が足りない。だから、眉唾と思ってくださってかまわない。新生児から小学2年生(7歳)までは、その発達を連続でなんとか説明できる。しかし、8歳(3年生)以上となると仮説でしかない。勉強も実践も足りない。自然教室で多くの小学生と接してきた経験はたっぷりあるが、今私が到達しているような発達観が当時にはなかった。子ども(の発達)を見る目がまったく違ってしまった。だから、実験的におつきあいをお願いするしかない。

年齢(学年)による発達段階
年齢(学年)による発達段階 0歳から2歳半まで/あかちゃんは冒険家 (※)ハートスケール生成期… 1歳4か月から2歳半まで 2歳半から小学2年生まで 幼児前期 … 2歳半から4歳まで 幼児後期 … 5歳から小学2年生まで 小学3~4年生 … 移行期...

 ところで、江戸時代末期、寺子屋(名称は「寺子屋」以外に多くあったらしい)は全国で1万5千とも2万あったともいう。2万という数字ならば、現代の小学校数に近似する。1校(1塾)当たりの児童数は桁が違うだろう。だが、全国人口が現在の3分の1以下だったことを思えば、それぞれの地域で必要と思われる教育を受け持つおとながいたということだ。以上は文献で学んだが、宮城県石巻市の農村(十三浜)で伝承神楽(かぐら)に出会ったとき、子どもたちを指導する長老たちがいて、私はそこに臨場して驚愕した。さらに調べると、神楽の伝承は、寺子屋に相当するものだった。

寺子屋とは、そして私塾へ
 江戸時代、中央集権制度はまず五街道(東海道・中山道・日光道中・甲州道中・奥州道中)の整備からはじまる。そして参勤交代制度が、江戸と諸国間の交流をうながした。かくて生産の上昇、経済の発展につれて商品が流通しだすと、庶民も簡単な数字や文字の知識が必要となる。その要求に応えたのが寺...
保育・子育てが、まちを再生させる
保育通信 2014年12月号全国私立保育園連盟 / 発行2014年8月号◇児童激減に苦悩する石巻の保育所事情このページ 石巻・十三浜の、若者 子育て世代と出会って  「しゃがみかた、足りねえから」 長老のセイゴさんから小声をかけられ、Y君(小学1年生...

 一方、公教育が崩壊している実際を見聞きしている。日本だけでなく、アメリカもそうらしい。『子どもはもういない』(The Disappearance of Childhood / ニール・ポストマン 1982)ほか。公教育の崩壊を、公すなわち国が簡単に認めるわけがない。それは「教育とは何か」を問うだけでなく、「子育て」をその根本で問うことにもなる。だから、私の主張も容易に認められるとは思えない。
 大層なことを主張しているようだけど、母または父の実感、何よりも子どもの声に向き合うことを優先することだから、そこは共感があって無理を通すことではない。言い換えれば、無理を通し共感を得られず、教育を性善説のように認めてしまえば道が拓けない。言い過ぎかな。子育てを取り戻したい、そのことが年齢が長じて8歳以上となれば、それを教育というならばそれが自然と思う。

武士道(新渡戸稲造)から学んだこと

 新渡戸稲造の『武士道』を読んだ。時代が違うことで読み方が難しい。刀(武士)の社会は怖い。評者でこの本から学ぶことは違ってくると思う。要点は、武士の道を説いている。江戸時代は士農工商で知られるように身分階級の社会。武士階級の道は、農民の道を説いているのではない。しかし、農民は武士の生き方を見本としていた。一方、武士道に悖(もと)る武士が存在し、これが小説やドラマになったりする。だから、武士道のエッセンスを学ぶということは、人間の生き方にも通じる。子育てにも通じるとみた。

新渡戸稲造『武士道』を読む
── 江戸時代の子育て、を考える(1) ── テキスト著:新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)訳:矢内原忠雄(やないはら・ただお ※原書が英語表記)原書名: BUSHIDO,THE SOUL OF JAPAN原書発行年:1899年(明治37年)書名:武士道副書名:日本の魂──日...

 公教育で何が大切なのだろう。子育てで何が大切なのだろう。武士道から学べば「仁」が最も大切とされる。仁とは「じん」と読む。「やさしい心」が最も大切だというのだ。その次が「智」。学びなさい、ということだ。学問とも言える。何を学ぶかは、立場や思想などでそれを示すことは難しい。が、「学ぶ」ことは大切なのだ。幼児であれば、遊びであり、8歳すぎても遊びが発展して学びと結びつく。

もつことのできるのは「やさしい気持ち」
──「勇気」考 ──  「勇気をもつ・もちなさい」のフレーズを耳にするたび、「勇気」なんて「もてない」と密かに反撥する私がいる。勇気って、なんだろう。高いところから飛び降りることか? それなら、度胸で言い換えられるし、度胸のほうが適していると思う。  「どきどきする...

 3つめは、武士道では「勇」となる。私は「仁」と「勇」は裏腹の関係と考えている。仁は熟すせば勇が生じる。だから、私は3つめを「素」とした。質素・素朴の素、「もと」の意味としての「素」だ。明治以降、日本は経済中心の社会となり、豊かさをそのおこぼれとして国民は享受した。車社会もその一つだ。「豊かさ」とは何か、それを問いたい。それを考えたくて「素」をどのようにすれば子どもに伝えられるか、実践的に考えたい。
 《智仁素》(ちじんそ)これを帆塾の要としたい。

フィールド型寺子屋《帆塾》 2020年4月スタート

 かといって、施設型の寺子屋を設けるだけの財力はないし、人的資源もない。「ない」けれど、3世代にもわたってしまったので、では、何をどうすればよいのかその針路もない。それでは困る。
 施設型への見通しはもてないけれど、野外活動なら出来ることはあるかもしれない、と思った。芦屋市の子たちが核になっている実践だから、彼らが住んでいる景色、背景になっている六甲山の最高峰をめざそうと思った。帆塾と名付けながら針路は山へ向かう。2023年2月を目標到達の期日として〈智仁素〉をどのように伝えるか、その実践を始めよう。これは試みであって、確信があっての実践ではない。“The Renaissance of Childhood” Project 子ども期の、再生(ルネサンス)におつきあいくださる方、最高峰をめざしましょう。

帆塾(はん塾) スタッフ募集
フィールド:芦屋市(潮芦屋)を中心に、その周辺で 呼びかけ ボランティア|体力少々必要です  小学低学年を〈3年ほどかけ〉六甲山最高峰を目指して登山するためにお手伝いを探しています。ボランティアでしかも体力を必要とします。芦屋の子どもたちが中心です。単な...

山田利行 2020.3.5記す
▶帆塾(はん塾):フィールド型寺子屋
▶子育ての確からしさを考える
▶“The Renaissance of Childhood” Project 子ども期の、再生(ルネサンス)