豊かさとは何か、を問う〈1〉


  • 執筆者/山田利行
  • 原題「子供の手を虫歯にした責任掲載誌pdf
    • 掲載誌/月刊地域闘争 1977年11月号
あたりまえからの逃避

 自動点火でないガス器具にマッチで火をつける時、マッチを擦ってからガスを出すか、ガスを出してからマッチを擦るか。
 ガスに空気が入りすぎているとボンと大きな音がする。それを知っていて今だに私も怖いのだが、まさかガスを出しておいてからマッチを擦ったりはしない。
 しかし、これを今の子供にやらせたらどうなるだろう。自動点火に慣らされた子供は、ガスを出すこととマッチを擦ることの二つの動作にとまどいを示すであろう。マッチを擦るのが大仕事だ。マッチを使わせてもらえる機会がないからだ。事実、私の友人で、ある大学生はガスを出しておいてからマッチを擦っていた。

 たき火──学校からの帰り道、たき火を見つけては道草をくって、見知らぬおじさんやおばさんと一緒に暖をとった。そんなたき火もすっかり見なくなった。

 さむいので、たき火をしました。火のそばへよってみたら、火のこがとんできて、おやゆびにあたったので、あわてて川の水でひやしました。それからは、もうたき火のそばによりませんでした。でもさむくなってきたので、またたき火へよったら、おなじところに火のこがとんできて、また川の水でひやしました。もうたき火はこりごりです。(1年女、76年1月兵庫県自然教室の例会で)

 この女の子は、つぎにはどんな工夫をするのでしょうか。着るものを工夫するのでしょうか。カイロを懐にでも入れておくのでしょうか。それとも、寒い冬は家にいた方がまし、と決めこんでしまうのでしょうか。
 75年12月、たき火で焼きイモをしました。火にくべて炭にしてしまう者、あせって食べて歯にガリッと音を立てる者、中にはサツマイモの皮をきれいにむいてきた者までいた。数字を記録していないが、小学1年生から中学1年生まで、参加者38人のうち、たき火を経験していた者は果たして半数いたかどうか。
 マッチを使えず、たき火を知らず、ましてやその焼きイモのうまさを知らずして、それが子供の成長といえるのか。決して誇張ではない。冬は寒いもの、夏は暑いもの、と決めこむ生活から逃げだしている。日本の国土に住む人間にとってあたりまえの生活から逃げている。

やきいもパーティー
やきいもレシピ たくさんのイモを一度に焼くには工夫がいります。すべてのイモに均等な熱を加えるにはどうすればよいか? 家庭でオーブン料理をするときは余熱をしますね。これと同じことを野外で実現させます。 ※保育園など、たくさんの人数を想定しています。 水を入れたバケツを用意する...
子供をなじる前に

 クーラー、ストーブ、自動車、テレビ、洗濯機、掃除機、電子レンジ、電気釜、冷蔵庫、電卓、……。なにもかも便利になった。苦から楽に逃げた結果だ。”逃げるが勝”とはこのことだろうか。”勝者”は便利になった分だけ暇をもてあましている。便利になった分だけものを考えなくなった。便利になった分だけ、体を動かさなくなった。
 最大の被害者は子供だ。大人は、ナイフで鉛筆を削れないと現代っ子批判をする。では、学校でナイフを禁止したり、デパートなどで電気鉛筆削りを売っていることに文句をつけた大人がどれほどいるか。誕生日のプレゼントに電気鉛筆削りを贈った者などに批判する資格もないではないか。”手が虫歯になった”と好き勝手にいって喜んでいるが、虫歯にしたのは一体誰だ。大人たちではないか。
 ものが豊かになって先に恩恵(?)を受けたのは大人である! 都会の灼熱地獄から逃れるにクーラーは一時の清涼を与えてくれる。しかし、それは問題のすりかえでしかない。クーラーの排出熱は、自動車の排気ガス、コンクリートの道路・建造物とあいまって、異常に都市気温を上昇させている。72年7月に兵庫県自然保護協会が神戸市東灘区で調査した結果によると、国道二号線沿に熱が集中しており、緑地率の高い地域と5度の差が生じている(同協会機関誌『兵庫県の自然』2巻2号、1972年)。不快はむしろ増大しているのだ。
 安い稼ぎの中から買ったものは、もちろんクーラーだけに終わらない。”餅つき機”なるものが先年より売り出されている。そして好評だといわれている。好評とはよく売れているという意味だ。だが、これはどうみても餅をついているのではない。ペッタンペッタンと、あるいはパンパンと、杵の打ちつける音が餅を”つく”音だ。モチツキキなるものから出される音は、ボコボコボコだ。しかし、大人も子供も、モチツキキで餅をつく時は、”もちをつく”といっている。大人たちは、口の先がこそばくないか、そんな言葉を使って。いっそウソツキキと名をかえた方が良いのではないか。
 餅にまつわる文化や歴史を調べる余裕は今の私にない。けれども正月前の餅つきは強烈に今も記憶にとどまっている。そこには人と人とのつながりがあった。大人から子供へ、年長者から年少者への文化の継承は、餅つきの中にもあった。餅が食べたい──それだけの餅つきではなかったのだ。
 モチツキキこそ、ものの豊かさにあぐらをかいている大人の怠慢をみごとに露呈している。子供に、お前らはもののない時代を知らないとなじる前に、自らを反省する必要があるのではないか。

ものの豊かさについて

 私は1950年生まれだから敗戦直後の深刻な食糧危機を知らない。日用品の不足、衣類の不足も知らない。つまりは、もののない時代を幸いにも(?)体験しなかったわけである。それどころか61年に始まった所得倍増計画なる高度経済成長路線の政策のもとで、小・中・高と教育を受けてきた。消費は美徳といわれるまでに国民は教育されてきた。私は、そういう教育を疑いもしなかった。
 つい3年前までは四畳半と二畳の家に両親と私、そして弟2人の5人が住んでいた。日照権訴訟はどこの世界の話かと思う程に、一日中陽のささないところだった。私にとって最大のもの不足は家であった。寝ている頭の上で電話が鳴る。寝ている足もとは玄関だから客が来たら急いで飛び起きなければならない。とにかく狭かった。
 そして、今、4DKの団地の住人となり、六畳の部屋を専有している。部屋いっぱいに陽がさしこんでくる。おかげで早起きになった。朝の光がもったいないので、団地に住んでいながらカーテンをしめて寝たことがない。母は結婚後25年目にしてガス瞬間湯わかし機を使った。おかげで毎冬悩まされていた赤ぎれはできなくなったらしい。
 ところが、3年を経た今、自分には不釣合い思えてならない。浴室があって銭湯に行かずにすむが、見知らぬ他人とのつきあいも減った。子供に部屋があてがわれたが、家族の対話は減った。スペースのできた本棚に無用な本を読まないままに並べてしまった。ものの豊かな現代において、家の狭さは、物理的にものの侵入を拒否したが、いったん家が広くなるとものが家を占領してしまったかのようだ。家がものの住むところとしたら、人はどこに住めばよいのだろう。いや、人はものになりさがったのだろうか。
 私も”勝者”の仲間入りをしてしまっている。ものにあやつられている。もちろんもののそれ自体に意志があるわけでない。ものをあやつっている人たちがいるのだ。ものが豊かにある生活を人びとは望んだが、モチツキキに象徴されるごとく、明らかに演出されている。ものの豊かな現代をもののなかった時代と比較する時、ものにごまかされず、それを終始あやつってきた背景から視点をはずしてはなならない。

“水”への観念

 ものに対して、子供は無知である。例として”水”をとりあげてみよう。
 今年の夏休みに神戸市須磨区の横尾山南山麓へ小学校低学年のグループ2組(いずれも10人から20人の少人数)を日を違えて連れていった。あいにく日照り続きで水量こそ少なかったが、そこには飲める川の水が流れていた。
 先の組。子供たちに全く声をかけず、私は川の水を手ですくって「うまい」と声を発した。驚いた子供たちは口ぐちに「この水、飲めるん」とたずねてくる。「飲んでごらん」とうながすと慣れない手つきで水をすくって飲み始める。すぐに「おいしい」という声が喜びとともにくりかえされる。
 後の組。私は全く手をつけず、子供たちに「この水、飲んでごらん」とだけいった。誰も飲もうとしない。私に先に飲んでみろと要求してきた。それには何もこたえず、再び同じことをいってうながした。「きたない」という声もあがる。子供たちはそこで水筒のお茶を飲んだ。あまりしつこくしてはかえってまずいと思い、5分程歩いて再び「飲んでごらん」とうながした。目くばせしながらしばらく待った。1年生の男の子が恐る恐る飲んだ。まわりの者は「飲んだんか、飲んだんか」と確かめるようにいいながら男の子の顔をのぞきこんだ。彼は「まずい」といった。こんどは私が飲んだ。男の子が「まずい」といったにもかかわらず、私に続いて二、三人が飲んだ。そのときも私は黙ったままいると、後から飲んだ子が「おいしい」といった。帰り道、再び同じところを通った時、彼らはそろって「おいしい、おいしい」を連発して飲んでいた。

 次の例。山の水と川の水について、兵庫県自然教室の子供たち50人にたずねたことがありました。去年の7月でした。まず山の水と川の水のそれぞれについて飲んだことがあるかどうかの経験をたずねました。結果は表の通りです。自然教室は野外での体験が得られることが大きな特色です。ところが、この調査によって”自然の水”を飲んだことのない子供が4分の1(14人)もいたのにはいささかショックでした、なぜならこの50人の多くは毎月一度の例会という機会があったわけで、その機会を十分に生かせてなかったという結果になるからです。
 ところで”山の水”も”川の水”も本来は同じものです。しかし子供の認識では明らかに区別していました。山と川のいずれの水も飲んだ経験のある20人の内、表には示していませんが、両者が同じものと理解していたのはわずか5人でした。子供たちは山がなくなっても川には依然として水が流れるものと考えているのでしょうか。山や川がなくなっても水道の水は出ると思っているのでしょうか。
 この調査は神戸市立白鶴美術館前の住吉川で行ったものです。そのあたりの住吉川は広く護岸も改修されているので、そこに流れている水を子供は”川の水”とこたえるだろうと予想していました。たずねてみれば「山の水」とこたえるではありませんか。「前におかあさんとこの山の奥(住吉川の上流を指して)へ行ったもん。そしたら水が流れとった」と3年生の男の子がいうのです。つまり原因が山にあれば山の水とこたえられるのです。野外での自然観察の大切さを痛切に教えられたものでした。

ものを見誤らぬ道

 次の例。兵庫県自然教室の主催する”みかた自然教室”に参加した子供の作文です。

   よしたき(善滝)

 ぼくは今日よしたきに行った。行く時、おじさんがのうみん車(耕耘機のこと)に乗してくれた。だけどおじさんは用事があるのでと中でおりた。あと自分で歩くのがしんどかった。やっとよしたきについた。たきの水をさわった。とてもつめたかった。それでリーダーが水をのましてくれた。そのあと水をぼうしに入れてかぶった。とても気もちよかった。あまりやりたくない子はコップでやった。そのうちおもしろくなってぼうしでやっていた。とてもおもしろかった。(3年男、77年7月)

 川の水が飲める! それは子供にとって大変な驚きだ。ぼうしの中に冷たい水をいっぱいに入れてかぶる。かぶった瞬間の子供の目をいっぺんでも親に見せてやりたい。カナケくさい水道の水とジュースを比べたら、絶対にジュースの方がうまいと子供はいう。しかし、12度の水、飲める水、に出会った子供は、こうして水というものに対する価値観を変えていく。

   美方町の水

 美方町の水道のことを、おばさんに聞きました。
 山の小さいタンクに清水をためておいて、そこから村の一番高い所にある大きなタンクに水をひき、またそこから一けん一けんの家々にパイプではこぶそうです。
 夜の間にためた水は、みんなが使うので、多すぎることはなく、くさることもないそうです。
 この水は消どくしていません。それに水道だいもただです。しかし、水を使いすぎると、山の清水がかれてしまいます。おばさんは「そんなこと、めったにないがなァ」と言っていました。が、もしなくなったら、一定の時間だん水して、その間ためておくそうです。だから「ただやから」といって、あまり使えません。
 とくに、夏の間は清水が細くなるので、水が不足する回数が多くなり、むだ使いはできません。冬の間はあまり使わないし、清水も太いので水もたくさんあります。ここは清水だけがたよりなので、水はとくに大切にしています。
 もし、山が切り開かれてしまったら、おいしい清水は飲めなくなり、消どくした都会と同じ水になります。こうなると、美方町にくる楽しみが消えることになります。
 近代化が進んでも、ここだけは自然を守らなければいけないと思います。(4年木谷公士郎、兵庫県自然教室機関誌『自然教室新聞』45号、77年6月)

 蛇口をひねれば水がでる”水道”は確かに便利だ。その水の正体をこの子供は知っている。現代にサボリを決めこんだ大人の忘れていたものだ、といえばいいすぎになるだろうか。
 ものの豊かな現代のものにとらわれず、ものを支配している構造から視点を離さず、実践を通して価値観の自己変革をめざしたいと思う。子供たちに自らの力で生きていくすべをさずけ、多くの人びとの辛苦によって守りみがき抜かれてきた文化を今一度見直し、後世に継承していくことが、ものを見誤らない道だと私は思っている。

注・みかた自然教室……兵庫県美方郡美方町《2020年現在は、美方郡香美町小代区》一帯で71年8月より行われている。夏休み(4泊)・春休み(2泊)などを利用して農家に宿泊し、農村の自然と暮しについて体験学習をしている。今夏で11回目となった。

思い出話 3 子供と遊びながら自然を守る
月刊グリーン・パワー 1979年6月号(通巻6号)発行(財)森林文化協会(朝日新聞東京本社)ルポ 伊藤 幸司 すばらしき仲間たち ── 兵庫県自然教室の仲間たち 子供と遊びながら自然を守る  色とりどりのリュックサックを背負った小学生たちが、3台のバスに分乗し...

山田利行 2020.4.18記す
▶“The Renaissance of Childhood” Project 子ども期の、再生(ルネサンス)