思い出話 25 奪うな子らの環境!

自然教室の発足が意味するもの

1973年5月20日 朝日新聞・神戸版〈日曜だんわ室〉
山田利行 22歳

 この都会の中で、自然を知らされずに育ったこどもたちが、おかあさんやおとうさんになったらどうだろう。取返しのつかないことになるかもしれない。県や市が、こどもの自然環境を保障する施策にどんどん手を打っていかない限り、私たちは放っておくわけにはいかない。こういった考えから、小、中学生が参加する「県自然教室」と、その活動を助ける父母らの組織「県自然教室育成会」をこのほど結成した。
 神戸には大きな川がない。どれも小さくて、ゴミが異臭を放ち、あわのまじった水が流れている。川とはただ汚い水が流れているにすぎない、と思うこどもたちも多いだろう。道路も同じこと。自動車の走り去る道路としか思うまい。こどもたちがたわむれて、母親が世間話をする場所とは思えない。いつのまにか、私たちは歩道橋を渡ることに慣れてしまった。密集地に建つコンクリートの狭い家。大気は汚染され、水はまずい。生活空間はいよいよ狭く、心も乾いてくる。遊び場であったこどもたちのたまり場は、自動車の往来のため狭い範囲に限定される。そして、限られた範囲では、遊び仲間が少なくておもしろくない。残った空地も駐車場になって遊べない。道路でも遊べない。こんな標語がある。「あそびません。こわいくるまのとおるみち」。団地のおかあさんは、こどもが窓から見える広場で遊んでいると安心だが、建物の陰で遊んでいると心配だという。こどもたちから遊ぶことを取上げたら何が残るのだろうか。私たちもそうであったように、こどもたちも遊びの連続の中から多くのことを学ぶに違いないのだ。しかし、そのこどもの権利はことごとく奪われている。
 こどもたちのまわりに、いっぱいの自然があったらどうだろうと思っているとき、新聞の投書から美方郡美方町の区長さんと出会うことができた。そして、区長さんの家で昨年四泊五日の「みかた自然教室」を開くことができた。参加したのは阪神間の小、中学生三十七人だった。谷あいの山の斜面にはいつくばった小さな村だった。滝にうたれたり、はんごうでご飯を食べたり、川で遊んだりした。四泊五日は長い。帰りたくなる子も出てくる。だが、そのときこそ、こどもなりに自分とその周囲の環境を見つめ直すことができるのではないかと考えている。
 都会の自然環境が奪われた今日、一年のうち何日かしか、自然に接することができない。こどもにとっては自然は欠かせない。県や市は、こどもの自然環境を保障してやらなければならない。わざわざ遠い所まで出かけることなく、本来なら住んでいる家の周囲で自然に接することのできる条件を与えておくべきだと思う。私たちは非力である。いくらがんばっても毎月に一回と、夏に少し長い期間しか自然教室を開けない。集まった子らの面倒を見る人数にも限界がある。会の台所も苦しい。しかし、こどもたちはどんどん育っていく。自然を知らないおとうさんやおかあさんがでてこないよう、私たちは黙ってすわってはおれないのだ。


甲南大理学部3年。1970年、日本自然保護協会入会。翌年、県自然保護協会の結成に参加、現在事務局員。5日に発足した県自然教室育成会の発起人となり、結成後その理事。22歳。神戸市兵庫区馬場町35-2。

山田利行 2020.9.6記す
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