母に抱かれて人間となる 1 ヤノマミ編


ブラジル最北部に広がる深い森で暮らす先住民ヤノマミ族の出産、子育てに学ぶ。


以下、NHK取材班が2007年11月から翌年12月のあいだに行ったルポルタージュの書籍版、国分拓/著『ヤノマミ』(NHK出版 2010年)「女たちは森に消える」の章より。
赤字は引用者による


p178-179
[見出し] 精霊か、人間か、全てを母親が決める

 ヤノマミ*1の女は必ず森で出産する。ある時は一人で、ある時は大勢で、必ず森で出産す
る。
 女たちが森へ消える姿を初めて見たのは満月の夜で、子どもが産まれたのは東の空が白み
始める直前のことだった。許されて近くに寄ると、生まれたばかりの子どもが地面に転がっ
ていた。月明かりに臍の緒や胎盤を濡らして、地面に転がっていた。

 ヤノマミにとって、産まれたばかりの子どもは人間ではなく精霊なのだという。精霊とし
て産まれてきた子どもは、母親に抱きあげられることによって初めて人間となる。だから、
母親は決めねばならない。精霊として産まれた子どもを人間として迎え入れるのか、それと
も、精霊のまま天に返すのか。
 その時、母親はただじっと子どもを見つめているだけだった。森の中で地面に転がってい
る我が子をじっと見つめているだけだった。
 僕たちにとって、その時間はとてつもなく長い時間のように感じられた。

 子どもを見つめる母親が何を考えていたのか、僕たちには分からない。僕たちが聞いて
も、女たちは何も答えない。精霊のまま我が子を天に送る母親の胸中を女たちはけっして語
らない。ナプ*2に対しても、身内に対しても語らない。ワトリキ*3では、「命」を巡る決断
は女が下し、理由は一切問われない。母親以外の者は何も言わず、ただ従うだけだった。

 僕たちが見た限り、その時の母親の表情には躊躇いや葛藤はなかった。淡々と子どもを見
つめ、淡々と決断を下し、事が終わればシャボノ*4に帰っていった。
 女たちは、何か大きな力の下に生きているようだった。習慣とか伝統とか経済といった小
さな理由ではなく、もっともっと大きな理由。女たちは善悪を越えた大きな理の中で決断し
ているようだった。その理が何かと問われれば、やはり、森の摂理と言うしか他に言葉が見
つからない。


*1…ヤノマミ…〈ヤノマミ〉とは、彼らの言葉で「人間」という意味だ。彼らはブラジルとベネズエラに跨る深い森に生きる南米の先住民で、人口は推定二万五千人から三万人。「文明化」が著しい先住民にあって、原初から続く伝統や風習を保つ極めて稀な部族だった。(p18)

*2…ナプ…ヤノマミ以外の人間を指す蔑称(p31)

*3…ワトリキ…僕たちが同居した集落はブラジル最北部・ネグロ川上流部に広がる深い森の中にあり、一つの大きな家に百六十七人が共同で暮らしていた。彼らは、自分たちの集落を〈ワトリキ〉、「風の地」だと言った。(p9)

*4…シャボノ…ヤノマミは自分たちの家を〈シャボノ〉と呼んでいた。シャボノは巨大な家だった。直径は六十メートルあり、上から見るとドーナッツのように中央部分が空洞になっている。中央部分には屋根がなく、祝祭を行ったり子どもが遊んだりする共有スペースのようだった。人々が暮らすのは円の縁の方で、そこには屋根があり、家族ごとの囲炉裏が置かれていた。(p25)


p196-197

 ヤノマミの世界では、産まれたばかりの子どもは人間ではない。精霊なのだ。
 女が妊娠するのも精霊の力によると信じられていた。まず、大地から男の体内に入った精
霊が精子となり、女の体内に入る。その時に天から〈ヤリ〉という精霊が下りてきて膣に住
み着く。ヤリがその場所を気に入れば妊娠し、気に入らなければ妊娠しない。だから、母親
の胎内に宿る命も精霊で、人間となるのは母親が子どもを抱き上げ、家に連れ帰った時だっ
た。
 モシーニャは精霊として産まれてきた子どもを人間にはせずに、精霊のまま天に返したの
だ。

 保健所では、一九九九年から出産データをとっていた。それによれば、ワトリキでは毎年
およそ二十人の子どもが産まれ、半数以上が天に返されていた。

p198

 誤解のないように言っておきたいのだが、ヤノマミの女たちは何の感情もなしに子どもを
天に送っているのではない。僕たちは、天に送った子どもたちを思って、女たちが一人の夜
に泣くことを知っている。夢を見たと言っては泣き、声を聞いたと言っては泣き、陣痛を思
い出したと言っては泣くのだ。ヤノマミのルール(掟と言うより習慣・風習に近い)では死
者のことは忘れねばならないのに、女たちは忘れられないのだ。

p204-208

 臨月が近づくと、スザナの家族はシャボノを離れ、家族の畑に近い〈タピリ(小屋)〉で
暮らし始めた。僕たちもタピリに泊まり込み、出産の日を待った。
-略-
 〈スザナ、ニンニ〉
 陣痛が始まったのだ。
-略-
 森で出産するためにスザナがタピリを出る時をじっと待った。
-略-
 十二時を回った頃、スザナが森に入った。
-略-
 それからおよそ二時間後。時計を見たら午前三時四十五分だった。闇の中から産声がし
て、〈ナカリー(来て)〉という声が聞こえた。僕たちは森に入った。森の中はとても暗く
て、見えるものと言えば燃えさしの赤い炎だけだった。
-略-
 スザナの腕の中には子どもはいなかった。母親が抱いていると思っていた赤子は地面に転
がっていた。手足をばたつかせ、腹部から下を血だらけにして、地面に転がっていた。白濁
した色をした臍の緒が伸び、そこから五十センチほど先には真っ赤なレバーのような臓器が
落ちていた。胎盤だった。
 一分、二分、五分。いや、十分以上経ってもスザナは動かなかった。ただ、手足をばたつ
かせている子どもを見ているだけだった。時折、スザナの姉が赤子を泣かせるために、口に
手を入れた。気道を確保しているようにも見えた。だが、スザナは動かない。いつまでも動
かない。ただ、じっと見つめるだけだった。その目は我が子を慈しむ母の顔ではなかった。
スザナはただじっと赤子を見続けていた。
 およそ二十分後、スザナがバナナの葉を持ってきて、胎盤を包んだ。痛みに打ち勝つ強い
子どもに育つようにという願いから、蟻に食べさせるためだ。そして、初めて子どもを抱く
と、タピリに戻っていった。
-略-
 タピリに戻ると、スザナは子どもを見つめながら、お湯で子どもの身体を洗い始めた。ス
ザナの表情は森の中とはまるで違っていた。観察者のような顔から母の顔に変わっていた。

(終) 山田利行

  • 改訂履歴
    • 2017.8.27 改変、再構成
    • 2016.5.16 初稿