母に抱かれて人間となる 2 ノンバーバル編


  • 『非言語(ノンバーバル)コミュニケーション』
    • マジョリー・F・ヴァーガス/著
    • 石丸正/訳 1987年
    • 新潮社

赤字は引用者による

非言語(ノンバーバル)コミュニケーションに学ぶ。

母親と新生児の最初は、すべて触覚によるものである

p118-119
[見出し] 赤ちゃんの初体験

 人間の触覚は、五官の中でいちばん先に発達してくる感覚の一つである。母の胎内にいる時、胎児はもう母体の温かさ、圧迫、リズムなどを感じる。そして出産時に、新生児が経験する最初の感覚も触覚的なもの──冷たい空気、医師のしっかりした手、金属の鉗子(かんし)、皮膚の表面を刺激する新しい感触や圧迫など──その赤ちゃんにとって違和感のあるものなのだ。

 アメリカの病院では長年、新生児は臍の緒を切断され、ただちに産湯や身体計測に連れてゆかれたものだが、今日では数多くの病院で、新生児は母親の腹部に寄りそうように置かれ、体温が冷めるほど長くではないが、しばらくはそのままにしておくのである。だから母親は、臍の緒が切られる前にでも、赤ちゃんに初接触ができるのである。母親が後産をすませてさっぱりし、赤ちゃんも体を洗ってもらって温かいものでくるまれると、なるべく早い時期に「触れ合い」と「密着」をさせるため、母親のところへ戻される。時には、赤ちゃんを育児室の無菌環境に置くよりも、母親といっしょの部屋に移すことさえある。

 母親と新生児のコミュニケーションの最初の数時間は、すべて触覚によるものである。母親たるもの、かならずしもすべて母性愛にあふれているとはかぎらないし、生まれてきたちっぽけな人間を恐がりかねないこともあるのだが、とにかく手足の指を数え、体に触れて、これが自分の子だと確かめるのだ。

…… 一日に数回は抱き上げ……

p119-120

 このごろの「触れ合い Contact」ブームや、「密着 Bonding」騒ぎは、いったいどういうことなのだろうか。それは幼児の正常な発育のためには、大量の身体接触が不可欠であることが、医学界で判ってきたからである。

 一九二〇年ごろまでは、設備の整った衛生的な孤児院で、食事も十分に与えられていても、罹患零歳児の死亡率は、実に百パーセントに近かった。この死亡原因は医学的には説明がつかぬままに、ギリシャ語の「消耗衰弱する」という意味のことばから「衰弱症」と呼ばれた。そしてボストンのフリッツ・タルボット博士が、ドイツの小児科病院を訪れ、そこで一人の肥ったおばあさんが、赤ちゃんを自分の腰に乗せるようにして運んでいるのを目撃するまでは、この状態は改善に向わなかったのである。博士が「あのおばあさんは何者ですか」と尋ねると、院長のアルツール・シュロスマン博士はこう答えたのだ──「ああ、あれはアンナばあちゃんですよ。医学的に万事尽しても、どうしてもおもわしくない時には、赤ちゃんをアンナに預けるのです。そうするとかならず快くなるのです」と。

 一九二〇年代の終わりごろまでに、アメリカのいくつかの病院の小児科では、入院中の乳幼児のため「母親看護制度」を導入した。入院児たちは、母親による授乳の必要の有無に関わらず、一日に数時間は母親の待機している部屋に連れてこられた。J・ブレンネマン博士は、かつて罹患収容児の死亡率百パーセントに近かった旧式の孤児院に勤めたことのある医師だが、自分の病院では、赤ちゃんはすべて一日に数回は抱き上げ、抱いたままであちこち動きまわり、そして授乳しなければならないと宣言した。ニューヨークのベルビュー病院では、一九三〇年代半ばに小児科病棟に母親看護制度を導入して以来、五五パーセントだった乳幼児死亡率が一〇パーセント以下にまで下がったのである。「衰弱症」の治療法はほかならぬTLC(やさしい、愛情のこもった世話 Tender・Loving・Care)だったのだ。

山田利行 2016.5.16記す
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  • 改訂履歴
    • 2017.8.27 再構成
    • 2016.5.16 初稿