「九歳の旅立ち」を命名する

こんにちは子どもの発達は階段状に進む。ゆっくり徐々にではなく、ある日突然、きのうまで出来なかったことが、ふと出来るような気がして実現する。「こども」が「おとな」になるときも、きっとそうだ。この変化に追いつけないのは、むしろ「おとな」だろう。(2017.4.15)

❖「こども」と「おとな」の節目は「9歳」にある

子どもはいつか「おとな」になる。必ず、なる。生まれたばかりのあかちゃんは「こども」だ。「あかちゃん」でもあり「こども」でもある。結婚したらあるいは結婚するかもしれない年齢になっていたら「おとな」だ。高校生ならばどうだ。「こども」ではないが親からみればまだまだ「こども」かもしれない。思春期という言葉もある。青年という言葉もある。では、中学生は少年(「広義では少女を含む」新明解国語辞典第三版)か。

「こども」は集団で育つということを考えるとき、あかちゃんの集団と小学校の校庭で遊んでいる集団を同じテーブルで考えられない。それは極端として、では小学校の1年生と6年生とでは、どうか。対象とする「こども」を、たとえば年齢などを設定せずに議論できない。幼児は元気に遊ぶ。会話も一人前にする。その幼児と小学生を「こども」と、ひとくくりで表現していることが多い。

年齢で区切る場合、「こどもは、0歳に始まって9歳までとする」としてみる。「9歳」は「10歳」であってもよい。小学校の学年では3年生から4年生に相当する。「七歳までは夢の中」というシュタイナー教育の本がある。西洋では乳幼児の終端を七歳においている例が多い。「七歳になるまでは、こどもは神さまだといっている地方があります。」(柳田国男『小さき者の声』角川文庫に収められている「神に代りて来たる」より)とあるように、日本でも「七歳」を区切りとする事例がある。日本の場合は数え年かもしれない。満年齢では、小学1年生の4月では6歳。2年生は7歳。

「幼児」の終端は、小学校就学時ではなく「小学2年生」だと私は考える。「絵本年齢」という言葉を私はつかうが、その終端は2年生にある。入学したらいつまでも絵本はどうかと迷う親もいるが、絵本の役割はまだまだ続く。絵本を捨てたり誰かに譲ったりしないで、2年生が終わるまでは子どもの宝物だから大切にしてほしい。子どもの発達を考えるとき、0歳から小学2年生(7歳または8歳)までをひとつのつながりとしてみることができる。私の認識である。

子どもはいつか「おとな」になる。必ず、なる。7歳までは「こども」である。「こども」と「おとな」の違いは何であろうか。このことは《いつからおとな?──で、遊びを考える》で説明している。0歳から2年生までに共通することは(たとえば、親に)保護される対象ということだ。したがって、3年生(8歳または9歳)からは保護しない。人は必ずつまずく。失敗する。誰かに迷惑をかける。3年生からは自分で解決にあたる。これが「おとな」だ。

「こども」か「おとな」かの見極めは「おとな」がする。子どもが自身を「おとな」と自覚するのはもう少し先だろう。3年生を「おとな」としてみる「おとな」はまずいないだろう。「おとな」への旅立ちは、問題解決能力が求められる事案に出会い、その練習をすることに始まる。「おとな」と「こども」の中間帯を置かないほうがこの両者の違いあるいは役割(属性)を考えやすい。保護する側だった「おとな」には、保護しない方向へ気持ちを切り換える作業が求められる。

見かけ「こども」を「おとな」と認識するのは、「おとな」には容易でない。そこで、「おとな」に猶予を与えよう。3年生と4年生の2年間を、「おとな」が認識を切り換える緩衝期間とする。「こども / おとな」の見極めは「おとな」がするのだから、「こども」を「おとな」に属性変更する区切りを「5年生から」に同意していただこう。5年生の4月は10歳である。

長々と述べたが、こういう理由で、0歳に始まって(10歳の前年)9歳までを「こども」とした。学年で説明する方が周知しやすいので、9歳は3年生と4年生にまたがり、4年生は9歳または10歳である。

「9歳を区切り」とする確からしさを支持する事例(事例01から事例03まで)を得た。

9歳はこどもの終端でありおとなへの起点でもある。9歳を節目として認識するために、子どもの健やかな発達を祈念し、「九歳の旅立ち」と命名してみた。

(終) 山田利行

  • 改訂履歴
    • 2017.8.31 一部改稿した
    • 2017.4.15 初稿
橋本治、の場合 ── 九歳の旅立ち 事例03
橋本治 1948年生まれ 作家 子供に、なる / 随筆 私は、大人の顔色を窺う子供だったのです。これは屈辱以外の何物でもありません。そして、一度屈辱を知った子供にとって、子供であるということは、正に屈辱に甘んじている状態以外の何物でもありません。その時願うのは屈辱からの脱...
津島佑子、の場合 ── 九歳の旅立ち 事例02
津島佑子 1947年生まれ 小説家 太宰治の次女 幼き日々へ / 随筆 私自身の子どもの頃を振り返ると、まず小学四年生に進級した始業式の朝をひとつの転回点として意識せずにいられない。つまり、その日で自分の幼年時代が終わった、と不思議なほどはっきりと感じた。私は三月末に生ま...
乃南アサ、の場合 ── 九歳の旅立ち 事例01
乃南アサ 1960年生まれ 小説家 背表紙を眺める / 随筆 (乃南は幼少時、両親と一緒に寝ていた。枕元に積み上げられていた両親の本の背表紙を眺めていた) 布団に入ってから眠りにつくまで、それらの本の背表紙を眺めるのが習慣になっていた。 <略> 「眺める」ものだった...