橋本治、の場合 ── 九歳の旅立ち 事例3

橋本治 1948年生まれ 作家

子供に、なる / 随筆

私は、大人の顔色を窺う子供だったのです。これは屈辱以外の何物でもありません。そして、一度屈辱を知った子供にとって、子供であるということは、正に屈辱に甘んじている状態以外の何物でもありません。その時願うのは屈辱からの脱出、即ち大人になることです。

※この大人への導きになったのは、大好きだった「矢車剣之助」という漫画について、話し合える友達(I君)を得たのがきっかけという。それが、小学四年生の時、正反対の性格に変わったという。

僕は小学校の四年生の時、I君と陽の当たらない校舎の裏でよく話をしていたのを覚えている。僕達は何かのきっかけで「矢車剣之助」という漫画の話をし始めた。

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いや、より正確に言えば、僕はそれまで自分が「矢車剣之助」が好きなような気がするけれども、それが一番好きだと決めてよいのかどうか考えあぐねていたのだった。そしてI君と会った時、僕ははっきり「矢車剣之助」が一番好きだということを宣言し、そして僕達はそれがどんなにかハラハラさせ、どんなにかワクワクするかを飽きずに、語り合った。

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自分の思いを口にすることが出来ること、それが他人によって熱烈に支持されること、それが私が初めて知ることが出来た「自由」の味でした。その時初めて、私は、自分が自分を外側に向かって解き放ちたいという欲望を抱いていたのだということを知りました。そしてその後は一瀉千里でした。僕の自由はとめどもなく膨れ上がりました。僕は自己主張の塊となり、高校三年生になるまで、常にクラスで一番騒々しい生徒でした。


  • 出典 / 『日本の名随筆 別巻67』 作品社 1996年発行
  • 作品収録元 / 『橋本治雑文集成 パンセⅡ 若者たちよ!』 河出書房新社 1990年発行

以下の画像と合わせて、全文になります。番号順①~⑥

「九歳の旅立ち」を命名する
 子どもの発達は、直線的ではなく、階段状に進む。ゆっくり徐々にではなく、ある日突然、きのうまで出来なかったことが、ふと出来るような気がして実現する。「こども」が「おとな」になるときも、きっとそうだ。この変化に追いつけないのは、むしろ「おとな」だろう。(2017.4.15...

山田利行 2017.4.16抄録