認知科学に基づく「記憶」と乳幼児

あかちゃんや幼いときのことをどうして覚えていないのか、やっとその疑問が解けてきたような気がしている。

❖中学生、9年前の記憶

今年3月10日、中学生7人が神戸の某保育園を訪ねてきていた。卒業式があったその帰りだという。ちょうど9年前に卒園している。仲がいいなあと思いながら、即興で質問してみた。保育園時代の記憶をどれくらい覚えているかと尋ねたら、節分の鬼がこわかったと口々に言う。

写真はイメージ。保育士養成校の学生ら。2010年

「先生が鬼になっているとわかっていても、こわかったあ」と。「節分の鬼は”毎回”おぼえている」という女生徒がいた──ということは、4歳児クラスの2月を想起できるということだ。他の6人は首をかしげているので、5歳児までの記憶ということになるだろうか。2月なので実際の年齢では、4歳児の場合は5歳、5歳児は6歳だろう。4歳児(5歳)の女生徒はもしかしたら4、5月生まれなのかもしれない。

❖「記憶」を学ぶ

日本認知心理学会は「現代の認知心理学」(全7巻)というシリーズを2010~11年に、認知科学の水準を著し教科書として発行している。その第2巻「記憶と日常」で、ようやく私は「記憶」について学ぶ機会を得た。

「記憶の過程」は次の4つの段階で表される。記銘→保持→想起→忘却。日常会話で「記憶」というときは「想起」をさす。あかちゃんや幼いとき、その記憶がないということは、①記銘(保持)されていないのか、②記銘(保持)されているが想起できないのか、を考えてみる。0歳児を観察して、そして、「担当制」が有効ということは、現場感覚として「記銘」されていると思うのが自然だろう。したがって、①は否定される。研究者間では①②の結論は出ていなくて、しかし、大勢は②であるらしい。
(参考: 日本心理学会  https://www.psych.or.jp/interest/ff-25.html)

❖「リハーサル」するから思い出せる

「記銘」とは極めて短時間、数秒間の反応で、周囲の刺激を認識した”瞬間”のこと。その次の段階「保持」によって、脳に格納される。0歳児クラスの保育室で”相性”を感じるとすれば、それに相当するのかもしれない。

想起(記憶)される仕組みは研究が進みつつもわからないことは多い。わたしたちは忘れないようにするために、必要なときに思い出せるようにさまざまな工夫をする。その工夫を認知学的には「リハーサル」という。リハーサルにも種類はあるが、過去に学習した(保持されている)ことに関連づけていること(精緻化リハーサル)が多いようだ。0歳にとっては、あらゆる感覚刺激が原体験であり関連づける対象がない。関連づけるものがなくても、身につく。「身につく」は「受け入れる」が適切かもしれない。0歳だけでなく、1歳、2歳(の誕生日)までは似たようなものだと思う。だから、0,1,2歳とそれ以降とでは、記憶(脳の機能)の観点からも何かが明らかに違う、と私は考える。

❖「リハーサル」の対象となるモノサシが必要

では、リハーサルが有効に機能するようになるのはいつ頃からだろう。それが先にあげたこわかった鬼の思い出とつながる。

獅子舞であかちゃんが泣く。秋田の郷土芸能なまはげであかちゃんが泣く。そのあかちゃんは母や祖母らに抱かれている。つまり、保護されている(愛を相互に確認できる)関係で、泣く。その記憶はなくても、恐怖に対するモノサシが育つ。愛に支えられているから有効なモノサシができる。そのモノサシがリハーサルの対象となり、4歳または5歳当時に「記銘→保持」され、9年後に想起される。思い出としては、「こわかった」ことだが、じつは、「こわいを感じられる愛情」のもとに育ったという証でもある。このモノサシは、私が創案した「ハートスケール」と合致する。

❖「受け入れる」が最初

現時点での到達した私の理解は、おおむね5歳(の誕生日)までにリハーサルの対象となるモノサシを得る。モノサシは豊かであってほしい。先にあげた脈絡でいうところの「受け入れる」という機能が乳幼児の特性であるならば、ありとあらゆる体験をさせる、より適切な環境に置く、ということだろう。

出生したそのとき、脳神経(ニューロン)は最大に配置されているという。アポトーシスという原理で、使われなかったニューロンは衰退していく(脳の活性化とは別の機序)。乳幼児の生育環境をどう考えればよいのか、課題は多い。

(終) 山田利行

  • 改訂履歴
    • 2017.8.22 見出し、写真・図を新設した。
    • 2017.8.18 初稿