自然と外遊び | 授業日誌 2011年 4月~5月

神戸こども総合専門学院 神戸市、六甲山最高峰より西側に位置し、その山中にある。
(神戸市北区山田町小部)

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神戸こども総合専門学院 2011年5月7日(土)撮影 野外で食事会

4月13日(水) 屋内、教室にて

幼児がケガをしたとき、少しの血でも、こわがるときは血を見せない工夫をする。傷の汚れを早く取り除き、圧迫止血を兼ねて、傷を隠す。5分押さえていれば止まるので、そのあいだ、子どもとおしゃべりして気をまぎらわせよう。痛いの痛いの飛んでいけ、もいいね。

ケガは誰だってしたくない。ケガしないように、しているつもり。それでも、ケガをしてしまう。ケガは複数の原因で起きる。ケガをしてしまったら、させてしまったら、なぜケガに及んだのか、しっかり検証しよう。それが、今後のケガ防止に役立つ。

子どもとハイキングや山登りをすると、子どもの体力の、回復の速さに驚く。この場合の子どもとは、5歳児から小学生低学年のこと。暑い夏、汗をかきかき、ひと休み。しかし、子どもは「早く行こぉ~」。誘われるままに付き合った翌日、しばしば発熱した子どもと向き合うことになる。

私の経験則なので参考程度だが、野外では夕方に事故が起きやすい。たとえば、川遊びをしていて、子どもたちが夢中なので予定を時間延長してそれがケガにつながった。疲労がいつのまにかたまり、それまでは避けられていたことが防御できず事故に至る。終わらせる決断が求められる。

落ち葉がたくさん積もった斜面。木にクズのつるをしばりつけ斜面に這わせた。つるをもたせて、5歳児が斜面上から下へ降りる遊びを試みた。一度に10人ぐらいがつるにぶらさがった。つるは切れ、子どもたちは斜面を滑落した。ところがケガは一人もなかった。

その斜面の長さは10m超程度。私は斜面下にいて、バシッと切れる音がしたあと、子どもたちが滑落してくる様を目撃した。頭をすぼめタイヤのように丸くなっているように見えた。斜面下で折り重なった。大量の落ち葉で埋められた中から、子どもたちの笑い声が湧き上がってきた。

幼児にコワイことをさせてはいけない。嫌がることを無理にさせてはいけない。これは事故を呼び寄せる。励ましてさせるのもよくない。一方、好きなことや自分からやろうとしてやったとき、そういうときに危ないと感じたとき、子どもは自分で自分の身を守れる術をもっているように、私は思う。

幼児に無理をさせていけない理由は事故防止だけではない。嫌な体験をさせてしまうと、以後「避ける」ようになる。誰でも初めから成功することは少ない。「再挑戦」の意欲を育てる、保ち続けることのほうが、一発で成功するより大切だろうと思う。

野外で出会う危険な生物として、マムシ、ヤマカガジ、スズメバチ、野犬をとりあげた。保育の現場で出会う「危険」としては、ハチ類の知識が必要でしょう。特に、スズメバチは要注意。とはいえ、危険なのは「秋」。春から夏は、人間から危害を加えようとしない限り、危険は少ない。

山道で迷う危険。そもそも山の中で「みち(道)」とは何か?という認識が必要。そして、経験も必要。したがって、なぜ山の中で道に迷うのかを話した程度。幼児を連れて、知らない山に入ること、そのことが危険と言える。まあ、そんな危険に臨む人もいないでしょう。

4月20日(水) 運動場にて

きょうも寒かった。それで、たき火から始めた。「「寒いから」たき火をする」。たき火をするからには、誰かが火をつける。つけた火は誰かが守する。K君が「ぼく、やります」と言ってくれた。「火」をつけることが、この学校では簡単──学校の立地がいいねっ。

ボーイスカウトでの経験があるK君には、K君流儀のたき火のやりかたがあったみたい。でも、私は、火がそこにあればいい。そういう意味では、努力していたK君には申し訳なかった。私の授業は「遊び」を学ぶのが目的だから、私流には、そこに「火」があれば、それで十分。ごめん。

そもそも「遊びを学ぶ」ことに間違いがある。遊びは学ぶものでなく、遊びはすでに「そこにあり」まねをするだけ。遊びは遊び方を説明してしまったら、遊びではなくなる。この意味のわからないあいだは、「遊び」を理解し得ないだろう。職人が技を覚えるの似ているかもしれない。

竹とんぼを用意し遊ばせてみようとした。さっそく勝手に飛ばし始める者もいたが、「どうやって飛ばすの?」と訊ねてくる者もいる。ここで飛ばし方を説明してしまったら、それはもう「遊び」ではなくなる。「竹とんぼを飛ばす「ゲーム」」になってしまう。でも、説明してしまったけどね。

竹とんぼが飛ばせるかどうかは重要でない。飛ばせなくてもよい。ただ、竹とんぼを「つかんだり」「飛ばそうとしている」その様子を見させてもらうと、今までどれほど遊んできたかな?という履歴が見え隠れする。もっとも、飛ばせたらその喜びは今の年齢を忘れさせてくれるでしょう。

草笛は吹き方次第で大きな音が出る。子どもは、音が聞こえるとサッと音の聞こえる方向に振り向く。子どもの関心を強く寄せるものは、音・水・火。そういう意味で、草笛はぜひとも身につけてほしい。練習して、練習して、……、子どもの前では手品師のようにサッと鳴らしてほしい。

「火」は「日常の火」がいいなあ。ゴミ掃除したときなど、燃やしても害にならないものは、それを燃やせたらいいのに、と思う。火を囲む大人のまわりに、いつのまにか子どもたちも群がる。そういう小さなコミュニティを復活させたい。

4月27日(水) 屋内、講堂にて

天気はどんより曇り空。風も強く肌寒い。「遊ぶ」には条件が悪いので、ディベートの練習をしようと思った。講堂に径2mの円形絨毯をひき周囲に幼児用木製椅子を並べた。15脚。大人が座っても少しゆったり。でも少し触れ合うところも。突っつき合う連中もいた。あと1脚は入るなあ。

ディベートするには丸くなるのがいい。お互いの顔が見えるのがいい。テーマは「冒険・探検・遊び」だが、まずは、冒険と探検、どう違う? うーん、発言が出ない。続かない。まあ、これからだけど……。それで、コワイ体験を順番、左回りで話してもらい、そのつど私がコメントをした。

コワイ体験の内容もさることながら、他人の話を聞くごとに自分の話す内容を見つめようという気持ちが湧いてくる。「コワイ」という意味も変化してくる。私は、「正しさ」も「模範解答」も求めていない。他人の考えに刺激されて自分の考えをひきだせるようになってほしい。

冒険と探検、どう違う? まさに多様な捉え方ができるだろう。私の考えを一つ。「こども」はいつ「おとな」になる。それに「境界」はあるか? 「冒険」はいつ「探検」になる。それに「境界」はあるか? と、同じことが言えるのではないか。つまり、子どもは冒険時代を生きている。

「遊び」は「冒険」そのもの。遊びがいつしか「探検」になることもあるだろうが、その初めは「冒険」でなくてはならない。冒険と探検の違いへの考察は、遊びとは何か?を問うことと同じ意味をもつ。

冒険を体験しなかった遊びは、「遊び」といえるかどうか? 日々子どもの遊びにつきあう保育士は考えてほしい。このことは、次回5月2日の授業テーマ「遊び・ゲーム・スポーツ」の違いは? に、つながる。

5月2日(月) 運動場、原っぱにて。晴天。

運動場の「向こう」は草原(くさはら)。快晴。ブルーシートを広げ、学生14人、職員3人、寝転がる。1センチくらいのバッタがいっぱい。種類もいろいろなことに学生たちが気づく。午後1時に始めて、2時ごろまでは何をしてもよいことにした。寝転がると、とっても気持ちいい!

快晴と書いたけれど、寝転がってみたら、雲が流れていたなあと思い出した。それでも、日はさんさんと射してきて、暖かいを通り越して暑い! 初登場のハンモックを吊ったり、畑に植えた苗の成長ぶりを見たり……。「何してもよい」というのは、かえってむずかしいなあ。

「何してもよい」と宣言して、皆が思い思いに遊び始め、それなりに「遊びかけたかな?」と思うようになるまでの時間が、30~40分。子どもたちにも同じことが言える。「何して遊ぼ?」から本格的に遊び始めるのに、30~40分かかる。この準備時間が遊びには必要。

たとえば、いも掘り。畑に昼に着いたら、先に弁当を食べる。1時間くらい食事やその後の休憩、探索に時間を費やす。その後で、いも掘りを始める。これなら「遊び」。ところが、畑に着いてすぐ何故いも掘りか?指導、そして、いも掘りとなれば、それは「遊び」ではなく「ゲーム」

遊びとゲームとスポーツ。これら相互の違いは? 小学生のグループに5歳の幼児がおにごっこに寄れば、幼児を「たまご」とか「ひよこ」と宣言し、つかまっても鬼にならなくてよい。「ゲーム」をするには、遊び方(ルール)の説明から始まる。ルールを守ってこそおもしろい。

では、ゲームとスポーツ、どこが違う? それは「記録」。○○新記録というように、あるいは自己最高というように、記録はスポーツから切り離せない。この3者の違いを認識することで、「遊び」とは何かが見えてくる。


[了]