思い出話

ああ、そんなこともあった。
あれこれ思い出す。
それらのことが今につながっているのかもしれない。

── 山田利行 2018.11.9

思い出話 19 学校よりも入場券
 今(2019.12.7)「チコちゃんに叱られる」を観ていて、新幹線塗装色の話題で思い出した。  1964年10月1日新幹線開業。私は中学2年だった。2年1組、担任はK先生。1964年10月1日のそのとき、授業はすでに始まっていた。K先生(体操の先生)が教室にいた...
思い出話 18 マムシグサ
 テンナンショウ、別名マムシグサ。神戸市北区で2019.11.10撮影。植物観察では、花を愛でるだけでなく、匂いをかいだり、味わったり、手もとに引き寄せたり、いろいろと試すことあります。かつて20代、植物学者・堀田満先生に「その赤い実を食べてごらん」と言われ、すすんで1...
思い出話 17 師匠「伊藤友宣」
伊藤友宣 いとう・とものり1934年生まれ2007年死去  師匠といえる人は、経営やマネジメントを教えてくれたHさん、自然とのつきあい方を教えてくれたたくさんの人、まちづくりを教えてくれる現在進行形のMさん、親の子育てを通じて社会をみる目を培ったIさん、詩や童謡を学んだS...
思い出話 16 北条鉄道
 鉄道は郷愁を誘う。写真で切り取っても線路は続いていることを容易に連想させる。  線路敷きの向こうに見えるのは早苗田。線路に目立つのはスギナ。廃線だろうか。  田に水を入れたばかりなので濁っているが、小川の流れが郷愁をさらに誘う。 ...
思い出話 15  桑の実とホタルに思うこと
 桑の実が熟すシーズンが到来した。といっても、知らない人がほとんどかもしれない。「山の畑の、桑の実を小籠(こかご)に摘んだは、まぼろしか」──三木露風「赤とんぼ」の第2節だ。この詩が誕生した時代背景は、どこにでも桑があったからだろう。しかし、今は、みつけるのが大変だ。桑ときけば...
思い出話 14 my古写真
プリントの裏には「1954.11.29」の日付あり。私は4歳。右は弟で2歳。撮影場所、不明。プリントの裏書きには「5歳」とあった。数え年で記録していた。 宮詣り 生後約1か月 1950.10.13 写真室の刻印「ハガ写真館 姫路」 1951年 ...
思い出話 13 雪国と温室
 このおじさんの写真を見るたび思い出す。階下が雪に埋まるほど、出入りは階上からが冬の暮らし。おじさんは「温室」を建てた。ずっと昔。いつのことかは知らない。  村の人びとは笑った。雪がふったら、どうするんだ、と。しかし、雪は積もらなかった。「温室」のところだけ、雪は積もらな...
思い出話 12「ハートスケール」を思いつくまで
 正確には覚えていないが、〈「感動」という名のものさし〉という言葉を創造して野外活動における感動場面の重要さを指摘していたのは、1980年よりも前だったと思う。自然体験の場面で、たとえば、人が近づくことで、カエルが次から次へと池に飛び込む──その体験をどうやって子どもに気づかせ...
思い出話 11 足の爪
 20代前半、休みの日はほとんど野山にいました。日本アルプスなど登山が目的の人たちは、鍛錬・訓練のために山を歩くのでしょうが、当時から小学生を対象とした自然観察のためにでしたから、田園や低山がフィールドでした。「キロ時間」と言い慣わして、1キロの道程を1時間かけて歩くのが目標で...
思い出話 10 虎
バターになった虎  木のまわりをぐるぐるまわるトラ。初めはゆっくり木を真ん中にしてまわるトラ。トラがトラを追いかけて、まわっていたように思う。2頭か、もっと多い数か、おぼえていない。尻尾をくわえあっていたようにも思う。まわるスピードは速くなり、トラの姿が見えなくなり、トラ...
思い出話 9 快癒したメニエール
1999.9.22水朝9時頃、コンピュータを見つめていると、経験したことのないめまいに襲われる。救急車で近くの病院に搬送された。9.24金神戸市長田区のめまい専門の田渕クリニックで初診。メニエール病と診断される。 メニエール病特有の発作は断続的に続いた。たとえば…… ...
思い出話 8『ミニコミの同時代史』
 ここに表示している2つのミニコミ紙とその紹介記事は『ミニコミの同時代史』に収録されたものです。 『ミニコミの同時代史 』丸山尚/著1985年/発行平凡社  ★目次、読み始め部分をPDFで  この2紙とも、私(山田利行)がその創刊時に編集、刊行...
思い出話 7 酒井健という男 | 関心×興味
「関心」と「興味」、違うよね?  健さんは箕面に住んでいた。箕面のどこだかはさっぱりわからない。友人に連れられて訪ねたこともあり、まったく憶えていない。何の用事だったかも憶えていない。おそらく1970年かその翌年の頃だったと思う。彼は「大阪南港の野鳥を守る会」の代表らしい...
思い出話 6「神戸っ子」のグラビアに
月刊誌「神戸っ子」 1973年7月号 グラビアでご紹介いただきました。詩人Sさん……(故)千家加寿さん。サトウハチロー主宰『木曜手帖』同人千家さんから詩を通じて、自然と向き合う感性を学びました。「月刊 神戸っ子」webサイトにリンク「1973年7月号」 山...
思い出話 5 忘れてはならないこと | 神戸の震災
 うっすら目が覚めていたそのとき(午前5時46分)まだ寝ころんでいた(うつ伏せになっていた)とき、思わず右手で体を支えた。支えないと滑り落ちそうになったからだ。私の住んでいるのは10階建てのマンション(自宅は4階部分)。戸数259。こんな大きなマンションが、ペラペラの紙...
思い出話 4「真実」を排し「真理」を採る
 本多勝一の『事実とは何か』(未来社)は1971年12月発行とある。推測でしかないが、私がこの本に出会ったのは21歳のときだろう。以来、「真実」という語を使わなくなった。 この標題にあるとおり「事実とは何か」を考えるようになった。──「新聞記者は、支配される側に立つ主観...
思い出話 3 子供と遊びながら自然を守る
月刊グリーン・パワー 1979年6月号(通巻6号)発行(財)森林文化協会(朝日新聞東京本社)ルポ 伊藤 幸司 すばらしき仲間たち ── 兵庫県自然教室の仲間たち 子供と遊びながら自然を守る  色とりどりのリュックサックを背負った小学生たちが、3台のバスに分乗し...
思い出話 2 物心ついたとき、田舎にいた
 小学生時代の記憶では夏休みは田舎にいた。田舎は網干(現在の姫路市)だった。国鉄(現JR)山陽本線で神戸から西へ。姫路駅で「播但線の待ち合わせのため50分停車します」と駅のアナウンスがあったことを記憶している。蒸気機関車だった。姫路駅の次は英賀保、その次が網干だった。網干駅で下...
思い出話 1 子どもを怒れない理由(わけ)
 1970年、私は二十歳になる年だった。今の自分を育ててくれたのは「自然」だったと自覚し、高校時代までの生徒会活動など社会的なことではなく、「自然」に感謝して「自然」にかかわることをしてみたいと思うようになった。当時は四大公害訴訟の判決が続き環境への関心が高まっていると...