「正しい」を疑う (Live更新)

こんにちは

「だまされたい」と思う者はいないだろう。だまされぬように用心する。どんなふうに?
 だまされる──ということは、どういうことか。金銭を盗られる。約束が守られない。約束の時間に遅れる。昇進できなかった。”ふられた”。だまされる=裏切られる。この食べもの、安全だろうか? 予防注射は果たして効果があるのだろうか? ──「だまされる」がつかわれる場面はさまざまだといえる。そして、こうして、この文章そのもの、どこかインチキでないか! 私に、だまされているのでは!?

 だまされない処し方は、だまされてみることが最も確かな方法ではないか。だまされないよう身構えるのでなく、「まず信用しよう。この人にならだまされてもかまわない。」そういう信頼関係をつくりあげようとする心・実践が先行してもよいのでは──と、私は考える。リスクの少ないときから、信頼関係を築く訓練が必要だろう。


 《標題「正しい」を疑う》にしたがって、できるだけ多くの観点から述べる。以下は、決定稿および未定稿(リンク有無で判別:Live更新)◇ 山田利行 2019.2.13

  • 《りんご2つ+みかん3つ》課題
  • 伊丹万作「戦争責任者の問題」
  • 「茶色の朝」
  • 日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか
  • 星の使者
  • 米本和広『洗脳の楽園 ヤマギシ会という悲劇』『カルトの子』
  • 斎藤貴男『カルト資本主義』
  • 『文化現象としての癒し 民間医療の現在』

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